君の名は
「これは……まずい……」
絹のワイシャツに天鵞絨のベストとジャケット。頭には小粋な羽根帽子。
姿見に写った自分の姿を見て、俺は思わず顔を引き攣らせてぼやいた。
……何が不味いって、最初に試着してみたときと全然印象が違う。何というか、全体的に崩れた印象があるうえに学芸会の仮装のような場違い感が漂ってきている。……ううむ、これが服に着られるという感覚か。
ここは専門家の助言を仰ぐべきだと戦略的判断。またの名を丸投げという。
着替えに使わせてもらっていた一室の扉から首だけをだし、俺は屋敷の持ち主にSOSコールを送った。
「なあハイジ、ちょっとこれ見てくれないか? いや、このスカーフ結び方が全くわからなくて……」
「コーラル? ――あぁ、少し待ってください」
ぱたぱたと駆け寄る音。現れたのは若草色の髪をなびかせかっちりとした男装に身を包んだ、こんなときに頼りになる竜騎士の少女である。足元にはどうしてか首にリボンをちょこんと結んだ蜥蜴が追従している。
そんな彼女は俺の格好を見るや盛大に顔をしかめた。
「……なんですか、その無茶苦茶な纏め方は」
「仕方ないだろう。こんな首に巻き付ける装飾品なんて学生時代の就活以来だ。あれですらほとんどうろ覚えだってのに、こんなアスコットだのジャボだのよくわからん代物なんざ扱いようがない」
これを思えばネクタイって相当簡略化された礼装だったんだなぁ、と遠い目になる。着物の着付けくらいなら難なくこなせる俺でも、さすがに西欧の襟巻は専門外です。
こうだったっけ、いやこうか、と試行錯誤を重ねていると、見かねた様子でアーデルハイトが溜息を吐いた。
「……あぁ、もういいです、触らないでください。これ以上は皺になる。――こちらを向いて少し屈んで」
「む……悪い」
するりとスカーフが抜き取られ、改めて首に巻き付けられた。首筋が細い指先に撫でられてくすぐったい。
なされるがままに身体を傾けていると、ふと気が付けば目の前には少女の顔があった。俺の首に意識を集中していて俺の視線には気付かないようで、化粧のせいか頬がわずかに赤みがかっている。
……そういえば、こんなに近くで顔を突き合わせたことなんかなかったっけ。
腕を掴まれたり組み手に付き合ったりといったことはやってきたが、こんな風に手を伸ばせば抱きすくめられるような距離で向き合ったことはないはずだ。
そう思うと、何やら新鮮な気分になってくる。今まで意識してこなかったが、彼女の首元から立ち昇ってくるほのかに甘い……あれ?
「この匂い……鈴蘭の香水か――――ぐぇっ!?」
おいっ絞まっ首っ……!?
「なん、な、なに、何を言って……!?」
お前こそ何をやるか!
渾身の力を籠めてスカーフを締め上げてきたアーデルハイトの顔は、どういう理由か真っ赤に染まっていた。というか苦しい苦しいスカーフまで千切れる!?
「いいいいきなり何を言い出すのですか貴方は!? 婦人の匂いを嗅いで喜ぶなど変質的です!」
「ぐぎぎいや鈴蘭は好きな花だから特に印象に残ったというかそもそもお前そんなに香水つけないタチじゃ絞まる絞まるギブギブギブ!」
「日ごろから私の何を嗅いでるのですかこの変態っ! どうしてこういう時に限って察しがいいんだ……!?」
――十分後、そこには失神寸前で膝をついてくずおれる猟師の姿が。
もう二度と女性の香水を褒めたりなんかしないよ……。
「褒めたのに……褒めたのに……」
「コーラル……その……」
傍らで少女が気まずげに目を逸らす気配。……いや、確かに女性の匂いを勝手に嗅ぐのは不躾だとは思いますよ? だが俺を取り巻く環境のことを考慮して頂きたい。あの狼ども挨拶代わりに人様にに鼻先を押し付けてくるものだから、ついついその風習が移ってしまったというかなんというか……言い訳になってない? ですよねー。
「……うん、なんというか、すまんかった。デリカシーに欠けていた」
「いえ、別にそこまでは……」
「あー、もうそろそろ時間だ。 道が混む前に出るとするか?」
「…………そうですね」
切り替えよう、切り替えよう。
アーデルハイトの身支度が終わっているのを確認して、屋敷の出口へと向かう。幸いなことに外は快晴で、出歩くにはもってこいの日和だ。
――――と、忘れるところだった。
「ちょっと待った」
「コーラル?」
インベントリを展開。目当てのものを引き出して、肩から羽織って首前で留める。……ううむ、久々に身に着けるがやはり派手派手しい。似合ってないなら笑うがいいと開き直る。
突然俺が身に着けた外套が気になったのか、アーデルハイトが声を上げた。
「コーラル、その外套は?」
「俺が持ってる中で一番派手な外套だ。――めでたい日なんだから、多少傾いたくらいがちょうどいいだろう?」
紅い布地に金の縁取り、背中の中央には盾と交差する斧と剣が描かれている。
先代の遺産の中で、これだけがあまり使い道がなかった。こういう時にでも使ってやらないと。
「確かに、その外套があると印象が変わりますね。……ですが、礼服との色の取り合わせが悪い。仕立ての時点でこれがあるとわかっていれば、他にやりようがあったはずですが」
「ど忘れしてた。まぁ、どうせ成り上がり者にセンスを期待してる連中はいまい。それに――」
「それに?」
「…………いや、何でもない」
なんですかそれは、と頬を膨らませるアーデルハイト。しかしそんな彼女の首元にだって、場違いな藍色のマフラーが巻き付いている。あえて突っ込みは入れないが。
返答代わりに口端を歪めて、俺は少女の前に腕を差し出した。
――さあ行こう。今日は団長の結婚式だ。
●
石畳を踏み鳴らしながら領都の街並みを進んでいく。今日の式に向けて領都の教会から鐘の音が鳴り届いてきた。
頭上を見上げれば、建物に区切られた青天の空に色とりどりの花びらが待っていた。風に吹かれて縦横無尽に舞い上がる花弁は、この時のために辺境伯が用意したものなのだという。
上空で風魔法を行使し花弁の気流を作っているのは、辺境伯が在野から抱え込んだ数人のプレイヤーの魔法使いだ。何でも王都の方で人事異動があったらしく、魔法学院を離れる人間がそれなりにいたのだとか。順調に陣営の強化が進んでいるようで何よりである。
「――そういえば、イアン団長はどちらの出身なのですか?」
傍らで腕を絡めながら歩くアーデルハイトが言った。
「何度か話をする機会がありましたが、物腰は平民出身と思えないほど洗練されていました。付け焼刃にはとても見えなかった」
「ふむ……」
顎に手を当てて考え込む。……あの団長の故郷の話など、いつ話題になったっけ。
「確か、副団長の話だと旗揚げは騎士団領だったそうだ。それ以前の経歴は語りたがらないのだと。昔の団員なら知ってる奴もいたかもしれないが、スタンピードでだいぶ死んでな。今や団長の過去を知る人間はいなかったはずだ。
ただ……そうだな。生まれについては知らないが、剣術についてはそれなりに推測できる。――商家か武家か、どこか恵まれた環境で幼年から系統だった鍛錬を受けている」
「とすると、やはり騎士団領の?」
「さあ? そこまではわからんよ。どんな因縁があるのか、あれ自身が語りたがらないんだから。
だから、わざわざ家名までこっちで用意する羽目になった」
「家名を?」
目を瞠った少女に頷きを返す。……あの団長、それなりの育ちにいたんだから元の苗字を名乗ればいいものを、頑なに生まれを明かそうとしないのだから困りものだ。あの調子だと、きっとイアンという名自体も偽名だろう。
おかげで団内部でアンケートを取ったり辞書を首っ引きしたりと、てんやわんやであいつの苗字を考える事態になり、随分と兵舎と会議室が騒々しくなっていたのが印象深い。
「安易に二つ名をもじってアイアンウォールにしようとしたら名前と被るから嫌だとか言われたり、適当にアドルフとかヘンケルとか付けようとしたら平凡すぎるから嫌だとか言われたり。……一体どこの中学生だと」
かといって日本人名のように根拠地から貰って『ハスカール』を名乗れば、都市を領有する気かと役人から難癖をつけられかねない。政治とは難しい話である。――本人は相当悔しがっていたが、あれは単に名前の響きが気に入ってるだけだろう。
ヴァリャーグ、ヘトマン、フサリアに果てはハガクレ。――色々と良さげで意味ありげな名前を提案してみて、その中から団長が気に入ったものを採用し、やっとこさ招待状の作成に取り掛かった。……式の八か月前の話である。
「それで、今の家名を名乗ることに?」
「その通り。――――自由の闘士。イアン・ハイドゥクが今のあいつの名前だよ」
これの由来をこの大陸の人間が知っているかどうか――それは運命のみが知る。
「――さて、教会が見えてきた。……よその人間の結婚式だからって、来賓席で居眠りしないように」
「誰に向けて言いますか」
くすりと笑って俺の胸を軽く小突き、アーデルハイトは離れていった。
イアンとリディア、二人の招待客の入り口は分かれている。俺も遅れないよう、反対側の入り口に向け足を速めた。
鐘の音が鳴る。
重々しく荘厳な音色は、きっとハスカールにも届いているに違いない。




