とある魔法使いの場合
ルフト王国第一王子の教育係であった宮廷魔術師筆頭オーサーは、王子の成人とともに正式に一線を退き、本格的に王子の相談役として傍に仕えることとなった。年齢にして七十余り。奥義を得たというわけでもなく、魔法威力に突出した才能を持っていたわけでもない老人であったが、他の追随を許さぬ詠唱速度は極めて実践的であり、彼の速度に至る人材は魔法学院にいまだ登場していない。
オーサーの引退に伴い、新たな筆頭に就任したのが次席のマクスウェルである。齢四十を目前にして光以外の魔法をAランクまで極めたその才覚は、魔法の実力だけならオーサーを上回るものと噂されている。
マクスウェルの筆頭就任式当日はリザードマンの侵攻というアクシデントが発生するも、つつがなく引き継ぎは完了し、新たな筆頭による体制は一年がかりで移行が完了した。
――そう、移行したのだ。言ってしまえば人事異動。老禿は栄転などと嘯きつつ窓際閑職に左遷され、空いた役職にはマクスウェル子飼いの若いエリートが投入される。組織には新たな風が吹き込み、若々しい姿を取り戻していく。
別に悪い話ではない。マクスウェルは実力主義で、元から宮廷魔術師であった前任者も有能であれば遠慮なく取り込んでいく。反面歳だけ食った老害には容赦しないが、彼の処断っぷりは宮廷魔術師団の大半に好意的に受け止められ、筆頭は歴代稀に見るほどの支持を集めていた。
しかし、よく考えてみて欲しい。
『聖域なき改革』、『痛みを伴う前進』。――まるで二十一世紀初頭のライオンヘッド総理のような標語を掲げるリーダーが、身内にかける容赦を持っているのかということを。
皮肉にも彼は誰に対しても平等だった。有能なものは引き立て、劣っているものは遠ざける。傾向の似通った人材は比較して優れたほうを採用した。
……予算の都合上、希望する全員を抱え込むことはできない。納得できる理屈ではあるものの、切り捨てられる人間にとっては溜まったものではなかった。
一年前、王都から去ったシャンテもその一人だ。ログイン直後からマクスウェルの元で人体実験紛いの研鑽の日々を送り続け、ようやくものになって出世できるかと自負を持ち始めた頃。できれば専用の研究室なんて欲しいなーなんて同僚と笑いあっていたときのことである。
新たな筆頭から配属命令を受け取った。
――――『客人』シャンテに対し、平の魔導兵として近衛軍への配属を命じる。
訳:お前に用意できる研究職のポストねーから。
即行で辞表を書いてマクスウェルに叩きつけた。軍属なんて誰がやるのかと。ついでに火球の一つでも顔面にぶち込んでやりたかったが、魔法使いとしての格はあちらの方が桁違いに上だ。返り討ちになるのが目に見えている。
どうやら新たな筆頭はシャンテの専攻――付呪魔法がお気に召さないらしい。
シャンテは荒事が苦手だ。――いや、本当はそれを期待してこのゲームを始めたのであるが、戦闘のあまりのリアルさに心が挫けて内勤を望むようになったヘタレプレイヤーの口である。
だってそれも仕方ない。このゲームときたら他のVRゲームと違い痛覚設定がシビアに過ぎるのだ。マクスウェルにやらされた爆散実験では二度と経験したくない痛みを味わったほどである。
しかし設定を下手に弄れば、痛みが緩和される代償にスキルの伸びが悪くなるし動きの精度がガタ落ちする。おかげで痛みの伴わない職人や料理人プレイヤーの痛覚設定はリアル準拠である。そしてあれでなにも弄らずに戦闘に明け暮れているプレイヤーは頭がおかしい。
錬金術、魔法開発、召喚術、対魔法……優に十以上ある魔法の研究分野のうち、シャンテの専攻は付呪である。武器や防具に対して麻痺やスタミナ減退、炎や帯電を付与する分野で、そこそこに軍事と関連の深いものと言ってもいい。
しかし――関連深いからといって問答無用で軍閥に繋がりがあるとみなされるのは心外の一言だ。マクスウェルは疑いの目を向けてきているが、彼女からすればあんたの実験に付き合ってきたせいで外部の人間からはマッド研究者扱いを受けて、ろくに友人もできないのだと抗議してやりたかった。
それにシャンテは知っている。マクスウェルはなんだかんだで生粋の魔法至上主義者だ。身体を使って戦争する兵隊を見下していて、戦争など大規模魔法をぶっ放せば一時間で片が付くものだと信じている。
それを思えば付呪武器の担い手ありきの付呪魔法は、兵隊に戦果を横取りされる目の上のたんこぶに等しいのだろう。彼女を目障りに思ってもおかしくはない。その気持ちはわからないでもない。
……しかし、共感はするが同意はしてやらない。ふざけんな十年以上もこき使いやがってその報いがこれか。
掲示板に野郎の悪口雑言を書き殴り、研究材料として管理していた王国軍の制式武器を片っ端からインベントリに放り込んで逐電した。傍目からは軍へ持参する手土産を物色する体を装っていて、後日宮廷魔術師団と近衛の関係がギスギスしているとの噂を聞いて溜飲を下げたものである。
王都を出れば一目散の逃避行だ。ともすれば手配書が回っているかもしれないと考えると居ても立ってもいられず、一刻も早く直轄領を出る必要に駆られたのだ。
選択肢は王国の影響力が弱まる場所で、砂漠、騎士団領、ルイス群島海域、地下王国、瘴気島、そして半島があり、結論としてシャンテは半島を選んだ。理由は特にない。強いて言うなら、治安の悪い前三つは遠慮して、汗臭い印象のある地下王国を敬遠し、距離的に無事に辿り着ける予感がしない瘴気島を除いた消去法である。
辺境伯との雇用契約はそこそこ順調に進んだ。プレイヤーが多数所属している新興の交易都市であるハスカールを取り込んだとはいえ、やはり彼らは彼らで派閥を作っているらしく、辺境伯は自身の子飼いのプレイヤーを喉から手が出るほど欲していた。
そこの魔法学院出身という肩書を盾に交渉に臨めば、これこの通り。
シャンテに与えられた身分は特務魔導兵兼事務役人。通常は繁忙期の役所の仕事を手伝いつつ、手が空いた時間は付呪の研究に充てられる。研究成果と称して付呪を施した武具を定期的に提出すれば、軍務を果たしたとして兵隊として戦場に出る必要もないという寸法だ。
素晴らしきかなデスクワーク。さらばブラックようこそホワイト。
衛兵に持たせる微弱な麻痺効果付きの警棒程度なら二日で一本作成できる。しかし上司には鯖を読んで三日と報告している以上、残りの一日は余暇に充てることができるのだ。引き籠ってダラダラするのもよし、エルフの森から砂糖を輸入して王都より遥かに安価になった甘味処を回るのもよし、内海の海鮮グルメを堪能するのもよし。貰える給料は控えめなものの、貯蓄を考えなければ日々のささやかな贅沢くらいは問題ない。
シャンテは喜んでこの半島を終の棲家と定め、粉骨砕身とはいわないもののそれなりに熱心に辺境伯に仕えることに決めた。
――――が。
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「いや、どうすんのよ、これ……」
前日は遅くまで兜に火属性耐性を刻む作業に掛かりっきりで、今日は昼過ぎまで寝ることに決めていた。それがこの有様である。
既に日は天頂を過ぎ、十月も半ばなこの季節は日の入りまでそれほど時間もない。そんな中、自室のベッドから起き上がったシャンテはげんなりと頭を抱えた。
原因は睡眠中に巡回していた掲示板の、とある誤爆レスである。
……どうしよう。見なかったことにしたい。
でもきっと他のプレイヤーも気づくだろうし、だったら報告は早い方がいいだろうし……。
「……ええい、仕方ない。兜も出来上がったし、提出ついでに行ってくるか」
机に広がった書類を掻き集め、作業台の兜を殴るようにインベントリに放り込む。
兵舎を慌ただしく飛び出る彼女の顔は、マクスウェルに爆殺されて以来の強張りを見せていた。
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864.名無しのヒューマン
で、どうやって殺すのよ?
辺境伯令嬢っつったら毒見役とかいるだろうし毒殺とか無理っぽくね?
寝込みに乗り込んでダイブ暗殺決めるにしても、逃走経路確保してないとただの自殺よ?




