動く、動く、まだ動く
吐き気がする。胸糞が悪くて仕方がない。
突発的に湧き上がってきた激情、まるで覚えのない感覚に、俺の方が困惑していた。
……何があった。何に刺激された。
あの餓鬼の言い分もあの聖女の妄言も、腹立たしくはあるものの特に何か感じ入るようなものではなかった。
だというのに、なぜ。
思考とも感情とも違う、俺のものではない奥底深くの何かが、目の前の敵に憎悪を抱いている……?
「やめろよクレア。俺はそんな大した存在じゃないって」
「ですがカルマ様。あなたが主により務めを負わされ、この世界に降り立ったのは紛れもない真実っ!」
否定する少年は、しかし満更でもない表情を隠しきれずにいた。
対し聖女は勢い収まることなく、法悦の表情で自らを抱きすくめる。
「あなたの授かった『特典』が全てを物語っています。倒した相手の力とスキルを自らへ取り込み、更には他者への移譲すら可能とする加護! まさしく神の御業と呼ぶにふさわしい! 主はこの混迷とする大陸に貴方を遣わし、蒙昧な人間たちを差配せよと仰せなのでしょう」
「馬鹿馬鹿しい……」
「あなたはそう言うのでしょうね、不信心者。己の理解の及ばぬものをいたずらに拒む、その脆弱な精神! ――ええ、私も覚えがありますよ。かつてカルマ様と出会うまでの私も、まさにあなたと同類だったのですから」
「あんまり自分を卑下するなよ。今のクレアは立派な聖女だ」
……なんだ、このけったいな寸劇は。
陶酔したようにまくし立てる女に背筋が寒くなる。宗教勧誘なら余所でやれといったはずだが。
「いいえ、カルマ様。思えばカルマ様と出会えたのも、私に才能がなく燻っていたがため。――主の御意志です。私があのうらぶれた礼拝堂で逼塞していたのも、いくら祈りを捧げても応えられなかったのも、全てはカルマ様に出会い、才能を啓いていただくため!
全ては主の御意志! 運命が私たちを導いたのです!」
「そんなんじゃないんだけどな……」
輝かんばかりの至福の笑顔で両手を組む女に少年が苦笑し、改めてこちらに向けて振り返った。
「――そういうわけで俺、よくいう転生者ってやつなんだ」
「電脳の世界に転生? 随分と業が深い」
「あんたらにとってはそうなんだろ。どうせここは電気信号でできた仮初めの世界ってな。……ここが本当の異世界だってことも知らずに、マジで滑稽だよ」
知ったことか、どうでもいい。
ここが電脳であろうが真実異世界であろうが、真贋その差に意味はない。価値を見出すのはあくまでそれに直面する人間だ。
虚構だから、真作だからと無用な線引きをして、虚構に夢を見る誰かの価値観を物笑いにするのは、それこそ性根が僻んでいる。
だから――――いまは、お前のことなどどうでもいい。
「しっかし拍子抜けだわ。転生神の言ってた『赤と銀』ってあんたのことだろ? あれ撒き散らして突進してきたときは驚いたぜ。……今は逆の意味でびっくりだけどな。こんな雑魚のために転生させられたのかよ」
「赤と、銀?」
「仕掛けはその銀の装備か? ……ランドグリーズの銀装? うわすげえ、耐久A+なんて初めて見たんですけど。レア度の表示がないのは胴体が無いから?
どうせおおかた、その装備も誰かから盗んだもんなんだろ? それとも殺して奪ったのか? 全部揃ってないのが証拠だ」
非難がましげな口調と裏腹に、カルマの目が物欲しげな光を放つのが見えた。軽く唇を舐めてこちらに歩み寄ってくる。
「――さて、あんたを殺してそれを剥いだら、俺は晴れてお役御免ってやつだ。……自由に生きていいって神様からも言われてるし、ここは一発、建国でも目指してみるか?」
「素晴らしいお考えです、流石はカルマ様! 主の御使いに既存の法など用をなしません。カルマ様が法を定めるまったく新しい神国の建立――あぁ、なんて素敵なのでしょう……!」
「――――――」
――――頭が痛い。
長々と馬鹿話に時間を費やしてくれたおかげで、どうにか火傷の方の治癒が終わった。肉体的には万全ともいえる。これなら多少の先頭をこなす程度なら造作もないだろう。
だが問題がある。
――――頭が痛い。
あの桃色髪が投げつけてきた短剣毒、あれがまるで解毒できない。
自己治癒を高めた程度では癒せない毒。何か魔物に由来する成分でも使っているのか。……つくづく厄介な真似をしてくれる。
手足が鉛のように重い。視界が霞がかり十歩先すら見渡せない。
「そんなわけでさ、おっさん。俺にもいろいろ予定が詰まってるんだ。ちゃちゃっと済ませちまおう」
「待って! ニアがやるよ、お兄ちゃん!」
いつから目が覚めていたのか、あの桃色髪が起き上がって声を上げた。足取りを幾分ふらつかせながらも、懸命さを滲ませる口調でねだるように。
「ニア、そのおじさんに服を焼かれたり腕を斬られたりしたの! やられたっきりじゃ気が済まないよ。こんなことでお兄ちゃんに迷惑かけっぱなしになんかしたくない! だからとどめはニアがするの!」
「ニア……」
――――頭が痛い。まるで何かが頭蓋の裏を滅多打ちに殴っているようだ。
だが、それが何だというのか。
たとえ緩慢な反応しか返さないのだとしても、動けるならば殺して見せる。
生きているなら、手足が動くのなら、その限りをもって戦うものだ。
殺す、殺す。必ず殺す。ならば枯れた手足でも必ずや縊り殺して見せる。
目の前には少女の姿。もはやこちらが動けないと思い込んでいるのか、油断しきった面持ちで手の短剣を振りかぶっている。
狙いは明白、動きは素人。ならば躱せぬ道理はない。有象無象のごとき小娘、造作もなく捌けよう。
――――あぁ、頭が痛い。
動く。まだ動く。生きているのだから動かせる。
糸■■繰れ、意■を示せ。我が傀■は我■■■■まに。
――そうとも。わたしはいつだって、そうやって戦ってきたのだから。
…………今、俺は何を考え、ギ――――!?
●
槍にもたれかかり項垂れる男に、抵抗の意思は見えない。
荒い息をつきながら立っているのがやっとの状態で、何ができるというわけでもないのだが。
「呆気ないなぁ……」
あれだけでかい口を叩きながら結果はこれだ。諦めたのかよ、とカルマは侮蔑の表情を抑えきれずに吐き捨てた。
とはいえ、鑑定から見える状態は重度の麻痺と火傷と即死毒。火傷と即死はいつの間にか治癒されていたが、麻痺の方は依然として残っている。それも当然、足の障害を治したニアが報復と称して教団から盗み出した秘伝の毒だ。そう簡単に解毒できるものでもない。
これなら、怪我の直後で動きがぎこちないニアでも簡単に処理できるだろう。
「いいよ、ニア。適当に血祭りにあげちゃってくれ」
「うん!」
喜び勇んで猟師の元に駆け寄る娘を尻目に、カルマはステータスウィンドを呼びだした。……これから得るポイントをどう使うのか、算段を今から立てておきたかった。
ニアが殺したのだろう、あの黒狼のものらしきポイント分が300増えていた。功労者はニアなのだし、怪我をさせた労りの分も含めてそちらは全部彼女に費やすことに決める。
鑑定で見た男の戦力値は……800弱か。三で割りきれない数字に、これは弱ったなとおどけた風にぼやいてみせた。
「じゃあね、おじさん! あの黒いお犬さんと同じところに逝けるといいね!」
「――――――」
男の唇がわずかに動いた。何を言っているのかはまるで聞き取れない。どうせうわごとだろう。
構うことなくニアは右手の短剣を振りかぶり、真っ直ぐに猟師の喉元に突き込んで――
「――――――いや」
刹那、ニアの手が掴み取られた。
男の右腕、まるでそれだけ別の生き物のように動いたかと思うと、突き込まれた短剣を防いでみせたのだ。
「え――――?」
少女の困惑の声。それに応えるように男が俯いていた顔を上げる。
赤い髪から覗く顔には、今までなかった傷跡が斜めに走っていて――
「お前たちは、わたしが殺す」




