身に覚えがございません
十月の半ばの、とある昼前の話である。
「――失礼する。貴殿は猟師のコーラル殿でよろしいか?」
「は……?」
今年の収穫を集計してまとめた書類を提出し、帰りに領城の廊下を歩いていた俺は、突然背後から掛けられた声に振り返った。内心とんでもなく驚いて。
ハスカールが辺境伯傘下に編入されてから、数度ほど領城に赴く機会はあった。しかし、基本アーデルハイト以外の領城の人間は俺を見ても遠巻きにするばかりで、こうして話しかけられることなどこれまで皆無だったのだ。
そんなわけだから、いきなり背後から重々しい声で誰何されたときの驚きといったら……危うく飛び退くところだったほどである。これが貴族相手だったら無礼討ち待ったなしではあるまいか。
内心の動揺を取り繕って振り返り、改まった態度を意識して俺は声の主に返答を返した。
「ええ、猟師のコーラルは私です。……失礼ですが、あなたは?」
「おお! これは失礼した。手前は辺境伯直属竜騎士、ルオン・マイヤーと申す」
声の主は、見た目からしてむくつけき野郎でござった。
歳の頃は四十の半ばかそこらだろう。中背ながら鍛え上げた筋骨隆々の体つきは巌のごとく、どっしりとした足腰も相まって重量感が半端ない。黒々とした髪は白髪こそないものの、やや後退が始まって物寂しい。……これは発毛薬を進呈するべきか?
張り出た額やえらの張った顎、げじげじ眉毛に筆髭と、これでもかとおっさん要素をてんこ盛りにしたような中年男性だった。脂ぎった顔が印象深い。
「一度立ち話でもよいから話をしてみたかったと常々思っていたところです。……む、往来の邪魔か。――歩きながらで構いませんかな?」
「ええ、では失礼して」
廊下を行き交う役人を見咎め、男は軽く手を振って行き先を促した。
聞けば彼も厩舎に用があるらしく、城門まで行く俺と道はほぼ同じだった。のんびりと歩きながら世間話でも、と言われれば断る理由はなかった。
……しかし、竜騎士か。
アーデルハイトとは親しくしてはいるものの、それ以外の竜騎士と口をきいたことなど一度もなかった。それも当然、こちとら一度辺境伯と痛烈に敵対し、あまつさえお仲間の竜騎士を一人惨殺した人間である。あちらとしても毛嫌いする理由はあっても仲良くしたがる理由はあるまい。
そういうわけで、この領城で竜騎士が俺に声をかけてきたという状況は、はっきり言って理解の範疇を超えていた。
……って、いやちょっと待て。
ルオン・マイヤーだと?
「――確か、竜騎士の再編があった際に真っ先に辺境伯に領地を返上したとかいう、竜騎士ルオン?」
「光栄ですな、ご存知でしたか! いやぁお恥ずかしい話ながらその通り。我が家は代々ドラゴンにばかりかまけて領地経営が苦手でしてな。まともな収益が上がらず首が回らなくなったところで辺境伯のお声がかかり、これは渡りに船だ、と」
みっともない話で有名になりましたなハハハハハ、と快活に笑い声を上げるルオン氏だが、こちらとしてはそんな場合ではない。
アーデルハイトに先立って辺境伯直属に収まった二家の竜騎士、ミーディスとルオン。あの娘からは、くれぐれも粗相がないようにと言い含められていた、領主の懐刀も同然の腹心である。
なんだってそんな大物が俺に声をかけてくるのか。ここがそういうお店ならすぐさまチェンジを申し込みたい。言っちゃなんだがワタクシただのちんけな猟師ですよ。お仲間をぶち殺した経緯はあるけれど辺境伯から赦免の書状は頂いておりますよ。
「いやいや。ただの猟師に魔族が殺せるなら、我々竜騎士は一体何なのかという話になりますな」
「…………口には出してないはずですが」
「腹芸が苦手なようですな。それでは今後お偉方とやり合うときに難儀しますぞ?」
「御冗談を。一介の猟師がやんごとなき方々にずけずけと物言う機会など、半世紀に一度あれば充分です」
「ほう?」
言って、マイヤー卿は面白そうな表情でこちらを見つめた。
「……手前はそれなりに人を見る目を養っておるつもりでしてな。人となりを見れば、その人間がどのような道を選びたがるか自ずと知れるというもの。
確言しますが、猟師殿。貴殿は必ずや、いつかと同じように再び不遜を働く。次はきっと、更なる大舞台で。……察するに気骨がそうさせるのでしょうな」
「ひょっとすると、喧嘩を売られているのですか?」
じとりと目を据わらせて睨みつけると、竜騎士はカラカラと笑って首を振った。
「いや失礼。十年以上前に貴殿が辺境伯に切った啖呵が忘れられなかったもので、つい。――『次は、部下の首だけで済むとは思わないことだ』」
「……返す返すも、ご無礼を」
「いえ、気にしてはおりません。……あの時の手前も三十路に差し掛かったばかりでしてな、幸いなことに、ドラゴンに乗る才能は常人よりあったらしい。内心、稚拙な乗り手だったあのハルト・ロイターを見下す気持ちもなかったとも言えない。気付けば傲慢の道に己から踏み外れようとしていた。
だからでしょうな。あれが殺された瞬間、思ったものです。――――明日は我が身だと」
結構長々と話し込んでいたらしい。ゆったりと歩きながら話していたというのに、もう城門が見えてきた。
「猟師殿。あのスタンピードから十年以上が過ぎとります。あの時あの謁見の場にいた竜騎士も、五人に一人は代替わりした」
「それが何か?」
「気負い過ぎてはおりませんか? あるいは、竜騎士から憎まれていると一人合点して距離を置いているとか」
「――――」
思わず黙り込んだのは、図星を差されたと暗に言ったようなものだ。
そんな俺を見て、男は嘆かわしげに首を振った。
「大きな間違いですぞ、猟師殿。確かにあの件を恨むものが皆無とは言わない。しかし気に留めていない人間の方が多いのです」
「ほう。あの警告を忘れてしまったと」
「まさか。むしろ忘れられないから、ですな。――法と良心に従い騎士道を歩む限り、貴殿が牙を剥くことはない。ならば無駄に脅威を気に病むよりも、己の正道に邁進すれば済む話、と。
当の若いロイター卿にそこまで言われれば、我々とすればいつまでも過去を引き摺って居られない」
……ハイジめ、無駄にハードルを上げやがって。
法にも騎士道にも碌に造詣のない俺に何をどうしろというのか。あとでいろいろお仕置きしてやる。
溜息をついた俺に竜騎士ルオンは言った。
「度の過ぎた遠慮は確執を深めるだけ、というやつですな。――今度、若い連中も誘ってどこかに呑みに行きましょう。大抵の下らない悩みなど、酔っぱらって一緒くたに潰れてしまえばどうでもよくなるものです」
「そーですかい。――あぁ、私はこれで」
確か厩舎は城門内側の、もっと道の逸れたところにあったはずだ。だからここでこの竜騎士とはさよならである。
俺は潜り戸を守る門番に会釈しつつ立ち止まり、改めて男と向き合う。
「――なかなかに興味深いお話でした。今後竜騎士の皆様とのお付き合いに際して参考に致します」
「なんとも塩辛い社交辞令ですな。早く帰りたいと全身で語っているような。……何かお気に障りましたかな?」
「さて、別段何がというわけでも。敢えて言うなら――」
そこで俺は一旦言葉を切り、外套で隠れて見えない男の手元に視線を向けて、
「――左手で剣の鞘を握りしめて今にも鯉口を切りそうな相手の前に立つのは、さすがに神経が削れますので」




