おそろしいもの
「遊び、だと……?」
エルモの発言がよほど腹に据えかねたのか、アーデルハイトは彼女を睨みつけた。ぎしりと歯噛みする音が聞こえてきそうなほど目を怒らせて。
「別に、そう珍しい考えじゃないんだけどね」
対してエルモは平然としたものだった。煽るような口調もそのままに、こんなものは大したものではないのだと嘯く。
「大体、私からしたらあなたの方がわけがわからないわ。たかだか毒で死にかけてるってだけでしょう? そんなものに一喜一憂してたらそれこそ身が持たないわよ」
「そんなこと? あなたは、人の生き死にをそんなことで片付けるのか?」
「人じゃない。プレイヤーよ」
端的に、エルモは己の人権を否定する言葉を吐いた。
「あなた、私たちが自分と同じ形をしてるからって、おんなじ存在だと思ってるの? だとしたら大きな勘違い。その認識は改めるべきね。
いい? 私たちはプレイヤー、そして遊び人なの。この世界、この大陸にはあくまで遊ぶために来ている。今はどう考えてるかは知らないけど、そこで眠りこけてる猟師だって最初はそういう認識だったはずよ。
大体、あなたたちだってそのつもりだったんじゃないの? 『客人』――つまりはひと時のまろうど、束の間に席を同じくしただけの仮初の滞在に過ぎないのだと、あなたたち自身がそう呼んでるじゃない」
「それは――」
これは、ゲームだ。
電気信号によって形作られた、実体のない娯楽なのだ。
真贋などどうでもいい。この世界が本当に、ゲームを通じて繋がった地球外の異世界だったとしても関係がない。そうエルモは思っている。そう自分に言い聞かせている。――そして、ことの本質はそこにはない。
問題は――――エルモ達プレイヤーは、根本的にこの世界にとって異分子であるということ。
どんなに誰かへ熱を上げようと、どれほど何かに入れ込もうと、自分たちは最後はこの地を去らなくてはならない。ベッドから起きてヘッドギアを外し、次の月曜日の仕事に備えなくてはならない。
こことは別の場所に、本当の自分の人生を持っている。言ってしまえばこの世界は予備の人生、金で手に入れた使い捨てのできる三十年だ。
人生に予備を持つということ、それがどれほど特異なことか。
平和ボケの現代人が、ともすればNPCを上回る伸びしろを持つのはこのためだ。所詮は仮初めの生命、その一念が死線への一歩を踏み出させる。命を投げ捨てるがごとき危険域へ平然と踏み込んでしまえる、その精神性がスキルの成長という形で数字に表れる。
死をどう捉えるか。その違いがプレイヤー最大の優位であり、これ以上ない負い目なのだ。
――――ならば、果たしてそんな人間を、この大陸に生きる彼らと同等に扱っていいものなのだろうか。
そう己を卑下するからこそ、エルモは逆に信じている。
……半端なゲーマーの自分ですら今こうして立っている。命懸けの戦い、部下の死、人殺しの感触。……本当に真物であればきっと耐え切れないほどの目の前の重荷を、所詮はゲーム、所詮は仮想と言い訳をして、誤魔化しているのだ。
そんな自分がこうしていまだ立っている。――ならば、だからこそ。
そんな世界に当事者として向かい合う彼らには、ちっぽけなプレイヤーなど鼻で笑って走り去ってほしい、そんな風に願っている。
「毒を盛られて死にました。ああそうですかご愁傷様です。よそ見してるからよ馬鹿な奴。――所詮はその程度の感想しか抱かないわ。それがプレイヤーという生き物よ。
それに――――ただ死ぬだけなら、まだ真っ当な終わり方だもの」
知っている。今もってなお鮮明に思い出せる。
ただ死んで日本に戻るだけならましな部類だと、エルモは身をもって知っていた。
おそろしいものとはこのゲームで死ぬことではなく、帰る場所を失うことなのだと。
「……それは、あなたたち『客人』の理屈だ。私にとって、この人は今ここにしかいない。替えが効くだなんて、決して――」
「ええそうね。私の都合は私の都合。あなたがどう思うかなんて無理強いはできないわ。
でも――――」
頑なに寝台から離れようとしないアーデルハイトにエルモは首を振った。
「猟師が起きてきたとき、あなたが傍にいたとして本当に喜ぶかしら? 大事な姫様をほったらかしにして自分にかまけてるなんて知ったら、なんて言うかしら?」
「それ、は……」
にじり寄る。口ごもり俯いた少女の顔を覗きこみ、肩に両手を乗せて――
「やるべきことがあるんでしょう? 護らなきゃならない人がいるんでしょう? 人任せにできないことなんでしょう? だったらさっさと立ちなさい。いつまでもぐじぐじしてないで――」
その胸倉を、掴み上げた。
「甘ったれるな! ここはあんたたちの世界で! あんたたちの半島で! あんたたちの国で! あんたたちの姫様でしょうが! ――余所者の私達に任せきりにするんじゃない……ッ!」
「――――っ」
目と目を突き合わせて睨み合う。若草色の瞳は一瞬泣きそうに揺らいで、それでも真っ向から受け止めてみせた。
消沈していた少女は大きく息を吸って、身勝手なエルフに向けて――
「わた――」
「――ふ、副隊長! 副隊長! 大変です姐御! 一大事です!」
慌ただしく騒ぎ立てる野郎の怒鳴り声に遮られた。
どすどすと廊下を踏み鳴らす音、ドンドンと荒々しく扉が叩かれる。
「ええい、今いいとこだってのに! ――何があったの!?」
「ひっ……!?」
苛立ちを隠しもせずにエルモが扉にがなると、男の声は一瞬ひるんでから事態を告げた。
「姫様が――――護衛対象のアリシア・ミューゼルの姿が見えません! 部屋の机に置手紙があって、仇をとってくると……!」
「な――」
「これだからお子様は……!」
あまりの事態に絶句するアーデルハイトを尻目に、エルモは深々と溜息をついた。
……次から次と、面倒事は後を絶えない。まるであのクソ猟師のようだ。
こうしてはいられない。片っ端から不審者をひっ捕まえて回ったとはいえ、今のハスカールは安全とは言えないのだ。早くあの姫様を見つけて保護しなければ。
外出用に外套をインベントリから取り出しつつ、猟兵隊副長は背後に座り込む少女に振り返った。
「――どうするの、竜騎士様? 余所者に姫様を任せて、あんたはそこの馬鹿にいつまでも縋りついて泣いてる? それとも――」
「――――決まっている。舐めるな、傭兵」
ぎり、と歯噛みしつつ、アーデルハイト・ロイターは立ち上がった。
「あの方は次期辺境伯で、護衛を任された竜騎士は私だ。――この手で護る。そうでなければ、コーラルに合わせる顔がない」
「ふん……」
そんな姿を見て、エルフは微かに笑った。……その顔が見たかったのだと、軽く呟いて。




