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PHOENIX SAGA  作者: 鷹野霞
闇に踊る護り手
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赤い姫騎士

「――第三紀に起きたエルフの大陸撤退は、その実ドワーフの地下王国が仕掛けた謀略が契機になっているとされています」


 領都ジリアン――辺境伯が住まう堅城のとある一室にて、歳若い女性の発する声が響いた。

 若い女だ。若草色の髪に同色の瞳、切れ長の目元は思慮深げに手元の書物に向き、物静かな雰囲気も相まって侵しがたい空気を醸し出している。

 机を挟んだ女の対面には一人の少女が椅子に座り込んでいた。十歳ほどの見た目で、燃えるような赤い髪を適当に三つ編みに伸ばし、同じく赤い瞳は好奇心に大きく見開かれている。背丈が足りずに浮いた両脚は椅子の足の狭間をぶらぶらと泳いでいた。


 ……やはり、緊張は抜けない。

 慣れない教師役を引き受けたはいいものの、どうしたものかと途方に暮れる気分だ。


 教本に目を通しながら若草色の女――アーデルハイト・ロイターは軽くため息をついた。

 自分は確かに半島の中でも魔法に長けているという自負は持っているものの、別に座学が得意というほどのものでもない。特に生徒役にこんな大物――辺境伯令嬢アリシア・ミューゼルを任せられたとなれば、正直気が気でなくなってまともな授業にならないではないか。

 普通、こういうものは専門の家庭教師を王都から招くのが筋ではないのか、と。


 しばし思考に沈んだアーデルハイトに、目の前の赤毛の少女が首を傾げた。


「ぼうりゃくって?」

「この場合は流言――嫌がらせに、相手にとって都合の悪い情報を流すことを指します。ドワーフはエルフの支配基盤を揺るがすため、当時被支配階級にあった人間族に製鉄技術を広めたと聞きます」

「鉄って、剣や槍に使う?」

「むしろ農具に使うための、と言った方が適切かもしれません。鋤や鍬、斧までもが、当時は鉄製のそれが許されず石器を用いていたのだとか。当然鉄を作ろうという動きは人間側にもあったはずですが、エルフの厳しい取り締まりにことごとくが阻まれていました」


 エルフ統治下の頃の記録は少ない。当時の記録の大半はエルフが森に引き上げてしまったし、人間側の記録も統制の対象で多くが見つかり次第燃やされたと聞く。

 当時エルフが行った、人間には一切の進歩を許さぬと言わんばかりの統制は病的な執念深さすら感じ取れるほどで、歴史的な観点から見ると実に興味深い。猟師も常々言っていたが、史料から読み取れる当時のエルフは、人間の技術的進歩を極度に恐れている節があった。……もっとも、その頃から生きているエルフは、聞かれたところで断固として認めないだろうが。


 とはいえ、今行っているのは単なる授業。突っ込んだ研究はその道の専門家や暇な『客人』に任せておけばいい。

 アーデルハイトは無用な思考を打ち切って、改めて目の前の少女に向き直った。


「エルフの目が届きにくい西の砂漠を初めに、各地へ向けてドワーフは行商と称して鉄器の売込みに走りました。……当然、その製法も含めて。

 砂漠や丘陵地帯、現騎士団領のブレンダでは、製鉄事業が盛んに起きてはエルフに潰されが繰り返され、しかし着実に技術は蓄積されていきました。これを重く見たエルフたちは、近い将来人間の統制が不可能になることを予期し、大陸からの撤退を決定します。――これがエルフの大陸撤退です」

「どうしてドワーフがエルフに嫌がらせをするの? それに、鉄の鍬が使えるようになったからってエルフが人間を怖がることはないんじゃないの?」

「いい観点です。起きた事象には必ず原因が存在し、それに疑問を持つことから学問は始まります。今の考え方をお忘れなきよう。

 ――ドワーフがエルフに敵対した理由ですが、詳しい理由は明らかになっていません。ただ、地下王国に対してエルフが領土的野心を抱いていたため、その対抗措置として人間による代理戦争をけしかけたのではないか、という説が有力です」


 古来からのエルフは鉄器を嫌うが、例外的にミスリルは珍重する。魔力との親和性が高い金属であるからと聞くが、しかしミスリルを好むからと言ってその採掘のためにエルフが地下に潜りたがるわけもない。

 だからエルフはドワーフに目をつけたのではないか。採掘技術に優れ、ミスリルの加工が可能な鍛冶の腕を持ち、魔法に造詣が薄いドワーフなら、当時の群を抜いた軍事力を誇ったエルフが圧力をかければ容易く隷従する――そう考えたとしてもおかしくはない。それほどにエルフとは高慢で貴族的な種族であった。

 ドワーフはそんな彼らを見透かし、地下王国に手出しができなくなるよう、鍛冶技術とともに反乱の種を人間の勢力圏にまいた。

 製鉄はドワーフの根幹ではあるが、別に出し惜しみするほどのものではない。何しろ彼らは当時、火薬だの磁石だのとそれ以上の代物を開発していたのだから。


「次に、鉄器の使用をエルフが恐れた理由ですが――生産面での理由と、軍事面での理由、二つが要因があります」

「二つもあるの?」

「おや、授業に飽きてきましたか」


 うげえ、という顔でアリシアが顔をしかめた。座学が嫌いなのはこの年頃の子供としては当たり前ではあるが、そんな顔をされると教師役のアーデルハイトとしては自分のやり方に自信が持てなくなってくる。

 アーデルハイトは苦笑しつつ口元に指を一本立てた。


「――では、今回はここまでにしておきましょうか。宿題として姫様は次回の授業までに、この二つの理由を考えて紙に纏めてみてください」

「えー!?」


 不満たらたらな表情でアリシアが叫んだ。


「宿題って、それじゃ授業で机に向かってるのと変わらないじゃない! ――ねっ、アーデルハイト! 次の授業はドラゴンに乗って空を飛ぶ練習にしましょう? それなら紙は要らないわ!」

「構いませんよ。宿題の提出は一週間後としましょう。それまでは飛行訓練ということで」

「だーかーらー! 宿題が要らないんだって!」


 悲鳴を上げながら机をどんどこと叩き鳴らす赤毛の少女。その姿はどこにでもいるやんちゃな少年少女という風で、この辺境伯領で二番目に高貴な存在とは思えないほどだ。

 

「ね、ねっ! 私、アーデルハイトのカッコいいところ見てみたいな! キップの良さっていうんだっけ? 大物チックな先生が見たいなー!」

「なら、飛行訓練は後回しにして数学の勉強を挟みますか? その分宿題の提出は先にできますよ」

「悪化してるし! ――――そうだ!」


 ぶうぶうと不平を並べて頭を抱えた少女は、次の瞬間目をきらりと輝かせた。


「……アーデルハイトって最年少の竜騎士なんでしょ? お父様が百年にひとりの才能だって言ってた!」

「もっとも年少なのは確かですね。――ただ、竜騎士の継承は才能とは無関係です。私としては、わずか三つの頃に赤竜様に認められた姫様の方が才能に溢れていると――」

「そうじゃなくて! やっぱり竜騎士なんだからドラゴンを第一にするべきだと思うの! 今のうちからドラゴンに乗る練習しておかないと、三日後に来る恋人(・・)にカッコ悪いところ見せちゃうかもだし!」

「なん……!?」


 その言葉をかけられてからのアーデルハイトの変化は劇的だった。流暢だった口は絡まったようにどもり、顔は紅潮して耳まで真っ赤になっている。


「なんっ、何を仰いますか姫様は!? 別っ、べつにコーラルは恋人というわけでは――」

「コーラルさんっていうんだ? みんな猟師猟師って呼ぶから名前なんか知らなかったんだ」

「が……!?」


 パクパクと開閉する口から湯気が出てきそうだ。


「…………どこからその話を?」

「お城の衛兵の人達。いつ結婚するんだろうって、みんなして噂してるよ?」


 ニヤニヤと口を歪める赤毛の少女は、きっと悪魔の生まれ変わりに違いあるまい。辺境伯の御令嬢は妖精のすり替えにあったのではなかろうか。

 アーデルハイトは引き攣った顔でそんなことを考え、改めて少女に向き直り、


「……姫様。その件についてはあくまで個人の――」


 その時のことである。


「――ハッハー! 通りがかった扉からなんか天真爛漫っぽい声が! もしかしたらお偉いさんとの接触チャンス!? こうしちゃいられねえ、突貫突貫!」


 アーデルハイトの声を遮り、けたたましい掛け声とともに教室の扉がばしーんと開け放たれた。


「なにごとー!?」

「んー?」


 振り返る教師と生徒。視線の先には扉を突き破って棒立ちになった女が一人。ぼさぼさの黒髪に隈の浮いた目がやばい雰囲気を醸し出している、そんな不審者だった。


「おおう? その髪の毛の色、辺境伯閣下直属のロイター卿でした? ここで出くわすとはラッキーだわ」


 へへへへへ、と怪しい笑みを浮かべ、女は力尽きたようにその場にへたり込む。


「あなたは……」

「一大事です、竜騎士閣下。姫様に向けた暗殺計かく、が……」


 最後まで言え、せめて。

 アーデルハイトが突っ込みたくなるのも無理はない。不審な女はへたり込んだまま、いつの間にか扉にもたれてでぐうぐうと気持ちよさそうな寝息を立てていた。

 起きる気配は、一向にない。


「一体、何が……」

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