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PHOENIX SAGA  作者: 鷹野霞
闇に踊る護り手
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毒者の意地

「標的の護衛役、その隊長が倒れたそうだな」

「ふん……」


 ハスカールにある小さな宿屋、その一部屋にて、イブラヒムと提婆は顔を合わせていた。

 とうに日は暮れ、通りでは街灯がぽつぽつと灯されようとしている。薄闇に陰る中で待ち合わせたイブラヒムは、提婆の顔がわずかに喜色に染まっていることに気付いた。


「どうした? 貴様が狙ったのはアリシア・ミューゼルのはずだろう。あの猟師に何か因縁があったわけでもあるまい?」

「因縁、か。それならば今しがたできたところだ。……あの男、私の毒を受けていまだ生きているというではないか。――十の子供相手に調整した毒では効きが悪いのも仕方がないが、見当違いとはいえ仕留め損なったと聞けば思うところもあるというもの」


 この毒使いは、対象によって使用する毒薬を調整することによって、死後の検知をすり抜けることを得意としている。残された死体は突然心停止したようにしか見えず、周囲の人間は標的が暗殺されたことにすら気づかない――それが、提婆達多のやり口だった。

 相手を必ず毒殺してきたという実績が彼の誇りであり、譲れない意地である。ならば、標的外とはいえ仕込んだ毒に触れて倒れ、しかしなおも生き永らえているあの猟師について、この男はどう思うであろうか。


 ――竜騎士アーデルハイトによって領都から運ばれてきた衣装箱に、ハスカール新城の使用人を装って近づき、南京錠を解錠して中の衣装に毒糸を縫い込む。……教団の構成員ならば鼻歌まじりに行える工作であり、逆を言えば生身での戦闘に疎い提婆が教団で軽視されている所以でもあった。


「――もはや毒は使えぬと見るべきだ。食事には毒見役が付き、衣類は漏れなく検査が入る。筆や金銭等の小物も同様だろう」

「ほう、私はもうお役御免か。――ならばこれからは、私の好きに動かさせてもらおう」


 イブラヒムの言葉に提婆はうっすらと笑みを浮かべて答えた。……何をする気なのか、不信感がイブラヒムの胸に積もる。


「……その様子では、大人しく渓谷に帰還する気はないようだな」

「当然のこと。わざわざ貴様が私を呼び寄せたというのに、何の成果もないまま手ぶらで帰れると思っているのか? この提婆達多、卑怯者といわれても無能の誹りを受けるなど我慢ならん」

「何をする気だ」

「知れたこと。――殺し損ねた死に損ないにとどめをさす」


 慇懃な物腰の裏にある肥大した自尊心を覗かせて、教団随一の毒者は歯を剥いて笑った。


「私の毒は致死の毒。一切の例外も許さない。たとえそれが元々の標的でなかろうと、一度私の毒を受けた以上必ず死んでもらう」

「再び毒を盛るつもりか? 毒は使えぬと言っただろう。アリシア・ミューゼルに対するものでなくとも、入り込むものに検査の手は入るはずだ」

「応とも。ゆえに直接乗り込んでくれるのだ。あの小澄ましたフードを剥いで、寝込み動けぬ胸に毒刀を突き立ててくれる。――――いい機会だ、私の暗殺技術を披露してやろう。貴様たちはどうやら、私が毒以外に取り柄がないものと思い込んでいるようだからな」

「――――――」


 譲る気のない提婆に、イブラヒムは頭痛を堪えるように額を押さえた。


 ……考えてみれば、別に悪い提案ではない。

 猟兵隊長が倒れ、ハスカールの猟兵は軽い混乱状態に陥っている。副官が上手く取りまとめているようだが、この状態はしばらく続くだろう。

 そんな中、辛うじて生きていたあの男が今度こそ死ねば?

 ――恐らく、生じる混乱は今現在の比ではあるまい。

 そこに付け入れば、アリシア・ミューゼルを殺害する隙を見出せるかもしれない。


 ただでさえ、教団の構成員を次々と捕らえたあの男はこれ以上ない障害なのだ。前もって忍ばせていた人員の大半が潰され、今や暗殺の舞台を整えることすら困難になっている。これ以上の損害は帰還不可能の特攻じみた作戦を覚悟しなければならないほどに。

 残っているのは直属の五人と先日到着した増援二十人、そして非戦闘員の草が数名。これでは対象を追い詰めて孤立させたうえで殺害するという手段はとれない。増援に至っては動かしただけで目立つことは避けられないだろう。


 そんな中、散々こちらを引っ掻き回してくれたあの猟師を確実に殺すと提婆は言っている。乗らない手はないだろう。


「……好きにしろ。毒が使えぬとわかった時点で貴様は用済みなのだ」

「ハ。言われずとも好きにしよう。――私が自ら敵の守りを剥いでやるのだ。貴様も無様は晒すなよ」


 そう言い捨てて、毒の男は立ち上がった。今夜にでも新城に乗り込むつもりでいるのだろう。十歳の子供には致死の毒とは言え、二倍以上の体重を持つ大人にはそうもいくまい。耐性に優れた人間ならば早々に回復することもありうる。早く発つことに越したことはない。


「――――あぁ、そうだ」


 提婆は部屋の扉に手をかけ、立ち去る直前に一度だけ振り返った。


「辺境伯令嬢暗殺は大仕事だ。老師たちの期待も尋常ではなくてな、ゆえにわけても腕利きの貴様に白羽の矢が立ったのだが。

 もし今回の暗殺が不首尾に終わった場合、方々の落胆の度合いも知れるというもの。――おめおめと無手で帰ってみろ、『八咫』の二つ名、二度と名乗らせはせん」

「…………」


 むしろその瞬間が楽しみだと言いたげな提婆の口調に、イブラヒムは無言で返す。それが気に食わなかったのか、男は軽く鼻を鳴らして今度こそ立ち去って行った。



   ●



「追い詰められた、か……」


 誰もいなくなった部屋にひとり座り込み、ぽつりとひとりごちる。

 舞台を整え、油断させ、対象が孤立した環境を作り、闇に紛れて背中を刺す。……それが暗殺の本質であるというのに。

 仕込みは荒らされ、人手は足りず、敵の警戒は強まり、刻限は近づいている。これでは気付かれずに近付くことすら難しい。


「かくなる上は――」


 帰還を前提とせず強引に突っ込むか。

 一時的に護衛以上の攻め手を揃える、最低でも一人一殺、それだけやればイブラヒム自身が首級を上げる。そういう環境を作り上げられればいい。算段ならばいくらか思いつきもする。

 危うい思考だと理解している。しかしそれでも、安易な選択に取りつきたくなるほど焦燥に囚われている自覚があった。


 首を振って考え直す。……何を馬鹿げた考えに浸っているのか。仲間を失う作戦など論外ではないか。

 ただ――――それでも。


 もし標的が自ら護りを削るような、そんな暴挙に出たとしたら。

 そのような好機に、飛びつかずにいられる自信がない。

今年の更新はこれが最後となります。

皆様、よいお年を

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