禿げろ
「最近ようやく悪阻が収まってきたんだけどさぁ、そしたら落ち着いて顔会わせられるのも久しぶりだろ? 改めて食事とか散歩とかしてると、なんかこう……違うんだよ」
「へぇ」
「妊娠すると食いもんの好みが変わったりするって話だけどさ、これはそういう外面の話じゃねえのよ。なんつうか……色香ってやつ?」
「ほう」
「そうそうそれだ色香だ! 二十をいくつか超えたくらいの小娘がさ、こうむんむんと匂い立つような色っぽさを醸し出してるんだ。どうしてだと思う?」
「さあなぁ」
「腹の子だよ腹の子! まだ産んでもいないのに溢れる母性! 結婚してからもなんか不安そうにしてたリディアだけどさ、子供ができてからはどっしり落ち着てきてさぁ! これが母の力って奴なのかねぇ!」
「ふぅん」
「椅子に座ってお腹撫でながら微笑んでるの見てると抱きしめたくなるんだよ。抱くんじゃなくて抱きしめる。この違いわかる? わかるか? いやわからないかもなぁ独身には!」
「はっはっはっ」
交易都市ハスカールも落成式が間近になってきている。一部の執務室や会議室、資料保管室なんかは既に利用が始まっていて、村の役場から段階を踏んで業務を移行していく予定である。
そのため村の方では年末大掃除もかくやというほどの大混乱が生じているのだとか。なんでも改めて確認した過去資料に食い違いが見られるとかで、今頃擦り合わせのために役場の人間総動員でてんやわんやになっている。やれ数字が汚くて読めないだとか、署名が誰のものかわからないとか、倉庫をひっくり返したら予算を使って私物を買い込んだ痕跡が見つかったりだとか、他にも問題が続出なんだとか。
中心人物はドナート執政の片腕ゲイル氏で、昨日酒場で見たときは死にそうな顔色でオートミールをかき込んでいるところだった。強く生きろ。
そして今、お披露目前の真新しい会議室の一つで、のろけ節を炸裂させるアホが一人。
誰あろう、うちの団長である。
「男か女かどっちだろうなぁ。名前は何がいいと思う? ――いや待てやっぱ俺が考えるから。むしろ黙って――」
「団長」
「ん?」
「うるさい黙れ禿げ散らかってろ」
「ほんとうるさいわ。いい加減にしないと次の子供の顔も拝めないように股間の逸物もぎ取って焼き捨てるわよ」
「おぅ……」
俺とエルモの集中砲火を食らい、今度こそ団長イアンは沈黙した。
さて、幾分か気が紛れた喪男喪女の二人で本題に入るとする。相手は議長席で黒幕のように手を組んで鎮座するドナート執政。議題は今回降って湧いてきた、辺境伯令嬢の護衛任務についてである。
「――大体にして訳が分からない。どうして外様の俺たちが半島の姫様なんて大物を護衛する羽目になるんだ?」
「同感ね。言っとくけど、私達要人警護の訓練なんて積んでないわよ? こんな話が回ってくること自体がおかしいじゃない」
――昨日アーデルハイトが持ち込んできた依頼は、それは頭が痛くなる代物だった。内容は一定期間、辺境伯令嬢アリシア・ミューゼルを護衛するようにというものである。
事の端緒は、辺境伯に仕えるプレイヤーが掲示板でアリシア・ミューゼルの暗殺計画を発見したことから始まった。内容としてはハスカールの落成式を利用して潜入し、式典のどさくさに紛れて辺境伯あるいは令嬢を暗殺しようというもの。
露見した当初の領城はそれはもう大騒ぎに陥ったという。何しろ日付から見て暗殺者の潜入はとっくに終えていると見ていい。あとは引き金を引く段階というところでこれでは、辺境伯一家の交易都市落成式出席すら危ぶまれる事態である。
しかし、半島の都市の式典に辺境伯が出席しないようでは、彼の半島支配にケチがつくようなもの。下手をすればハスカールの収益目当てのルフト王国側から横槍が入り、無駄な混乱を呼び込みかねない。
結論として、この暗殺計画が政治的決着を見るまでの間、予定を変更することなく護衛を厚くすることで対応しようというなあなあな方針に定まったというが――
「――今回の暗殺計画だが、いくつか不明瞭な点が散見される」
重苦しい表情で眉間を揉み解し、ドナートが言った。
「この件に関与している暗殺者は、恐らく『教団』の手のものだろう。『掲示板』とやらで確認された文面に、『導師』や『藁を配置』といった文が散見されたと聞く。あの教団はやたらと藁を信奉する傾向があるから、恐らく彼らの犯行で間違いはない。
垣間見えた暗殺計画を見るに、相当の規模で計画された大がかりなものと推測できる。既存の警護体制では掻い潜られる算段がついていると見るべきだ」
「だからって俺たちが? はっきり言って外様の俺たちにそんな大役――」
「外様だからこそ、だ。辺境伯はこれを機会に、我々を試す気でいるのだろう。本当に自分に心から従属する気があるのか。そして我々に果たしてどれだけの力があるのか」
涼しげな口調のまま、ハスカール執政は言い捨てた。アリシア・ミューゼルは一種の捨石であると。たった一人の娘を掛け金にして、辺境伯がこちらを試しにかかっていると。
「護りきれるならそれでよし。護れないのであれば団長の信は失墜する。子供はまた作ればいい。そして預けた娘を利用して我々が挙兵でもしようものなら、我々を根こそぎ焼き払う大義名分が立つ。晴れて交易都市は正式に辺境伯の支配下だ」
「やると思うか?」
「必要ならやる。それが統治者というものだ。――とはいえ、これは最悪の想定ではあるがな」
かつ、かつ、と指先で自分の義足を叩き、片眼鏡の位置を直す動作はストレスを感じたときの癖だ。
「先も言ったが、この暗殺計画には不明な点がいくつかある。教団が本腰を入れる割に、この娘を殺したところで利益を得られる人間が多くない点。そもそもどうしてリークが起きたのか、という点」
「珍しいのかしら? こういうリークは」
エルモの上げた疑問に執政が答えた。
「暗殺教団が成功させた要人暗殺は王族にまで及ぶが、このような形で計画が漏れたことなど皆無だ。そして漏れたからには計画は頓挫するようなものだが、領都からまとまった人員が減った痕跡はない」
「やる気まんまんね」
警戒されてもなおやり遂げるという熱意の表れか。やられる側としては迷惑この上ない。
執政は暗殺計画が未だ続行中であると結論付けている。
「――――さて、猟師。今回の護衛任務だが、貴様の猟兵を主体として行う。これは辺境伯たっての希望と竜騎士ルオンの推薦によるもので、貴様に拒否権はない。理解したか?」
「ちょっと何言ってるかわからんよ」
つーかあのおっさん何してくれてるんだ。




