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PHOENIX SAGA  作者: 鷹野霞
迷走する仲人
225/494

据え物斬りにもなりやしない

「ぁ……あ……?」


 柊軽馬は見た。暗殺者の少女と聖職者の女が虫のように殺されるさま、その全てを。


「ニア……」


 桃色の髪をした少女を見た。

 見つけたときは片脚の脛から先を失い、性奴隷として格安で売られる直前だった。絶望しきった瞳は何も映さず、度重なる暴行を受けた肌は傷だらけで痛々しいほどで。

 屈託なく笑うようになったのはカルマやクレアの前でだけだ。一度ふざけてお兄ちゃんと呼ばせたら本人が気に入って、以来常にお兄ちゃん呼びしてくるものだから気恥ずかしかった。


 ――今や桃色の髪は血液でどす黒く染まっている。手足の骨はいたるところで折れ曲がり、蛇腹に畳んだホースのよう。控えめながら柔らかな身体つきは、巨人が適当に丸めた寝袋のように押し潰されている。

 かつての面影などどこにもない。ただの肉塊がそこにあった。


「クレア……!」


 波打つ金髪の豊満な聖女を見た。

 片田舎の教会で報われない祈りを捧げ続ける純朴な少女。定期的に礼拝に訪れるという男はクレア狙いであることが見え見えで、いずれ襲われるのではないかと気が気ではなかった。

 光魔法を使えるようになってからは、それまでの鬱憤を晴らすかのように傷ついた人を救うことに熱心になった。……これもカルマ様のおかげですね、と微笑んだ顔にどきりとしたのを覚えている。


 ――外傷はない。倒れ伏した神官鎧は所々が砕けているものの、目立った血痕は皆無だった。一見すれば、ただ俯けに伏せているだけのようにも見えるだろう。

 その顔が、背中の方向を向いてさえいなければ。

 体の向きとは逆に空を見つめる彼女の顔は、何かおぞましいものに晒された恐怖に引き攣っていた。今まで一度も見たことのない表情は、まるであったことのない別人のようだ。


 ――――その二人の、そんな末路を、柊軽馬は目にした。


「ぁ……ぁああああぁぁぁあああああああああ……!?」


 絶叫が半島の山に木霊する。慟哭する少年を、顔傷の女は醒めた瞳で見つめていた。



   ●



 ごふ、と喉からせり上がる血の塊を強引に飲み下し、息を整える。

 腕一本繋げ直すだけならまだしも、全身を強引に動かすとなれば相応の負荷は免れない。じくじくと指先まで伸びる糸の感覚に、言いようのない不快感を覚えた。

 身体の掌握はほぼ完了。ただ身体に残る強烈な麻痺は健在だ。魔力を由縁とする障害ならこちらから力ずくで押し流しもできようが、物理的に侵されたとなれば自然治癒を待つほかない。

 ――無論、それが許される状況ではないからこそ、こうやって自分の身体を無理矢理手繰っているのだけれど。


 しかし心しなければならない。この状態はあくまで禁じ手。使い捨てられる義腕や義足ならまだしも、生身で行うのは反動が強すぎる。

 加減を誤れば、耐久を超えた駆動を強いられた手足の骨は砕け、肉は磨り潰されるだろう。


 まともに動けるのはあとどれくらいだろうか。二分? 三分? ……むくむような指先の痺れから鑑みて、相当に短いことを覚悟する。

 ――二十手。それを限界と仮定して詰み手を考える。……考えるが、やはり足りない。

 それも当然。相手は異様な成長を貼りつけた付け焼刃の怪物。未熟な精神と裏腹に歪に育った技術は侮れたものではない。


 ……なら、仕方ないか。


 多少の無茶には目を瞑ることにする。リスクを受け入れさえすれば意表はつける。そこから首を落とすまでの流れは既にできた。ならばすぐにでも打ちかかるべし。


「あああああああああっ! 殺す! 殺す殺す殺す! 殺すぅ!」

「意見が合うな。……ほんと、殺意しか湧かないよ」


 絶叫を上げながら少年が斬りかかってきた。右手には日本刀を模したような曲刀。馬鹿正直に振り下ろされるそれは、しかし速さだけなら大したもの。

 瞳を染め上げるのは憎悪と憤怒が八割、そして残りは得体のしれない敵への恐怖と見た。先ほどまで連発していた魔法を用いないところが激昂のほどを表している。

 復讐がしたいのだろう、わたしの返り血を浴びて酔いたいのだろう。手応えのない無味乾燥な攻撃魔法は肉を断つ実感に乏しい。特にあんな、名前だけ唱えたら魔法陣が飛び出てくるような理屈も知れないマジカルマジックでは。


 黒槍を構える。特徴的な柄は黒檀の特製とはいえ所詮は木材、まともに受ければ両断は確実である。ゆえに――


「――――っ」

「この……ッ!」


 槍を返し、石突きで刃先を突き上げた。思いもよらなかったのかカルマの目が驚愕に歪む。弾かれて腕の泳いだ隙に、胸に掌底を打ち込んだ。


「げぅ……!?」


 肋骨をいくつか折る感触。口から吐き出した液体は胃液か何かか。少年は痛みに目を剥いて打ち飛ばされ――いや、辛うじて足で踏ん張って数歩たたらを踏む程度に済ませた。


 ……威力はある。足運びもまずくはない。しかし振り方が単調で多彩さに欠ける。まるでゲームの必殺技のように決められた軌道を描く太刀筋など、初動さえ見切ってしまえば軌道上に物を置くだけで阻害できる。

 あとは己の得物を痛めぬように、最小限の力を加えて隙間に身体を逃がせばいい。


 理解できるか、転生者。

 お前のスキルとは何だ。ただ威力を示す看板か何かか。

 戦いに求められているのは正確な凡撃ではない。敵を追い詰める巧みさか、意識の裏を突く奇妙の太刀。無闇矢鱈に振るうだけが能ならば、それは大道芸に堕するだろう。

 すなわち、


「棒振りが上手くて人が斬れるか、素人が……ッ!」

「死ねっ! 死ねよお前!」



   ●



 畜生、畜生畜生畜生畜生……!


 斬り下ろす、薙ぎ払う、振り上げる、袈裟切り、平突き。

 躱される、いなされる、捌かれる、受け流される、弾かれる。


 武器の性能はこちらが圧倒的に上、スキルはそもそもあちらはほとんど白紙。通常なら戦いにもならない一方的な状況。

 だというのに、どうしてこちらの斬撃のことごとくが防がれるのか。

 まともに打ち合えばあんな武器、一撃で真っ二つにしてやれるというのに、この女は一度としてそれに付き合おうとしない。徹底して刀の側面や鎬に沿うように槍を合わせ、狙いを逸らしてくる。

 かすり傷は与えた。女の身体は細かい傷でいっぱいだ。

 それでも――――それ以上の深手をまるで負わせられない。


 どうしてだ。一体どうしてだ。

 女を殺したことがないから無意識に手加減している? 三倍段の法則であちらが優位にいる? あの槍――失血の付呪のかかった魔槍が特別だから? ……どれも違うと思う。

 なら――単純に、あちらの方が遥かに実力が上だから?


「……ンなわけあるかぁっ! 刀スキルだぞ!? 上位の! 今までに二人しか持ってなかった! お前そんなの持ってないじゃないか!?」

「――――」


 女は無言。嘲るように目を細め、振り払った穂先がカルマの額を浅く斬り裂いた。だくだくと垂れ流れる血液が視界を塞ぐ。


「殺すっ!」


 左手で目を拭う。隙と見た女が槍を突き、カルマの腿を穿った。


「殺す! 達磨みたいに手足斬り飛ばしてぐちゃぐちゃに犯してっ、ごみ溜めみたいに殺してやるっ! 死ね死ね死ねよお前ぇ!」

「――――は」


 唾を飛ばして右手の刀を振り回した。自分でもわかる素人な動きに意表を突かれたのか、女の身体が一瞬泳いで――


「そこだぁっ!」


 斬り上げた太刀の一閃が、槍を持つ女の腕を宙に斬り飛ばした。


 ……勝った。これで殺せる。これで潰せる。

 カルマの顔が喜色に染まり――――その一瞬後、ありえないものを見た。


 女の右腕、斬り飛ばされた傷口。

 その断面から、何十本もの糸が飛び出た。

 糸は宙を泳ぐ腕を掴むと、瞬く間に腕を引き寄せ断面同士を合わせて、



 ――――――切断面、縫合完了。

 ――――――接合骨格、補強開始。

 ――――――模造筋肉、構築開始。

 ――――――肉体神経、一時凍結。

 ――――――疑似神経、接続開始。

 我が傀儡は我が意のままに。



「なん――なんだよそれ……!?」


 足に激痛。女はいとも容易く切断した腕を再び繋げると、接合部分から血を流しながら槍を振り下ろし、石突きでカルマの足の甲を砕いていた。

 痛みに悲鳴を上げるカルマの頭は、目の前の光景を受け入れられずにいた。


 なんだそれ、なんだそれ!?

 こんなのずるい。チートじゃないか。

 いや違う。あんな、傷口から糸を生やすだなんて人間じゃない。

 あんなの、あんなのは――


「化け物――――!?」

「――――ッ!」


 ずだん、と音が響いた。

 地を踏み鳴らした女の足音だと気付いたときには遅かった。

 目の前には槍を引き絞る顔傷の女。

 腕から撒き散らす紅色は、魔力の具現かそれとも鮮血か。


「――――頻闇に、墜ちろ――――ッ!」


 胸を貫いた穂先の感触は、ひたすらに冷たかった。

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