覗き見るもの
「ちょ……何やってんのあんた!?」
「見ての通りだよ」
突然の凶行に出た猟師を前にエルモが叫んだ。対する猟師は落ち着いたもので、力なく崩れ落ちる若者の身体を支えて足元に横たわらせる。
若者――ヴェイヨの顔は軽い驚きに染まり、きょとんとした瞳が虚ろを見つめている。
猟師自身が見込みありと語っていた若者は、他ならぬ彼の手で呆気なく殺されていた。
いったいこの男は何を考えているのか。こんな衆目の中、いきなり自分の部下を。
幸いなことなのか、周囲の目はステージに向いている。出血の少ない殺し方だったのもあって気付かれてはいないようだが、しかしこれは――
「――エルモ、これを見てみろ」
あまりのことに絶句するエルフをよそに、猟師は腰の短刀を引き抜いた。若者の死体をひっくり返して仰向けにし、肩口の衣服を軽く斬り裂く。すると、
「これは、刺青……?」
「見覚えのある柄だ。――奴さん、どうやら随分と前からうちに人を紛れ込ませていたらしい」
露出した肌に描かれている模様。日本の刺青と異なり黒一色のそれは、翼を広げた猛禽のような絵面だった。
苦々しげな口調で語る猟師はこれに見覚えがあるらしい。この状況でそれとなれば、若者の正体が何であるのか、エルモにも想像はつく。
予想だにしていなかった展開に顔の強張りを隠せないエルモに対し、猟師の振る舞いは普段と何ら変わらなかった。
「残念ながら、こいつは暗殺師としては二流だよ。向こうの姫さんを見た瞬間、肩が強張って殺気が漏れていた。……確殺できる状況でもないのにそれだ。腕前なんぞ知れたものだろう?」
醒めきった目つきで鼻を鳴らし、若者の目蓋に指を這わせて閉じさせる。次の瞬間、若者の死体は青白い粒子となって霧散した。
「コーラル……?」
「まわりの子供の教育上、あまり放置していてよろしいものでもないんでね」
人間の死体をインベントリに収め、何事もなかったかのように猟師は言う。
「――さて、少々弱ったことになったぞ。ヴェイヨは猟兵編入こそ今年からだったが、入団そのものは二年前からだったはずだ。入った当初から低位ながら魔法を使える期待の新人って触れ込みだった。
この意味が分かるか?」
「入り込まれてる? うちに?」
「入団試験に裸にさせる項目でも作っておけばよかったかねぇ? せっかくだし裸の付き合いってやつで兵舎に大浴場でも増設するか?」
冗談交じりにの言葉に反し、猟師の目は欠片も笑っていない。
「直接の標的は、そこで聖騎士に肩車されている辺境伯令嬢だったはず。本来このハスカールとアリシア・ミューゼルとの接点はなかった。だというのに二年前からうちに工作員を潜ませる手の回しっぷり。……相当本気らしいな、教団とやらは」
「……本当に姫様狙いだと思う? これ、ひょっとしたら――」
「あぁ。姫さん狙い自体が偽装で、本命はこっちかもしれん。団長か、ドナート執政か、はたまた辺境伯との繫ぎであるリディア夫人かその子供か」
いやいや人気者はつらいねぇ、と男は嘯き、エルモは思わず頭を抱える。
……敵の狙いが不透明で、守るべき人間が一気に増えてしまった。おまけに警戒も一層深める必要がある。なにしろ敵は、こちらに数年がかりで接近してくる善人の仮面を被った暗殺集団なのだから。
「……掲示板でよく騒いでるから勘違いしてたわ。こいつら、信条持って藁に飛び込む方じゃなくて変装して陰討ちしてくる方なのね。数年がかりで仕込むとか宇喜多とか尼子みたいな」
「むしろ暗殺者としてはそっちの方が真っ当だがね」
どちらにせよ、本日のアリシアの遊興はこれで終わりだ。申し訳ないが警備体制を洗い直さなくては護るものも護れない。
団長一家や執政の下にも護衛を割かなくてはならない。出来るだけ腕が立って信用の置けるものを。
ややこしい状況の中、更なる暗雲が立ち込めるのをエルモは感じていた。
●
「――あれが猟師か。なるほど、彼はどちらかというとこちら寄りの人間であるようだ」
猟兵に潜入を成功させていた唯一の工作員が始末されるさまを、その人物は克明に観察していた。
二つ名を提婆。導師位のイブラヒムに呼び寄せられた、教団の構成員の一人である。
つい先ほどまでヒーローショーが行われていた会場、その観客席。ちょうど猟師たちの座っていた場所と向かいあう席に、提婆はその小柄な背中を丸めて座り込んでいた。
教団でも特に嫌悪の視線を向けてくる彼からの呼び出しとあって、何事かと思ったものだが……あの光景を見せられたのでは納得である。
よもや構成員の中でも実働を担当としない草の殺気に反応し、即座に殺害を決断するとは。あの猟師は相当に勘が鋭いらしい。
「しかし、迂闊だ。――いや、思慮に欠ける」
殺すくらいなら捕らえれば良かったのだ。捕らえた上で尋問にかけ、情報を吐かせればいい。普通の人間ならそう考える。
もっとも、あの程度の低位の構成員に握らせている情報など、万一に備え偽装に偽装を重ね敵を攪乱することを目的とした欺瞞情報でしかないのだが。
それとも、まさか――
「それすらも見抜いていたと? ふん――」
それこそまさにありえない。現状彼らはそこまでの確証を掴んでいないはず。ならばあの草を殺したのは尋問に割く人手を惜しんだためだろう。
暗中模索のさなかだろうに、誤った選択をしない辺りが大したものだ。大した技術も情報も持たない草にかかずらう無駄を省いてみせたのだから。
「面白い男だな、猟師コーラル」
僅かに口端を吊り上げ、提婆は笑う。
久々に歯応えのありそうな獲物を前に思わず舌なめずりしてしまう。この癖は昔からなかなか抜けてくれない。
……さて、そろそろ引き上げるか。
見るべきものは見た。難敵の腕を見極めるのはまたあとにしよう。
見切りをつけた提婆は立ち去ろうと立ち上がり、最後に敵の顔を眺めてみようと振り返って、
――――視線が合った。
「な――――」
否、合ったように感じた。それだけのはずだ。
猟師の顔は藍色のフードで隠されている。視線など陰になって分からないはず。
だというのに、提婆は猟師に間近で凝視されているかのような感覚に陥った。まるで、質量を持ったような重苦しい凝視に晒されているような――
「――――っ」
有り得ない。何を考えているのだ、馬鹿馬鹿しい。
踵を返す。観客席の背もたれを跨ぎ、出口へを歩を進める。
必ず殺す。あの猟師は必ず排除する。
嫌な予感とともに決意する。――そうしなければ、殺されるのは自分だという直感がある。
じっとりと冷や汗の滲む背中には、会場を出るまで何者かの視線が浴びせられ続けていた。




