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PHOENIX SAGA  作者: 鷹野霞
迷走する仲人
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願いは何を

 柊軽馬が目を覚ますと、見慣れた駅のホームの光景が広がっていた。


「――え……?」


 間の抜けた声を上げて辺りを見回す。

 ……通勤途中のサラリーマン、スマホをいじっている女子高生、漫画を読みふける男子高生。……早朝独特の澄んだ匂いも含めて、何もかもが覚えている通り。


 自分の身体を見下ろした。……貧相な身体つきにブレザーの学生服。学校指定の鞄は先日不良に壊されて新調したばかり。胸元の携帯端末の待ち受けは、数年前に流行ったアニメキャラの立ち姿だ。くたびれたスニーカーは、汚れの位置も履き心地も記憶の通り。


 携帯端末を開く。――日付は、軽馬が転生した日時を示していた。


「は……?」


 訳が分からない。どうして自分はこんなところで、こんな格好で、まるでこれから電車に乗って通学するような体でこんな場所にいるのだろう。

 自分はここで、この時間に死んで、あの世界に旅立ったはずなのに。


 古典的な方法だが頬をつねる……痛い。手を握ったり開いたりして感触を確かめる……別におかしなところはない。

 見る限り、この風景が夢の産物ということはなさそうだった。であるならば――


「まさか――――あっちが夢?」


 受験勉強に疲れたあまり、電車待ちで居眠りでもしていたか。

 うわはっずかしい、と軽馬は口元を押さえた。……よりにもよって頭の悪い転生チート物とか、我ながら頭が沸いてるのかと自問したくなる。もう少しこう、まともな冒険物でも妄想できないのだろうか。


 大体、チートだ転生だファンタジーだと喜んでいたが、結局生活レベルが中世基準では何の意味があるのだろう。柊軽馬は生粋の、そこそこ中流に位置する家庭の日本人だ。美味しいご飯とぽかぽかお風呂、あったかい布団のない生活なんて耐えられる気がしない。

 あのゲームをやってるプレイヤーだって、一生あの世界に籠りっきりだと言われたら拒否するに決まってる。あれはあくまで三十年限定で、ことが終われば日本の恵まれた環境に帰って来られるという保険があってようやくプレイできるゲームなのだから。


 ……そんなことを考えていると、なんだか無性に母親の作ったカレーライスが食べたくなった。

 携帯端末からメールで夕飯のリクエストを送ると、ややあってから「カレーは一昨日やったじゃない」の返信が。……そうだったっけと肩を落としていると、続いて再びメールが着信した。――「一昨日はビーフだったから今日はポークね」


「――――うん。……うん……」


 どうしてだろう。何故だか息が詰まるほど嬉しくて、涙が出てきた。いつものカレーのはずなのに。


『――二番線に、電車が参ります。白線の内側にてお待ちください――』


 構内放送がホームに響く。ふと我に返ると、軽馬はいつの間にか白線を通り越して線路ぎりぎりに近づいて立ち尽くしていた。態勢次第では通過する電車に肘が当たって大変なことになる。

 慌てて軽馬は白線の内側に身を引こうと後ずさって、



 ――――とんっ、と。

 後ろから伸びた何者かの手によって、路面上に突き飛ばされた。



「え?」


 崩れるバランス。肝の冷える浮遊感。視界の端には二つのライトを眼のように光らせてこちらに迫る車両の姿。

 空中で自由にならない身体で、必死に身を捩じって振り返ると、そこには、


「それがお前の死に様か、餓鬼」


 どこかで見たことがある顔をした女が、片手を前に突き出して、冷たい表情でカルマを見つめていた。


「おま――」


 衝撃。乱れる視界。

 重いものをぶつけ合うような音と何かが破裂する音、枝のような何かが折れる乾いた音に、何かが潰れるような音。

 混乱する思考を置き去りにして、目まぐるしく視界がかき回される。

 撥ね飛ばされた、と理解した時には、軽馬の身体はぼとりと線路上に落ちたあとだった。


「――――ぁ……ぅ」


 声が出ない。身体が動かない。腕一本、指先ひとつ。

 何が起きたのか、何が起きているのか。唯一自由になる目を見開いて必死に周囲を探る。右側がよく見えないのは考えない。潰れた眼球が顔から飛び出して左の視界の端にちらついてなんかいない。


 腕が見えた。見慣れたブレザーにくるまれた腕だった。カルマの腕なのだから近くにあるのはいい。だがしかし、自分の肘が目と鼻の先に見えるというのはどういうことだ。

 足が飛ばされていた。膝上から切断された脚は噴き上げた血で真っ赤に染まって、敷石に血だまりができている。傷口から見えるビラビラした白いものは脂肪だろうか。折れた骨は断面でなく皮膚からささくれた尖端を突き出していた。


「ぇ……ぎぅ……」


 息ができない。声が出ない。

 胸から肋骨が突き出ていた。横隔膜が破れたのか、肺に空気が入らない。酸欠で目の奥が痛くなってきた。


 ――――そう、痛い。


 痛い、痛い、痛い、痛い。

 全身が痛い。胸が痛い、頭が痛い、腕が痛い、足が痛い。

 無くなった指先が痛い。千切れかけたはずの爪先が痛い。飛び出た眼球に風が当たって痛い。


 どうして。

 どうしてこんなに痛いんだろう。

 こんな痛みなんて知らない。どうして死んでないんだ。

 ()はこんなことはなかった。衝撃と浮遊感、そして次の瞬間には白い空間にいて、神様にお前は死んだと教えられて。

 痛くなんて、苦しくなんてなかったはず。

 なのに、どうして。


「ぉ……くぁ……」


 早く、あの世界に戻らないと。

 早く戻って、あいつを、赤と銀を殺さないと。

 殺したら……殺せたら、ねがいをかなえてくれるって、かみさまが。

 やくそくしてくれたんだから、はやくもどらないと。


「とぁ……ぁ……」


 だって、そうしないと、かえれない。

 ねがいを、かなえてもらうんだ。

 ねがいをかなえて、いえにかえるんだ。

 おがあさんが、かえりをまってる。かれーをつぐって、みんだでいっしょに。


「…………」


 あぁ……かえりたい――――



   ●



「脳挫傷による前頭葉大脳新皮質の損傷。それによる自己抑制の欠如、か。

 つまり、あの餓鬼は――」


 白衣を纏い、ヘルメットを被った男たちが十人以上も駅の構内に現れ、細かい痙攣しか返さなくなった少年の身体を手慣れた手つきでてきぱきと回収していく。

 担架に乗せられ、酸素吸入機を当てられた少年は、四肢を失いこめかみが陥没し、腰の半分を切断されていた。あれはもはや助かるまい。

 男たちの様子に特に焦った気配はない。救命隊員ならば要救助者の容体に慌ただしく声をかけるなどするはずだというのに、誰もが落ち着いた様子で淡々と肉片を拾い上げ、所定の袋に詰め込んでいく。


「――――――」


 早朝の喧騒の中、事故直後の騒然とした現場で、そんな光景を無言で見つめる女の姿があった。

 やや伸ばした黒髪を後ろで縛った、目つきの鋭い女だ。顔に斜めに走る傷跡が、彼女の纏う冷たい雰囲気を更に助長させている。

 地味な色合いのコートを着込んでいたものの、顔傷のせいで周囲から特に浮いている。ちらりと視界の端にでも捉えれば思わずぎょっとしてしまうだろう。

 だというのに、周囲の人間は特に女を気にした様子もなく、事故現場を一目見ようと人だかりを作っている。


 ――それも当然。これはあくまで少年の記憶をもとにした仮初の幻覚劇場。繰り手たる女の意のままに物事は推移する。


 ぐい、と女が手を動かした。すると人だかりはモーセに割られる大海のように左右に道を開ける。……自分が何をしたのかも気付かない彼らは、誰もが人形のような無表情で――


「……聖槍と赤い道化、下には逆文字の奇跡(エルカリム)


 人混みが掻き分けられ、開けた視界の中で、白衣の男たちは片づけに入っていた。洗浄液を現場に振り撒き、血痕を洗い流していく。

 その中の一人に、女の視線は向いていた。正確には白衣に留めた襟章を。

 早朝の陽光を反射してきらりと光る、精緻な図案が刻まれたそれを、顔傷の女は食い入るように凝視していた。

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