人は死んで名を残す
ざくざくと穴を掘る。
作業からやや離れた場所には、地面に突き立てた無銘の木杭。いつか猪に殺された狼が眠る、俺だけが知るささやかな墓地だ。
――気が付けば、全てが終わったあとだった。
経緯はまるで覚えていない。目が覚めて初めに見たのは、歪な死に方をしている肉塊と表現するほかない二つの死体。そして腰を落として哀しげな瞳で俺を見る、薬の入った木筒を咥えた白狼の姿だった。
白狼は俺が目覚めたところを確認すると、咥えた木筒をぽとりと落としてぬっと近づき、俺の顔を舐めてふいとその場を去った。
それ以来、あいつの姿は見ていない。
一心不乱に穴を掘る。がち、と硬い手触りが返ってくれば石を掘り返して取り除く。
錆の浮いた円匙は山の土を容易く掘り返してくれる。これなら三十分とかからずに予定した深さまで掘れそうだ。
――何が起きたのか。まるで覚えていない。
いつの間にか気を失っていて、いつの間にか敵が死んでいた。
……理解できない死に方をしていた女が二人。まるで巨人でも現れて人形遊びをして帰ったような、そんな不可解な現場。まるで説明のつかない状況に、混乱は深まるばかりだ。
ただ――――殺すべきは殺した。たとえ俺がやったものではないにしても、望む結果を得たのなら納得はするべきだ。
初夏の半島はまだ涼しい。風が吹けば寒気を感じるほどに。
ただ、それでも力任せに穴を掘っていればそれなりの労働だ。滲んだ汗が額を伝い、顎から滴ってぽたりと落ちる。
暑苦しいキルト生地の服は脱ぎ去った。肌着だけになって作業に戻る。
――あの少年の死体は見つからなかった。どこかに埋もれているのか、あるいはまだ生きてどこかに潜んでいるのか、それはわからない。
……どうでもいい話だ。生きようが死のうが勝手にしろ。黒狼を殺した桃色髪は殺したのだから、これ以上の殺生は無駄の一言。わざわざ捜す手間が惜しい。
――――まぁ、それでも再び顔を見せるなら、今度は必ず殺してやるが。
穴を掘る。上半身どころかズボンの下まで汗でずぶ濡れで、布が肌に張りつく感触が気持ち悪い。
耕した土を踏みつけて靴が汚れた。……こんなに汚れるなら長靴でも用意して来ればよかったか。
――あのあと、領都の仕立て屋のところへ行って、出来上がった正装を受け取った。血まみれ傷だらけの客の姿を見て店主はひどく驚いていたが、そのあたりは災難だったと流してもらいたい。
心配しなくても大事に使わせてもらう。無駄にはしませんとも。
「――――あぁ、こんなところか」
適当な大きさに穴を掘り終え、俺は円匙を土に突き立てて額を拭った。途中で横合いから土の壁が崩れてくるというアクシデントに見舞われたものの、おおよそ満足いく出来だと思う。
何しろこれから埋葬するのは馬並に巨大な体躯を誇る大狼である。自然求められる穴も相応の大きさとなった。
広さにして三メートル四方、深さ二メートル半の大穴。これならあの黒狼も満足してくれるのではないだろうか。
……この身の丈以上もある深さから、泥だらけになってよじ登ることを考えると、いささか憂鬱な気分は否めないが。
「まぁ、身から出た錆か」
気を取り直して埋葬に移ろう。
インベントリから黒狼の遺体を取り出す。土の上に横たえた狼の顔は、眠っているかのように穏やかだ。
同時に麻袋も取り出した。中にはこの季節に咲く花が詰まっている。ただ埋めるだけでは寂しかろうと摘んできたものだ。
麻袋に手を突っ込んで、やや萎れかけた半島の白い花を敷いていこうと――
その時だ。
突如として頭上から降ってきた土の塊が、狙い澄ましたように俺の頭に降り注いだ。
「…………おい」
バサバサと頭を振る。髪の隙間に挟まった土がぼとぼとと落ちていく。うああ襟から中に土が入ってうがががが。
「誰だか知らんがこんな時に悪戯はやめ――うぼぁ!?」
散弾っ!?
次々と降りかかる土と泥。思いっきり顔にかかってたまらず悲鳴を上げた。あーもう口に入ったんですけど!?
「――――――フン」
慌てふためく俺を見下ろし、穴の縁で逆光を受けながらそいつは小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
馬のように巨大な体躯、時折光を受けて銀色に光る灰色の見事な毛並み、右眼は古傷に潰れ隻眼となっている。
「……灰色、何の用だ。穴掘りの手伝いなら遅すぎるぞ」
「――――」
灰色は無言。ちらりと穴の底で横たわる黒狼を一瞥すると、再び足元の土を穴に蹴り落として――いや、違う。
土とともに落下する銀の物体。足元に転がったそれは、ずいぶん久しぶりに見るものだった。
「これは――」
剥ぎ取りナイフ。
使わないくせにインベントリを占拠されるのが面倒で、猟師小屋の戸棚に仕舞い込んで忘れていたはずの、俺から見れば無用の品。いつの間に灰色がくすねていたのか。
わざわざこんなものを、黒狼の遺体がある場所で放り出してくる理由なんて、それこそひとつしかない。
「――灰色、お前の娘だろう? いいのか、それで」
「――――――」
僅かに苛立つ。……こいつは自分の子供が毛皮になって使われるのに、それをよしとするのか。
ふざけるなと睨みつけようとして――息を呑んだ。
吼えもしない、唸りもしない。半島の山のヌシは何も返さず、ただ静かな隻眼で俺を見つめていた。
怒りはあるのだろう、悲しみもあるのだろう。しかしそれ以上の感情が、その瞳に燃え盛っていた。
挑むような、試すような。まるでいつまでもぐずる子供を叱りつけるような、そんな目つきで――
「オン!」
聞き慣れた声がした。俺の背後、穴の反対側から。
振り返ればウォーセの姿。何故か全身泥だらけになって、肩で息をしている。そして、見慣れないものを口に咥えていた。
真鍮色の円い物体。ぼこぼこに変形し焼け焦げた――――ドワーフ合金の円盾。
見覚えがある形。いつかギムリンが爆破した試作品だ。あんまりにもアレな結果だったから、ばれないように埋め立てたといっていた。
そんなものを掘り返して、なにがやりたいのやら……。
「ワフ……」
白狼が首を振って円盾を放した。盾はがらんがらんと派手な音を鳴らして穴底に落ちる。
足元に転がってきた真鍮色の盾面には、簡素な絵が描かれていた。
ボロボロに爆破された盾に、団長が未練がましく絵筆をつけたものだ。これが俺たちのシンボルだ! と自慢げに突き出された絵は、盾の酷い状態も相まって笑えるほどにへたくそで、シンボルは後日ちゃんとした絵師に頼んで団員の盾に描かれることになった。
「――――鋼角の、鹿……」
ああ、そうか。
これを埋めろと言いたいのか、お前たちは。
遺体は埋めれば土に還るけれど、これなら土の中でも残り続ける。
身体は……消えるくらいなら、何かのために――
「畜生……」
なんだよ、それは。
お前たちの肉親だろうが。
お前たちが一番悲しむものだろうが、これは。
どうしてそんなに割り切っていられるんだ。
これじゃ涙を堪えてる俺が馬鹿に見えるだろうが。
お前たちにそんな顔で見られたら、俺は――――情けなく膝をつくことも出来やしない。
「――――――」
風が吹いた。周りが土壁に覆われているはずの穴の中で、涼しく吹き込む一陣の風が。
見上げた空は四角く切り分けられていて、果てに見える蒼穹は、手が届かないほどどこまでも遠く――




