敵対
「ひひっ、くふふふひヒッひひっ……。
そうか、やはりあれは生者であったか! 予想通り、予想通りよ……!」
突然、目の前の女が豹変した。
口端を裂けるかというほど歪に吊り上げ、見開いた目は喜悦に染まっている。
外見から見られるあどけない少女といった面持ちは欠片もない。醜悪な我執の塊がそこにいた。
「お前……」
知っている。
この手の空気を纏う人種を、わたしはよく知っている。散々殺してきた相手だ。
不死を目指す狂科学者、かつての栄光を取り戻すため一族全てを肉塊に変えた東欧の貴族、街一つを廃墟にして外への門を開こうとした神狂い。
そして――――この世界で出会ったあのヴェンディルと、この女はまるで同じ価値観を有している――
「はてさて! 儂ですら確証を持てなんだ事実をよく掴んでくれたわ! どのような絡繰りをもってか明かしてもらいたいものじゃが……いや待て。
なるほど、先ほどからお主の手を伝って儂の首に入り込もうとしておる糸、これが関係しておるな?」
「――――っ」
何も仕掛けないうちに見破られた。歯噛みする思いを押し隠す。
やはり繰糸は健常な相手にはかかりが悪い。心身ともにある程度痛めつけなければ、全身に行き渡らせることすら困難だ。
――糸を繋げ操るものであるという特性上、若槻は物と物の霊的な繋がりを把握することに長けている。それもあって、このゲームがプレイヤーの魂を誘引して儀式内に送り込む代物であることを早い段階から確認することができた。
その中にあって、『転生者』を名乗る柊軽馬の状態は、彼自身が語るそれと乖離していた。
ラインが繋がっていた。あの少年の魂から、この世界の外側へと伸びるか細い脈が。
他のプレイヤーと違い、酷く歪で脆弱な印象を受ける細い線ではあったが、確かに繋がりはあったのだ。
それはすなわち、本人の認識はどうあれ少年は他のプレイヤーと同様に、肉体が生きているという証左に他ならない。
「答えろ。あれに一体何をする気だ。あれを使って一体何をする気だ……!?」
「そこまで考えておいて、カルマを殺さなかったのはどうしてじゃろうな? ――いや、お主の顔を見るに殺せなかったというのが正しいか」
顔をニヤニヤと歪めながらの指摘に、思わず心臓が跳ね上がる感覚を覚える。
……こいつは、見透かした面で一体何を――
「未熟! 迷いが目に浮かんでおるぞ! おおかた、あれの末路を知って殺意が揺らいだか!
カルマを泳がせた? 儂を炙り出した? もっともらしい口実よなぁ! 儂をどうこうすれば、あの憐れな子供を始末する決意が湧いてくるとでも思ったか?
――ハ、憐れはお主よ。これなら男の方が気骨が覗けたわ!」
「この――――っ」
「心配せずとも、儂はカルマに何か手を出そうとは思っとらんよ。儂が観測せねばならぬのは、カルマが全てを終えた後の話なのじゃからなぁ」
何を言ってるんだ、こいつは。
混乱するわたしをよそに、タウンゼイの同類は堂々と持論をまくし立てた。
「ゲームサービス開始と同日に、本社とほど近い場所で起きた轢死事故。当事者はこういった創作物に憧れを持つ中高生。――ここまで揃えばおあつらえ向きよ、体のいい被験体であろうよ。運営の連中は嬉々としてカルマを機械に繋げたに違いあるまい。
しかし考えてみよ。早朝の人身事故じゃぞ? 話を聞くに侵入側で加速が収まりきらぬ状態での事故。……そんなもの、生存できる確率の方が低いであろうが」
「――――」
「柊軽馬はいまだ生きておる! そう、未だにじゃ! むしろよく半日以上も持ったものよ。現代医学とは空恐ろしいのう!
――もっとも、生きているとは名目だけで、実際は脳髄が培養液に浮かんでおるだけやもしれぬがな」
あの事故現場を再現すれば、否が応でも確かにそう結論せざるを得ない。あの少年は遠からず死に至る。それこそ、たった一日延命できれば医術の奇跡と称せられるであろうほどに。
――そこで、ようやく理解した。この女が顔を歪めて心待ちにしているその瞬間が何であるのか、その悪趣味な魂胆を。
「お前は、あれの死に様を見世物にする気か」
「見届ける、と言ったであろう? 儂が興味のあるものはあれの死に様よ!
肉体からの繋がりがぶつりと途切れたその瞬間、一体何が起こるのか! その瞬間にこの世界からも消えるのか? 縛りを失った魂がこの世界に定着するのか? それとも糸の切れた風船のように異なる場所に飛び立つのか?
実に――――実に興味深いと思わんか!?」
「悪趣味な……」
「趣味を問われるなら運営以上の悪趣味はいまい? 使い捨てのできる被害者を誑かし、チートと称して魂を補強したうえでこの世界に放り込んだのじゃから!
10万倍! 10万倍の時間加速じゃぞ! タウンゼイですら平時の外部との接続を躊躇う加速差じゃ。無防備に手を伸ばし接触すれば、時間加速に持って行かれて魂が引き千切れる! そんな一か八かですらない自殺行為に向けて、運営はカルマを唆したのじゃ!」
何がおかしいのか、女はゲタゲタと笑って見せた。
瞳に狂熱を浮かべ、死臭を漂わせた女はなおも言う。
「しかしカルマは降り立った。人格に多少の損壊は見られるが、動き回る分には問題ない。――運営の実験は成功し、サービス開始から二十二時間にして次の段階に移ったというわけじゃ」
「次の段階、だと……?」
「さてな。あのゴブリンならいくらか予想も立てていようが、生憎儂には見当もつかぬ。――しかし、時間加速、構築したアバターへの憑依、肉体を放棄しての転移実験となれば……見えてくるものはあろう?
しかし、もはやどうでもよいわ。今の儂には、あの小僧の死に際を観測するという役目があるのでなぁ!」
「させると思うか……!?」
いい加減、我慢の限界だ。
ぎりぎりと首を締め上げ、手に持つナイフを首筋に突き込む。青白くか細い首は呆気なく斬り裂かれて――
「効かぬよ。そのようななまくらで儂の肌を傷つけられるものか」
「く――――っ」
通らない。
まるで玩具のナイフで分厚い肉を切り分けようとしたときのように、鉄製のナイフはこの女の皮膚を傷つけることすら叶わなかった。
「儂の肌を斬ろうというなら、せめて聖別した銀の短剣でも持ってくるがいいわ。それとも以前腰にしていた妙な短刀ならあるいは機があったやもしれぬが……どうして取り出さぬのかのう?
――あぁ。まるで、その姿ではインベントリが使えないようではないか!」
「この……ッ!」
ナイフなど無用だ。このまま首を捻じ切ってやる。
そう決断し、首を掴む手にさらに力を籠めると、
「――ふむ、お遊びに付き合うのもしまいとしよう」
首に食い込んでいる指が、ずぶりと肉に入り込んだ。
――否、これは違う。こいつは肉を失い始めている。
手応えを失う指先、行き先を失いすり抜ける鉄のナイフ。
実体を消し、霊体となった死臭の女は、透明な髑髏の顔で路地裏の空へ舞い上がった。
「――ではいずれ、機会があれば会うとしよう。それまで達者で暮らすがいい」
「逃げるか、死霊が!」
「おぉ、恐ろしや。お主ならばこの身体への対策など容易く考え付こう? ならばそうなる前に退散するが上策よ。
案ぜずとも、しばらくは半島には近づかんよ。そうさな……南東の果てにある瘴気島ならば、お主の目も届くまい? 精々内政チートとやらをカルマに堪能させてやるとしよう――」
何やら意味深な言葉を漏らしながら、死霊の女は去っていった。それを止める手段は、今のわたしには不足している。
闇の広がる路地裏に、抑えきれない舌打ちが響いた。




