その者、乱入者につき斬り捨て御免
「が……ッ!?」
流れる視界。木の幹に背中から激突し、肺の中身が飛び出るかというほどの衝撃を受けた。
直前に身を浮かせてなおもこれとは、一体何が起こったというのか。
身を起こして先ほどまで自分がいた場所を見やると、一人の少年が桃色髪に慌ただしく駆け寄っているところだった。
「ニア! ニア! その腕はあの野郎にやられたのか!? なんてことを……!」
「お兄ちゃん……」
「大丈夫だ! こんな怪我、あっという間に治るさ。いつかにあの足を治した時みたいにさ! ――クレア! まだ来ないのか!?」
「ここです。ようやく追いつきましたよ、カルマ様」
癇癪を起こしたようなカルマの怒鳴り声に応えて、さらにまた一人が姿を現した。
波打つ金髪は首の後ろで纏められ、扇情的な身体つきを板金鎧で覆っている。……いや、その鎧も特別製なのか、どことなく女性的なくびれが目についた。右手にメイスと左手に小型の円盾を持ち、今から戦場に臨むかというような装いをしている。
――聖女クレア。半島の寂れた礼拝堂で日がな一日祈っているような人間が、どうしてこんなところに。
神官は息を切らして桃色髪に駆け寄ると、その容態を見て血相を変える。
「これは、酷い……!」
「クレア、ニアを頼む。お前の回復魔法ならこの程度何とかなるだろ?」
「クレアぁ……」
「ええ、大丈夫ですよ、ニア。主の奇跡をもってすれば、腕の一本や二本どうということはありません。……肘から先はどこへ?」
「あったぞ!」
転がっていた娘の腕を拾い上げたカルマがクレアに渡すと、女は祈りを捧げるようにその場に跪き、
――――なるほど、これがくだんの奇跡か。
木々の枝葉の間から光が差し込んでくる。どこか荘厳さすら感じさせる光は、膝をつく神官と腕を失った小娘を幻想的に照らし上げた。
神官が小声で唱えているのは聖句か何かか。彼女が取り上げた腕を傷口に押し当てると、断面が強烈な光に包まれていく。
「――――――」
させない。
勝手に治すな、クソ宗教家め。
それはあの黒狼が命を捨ててつくりあげたものだ。それをまるで、壊れた玩具を直すような無造作に。
クロスボウはいまだ手元にあった。弦は引かれた状態だったが、ボルトは飛ばされた拍子にどこかに消えたらしい。腰の矢筒から新たなボルトを取り出し装填する。
膝射の姿勢から狙うのは力なく横たわる桃色髪の少女。躊躇わず引き金を引こうと――
「――――なにしようとしてやがる、おっさん」
怒りの滲む声。顔を真っ赤に紅潮させた少年が射線に立ちはだかっていた。手には日本刀のような曲刀を持ち、今にも斬りかかってきそうな形相だ。
……これでは狙おうにも狙えない。内心煮えたぎるものを押し隠し、俺は立ち上がってカルマ少年と相対する。
「……邪魔をしないでくれないか。俺はそこの小娘に用がある」
「そのクロスボウで撃ち殺すのが『用』かよ。ニアが何したっていうんだ!?」
「そいつは、俺の仲間を殺した。だから落とし前をつける、それだけだ」
「仲間って……」
少年の目が彷徨う。俺の言う仲間がどこにいるのか探しているのだろう。……もちろん、見渡したところで俺以外に人間はいないのだが。
焼けた地面に横たわる狼の死体を見た少年の顔が怪訝そうに歪んだ。
「――仲間って、あの犬かよ?」
「狼だ」
「ヘルハウンドだろ? ニアが狩りに行った魔物だ」
「狼だ。そんな犬がこの半島にやってきたならもっと騒ぎになってる。少し考えればわかるはずだろうが」
「でも! ――でもっ、あんなのたかが狼だろ!?」
…………は?
「たかが狼一匹殺しただけで、どうしてニアが殺されなきゃならないんだ!? ちょっと間違えただけだろ? だいたい警官でもないおっさんが、なに勝手に人様を裁こうとしてるんだよ!?」
「――――」
「そうだ! あんたたちはまだ今はただの傭兵団だろ? 何の権限も持ってない! ……そんなのが半島中を我が物顔でうろつき回って、いつ人を襲うかわからない狼を放し飼い。野生も同然な狼が一匹殺されたからって、仕返しに殺し返すとか!? 頭おかしいんじゃないのか!?」
こいつは――なんだ?
何を知った風に語っている?
あのスタンピード以来、領内を跋扈する魔物を狩り治安を維持するためには狼たちの助けが不可欠だった。
領軍は被害甚大で予算が足りず、俺たちは根本的に人手が足りなかった。
時間は解決してくれない。手をこまねいていれば被害は拡大する一方。北方の農民たちは畑を棄てなければならず、それでもここに辿り着くまで魔物に襲われる恐れが強かった。
だから灰色と相談して、お前が行けと顎で示された年長の狼が進み出て。
それでようやく、この半島に光明が見えてきたのだ。
それを――――こいつは?
「…………街道の脇に、立札があったはずだが」
「あんたたちが勝手に立てて命令してるだけだろ! どうして俺が従わなきゃいけないんだよ!」
「そうか……」
通じていない。暗黙の了解どころか、昨年から立札に書き加えられた領主の公印すらこの少年の目には入っていない。
むしろ入れる気すらないのだろう。得々として語る少年の目の前に証拠を突きつけたところで、かえって開き直る姿が容易に想像できた。
「あぁそうだ。やっぱりこの半島は異常だ。お前たち傭兵に乗っ取られかけてる! ……辺境伯をどうやって脅したんだ? どんな手を使ってアーデルを誑かしたんだよ!?」
「アーデル……?」
誰のことだと問い返そうとして――思い当った。
「アーデルハイトのことか」
「なんだよ、あれ。ニコポもナデポも通用しないじゃないか! せっかくレアな竜騎士の仲間候補だったのに! 他に相手がいなかったら絶対落ちるって話だったのに!」
あの少年が何を話しているのか理解できない。知らない単語、まるで異次元の言語を操っているようで、ひたすらに気味が悪かった。
ただ、それでも聞き逃せない言葉をあの少年が発していた。
「――――手を出す気か、あの娘に」
「手を出したのはあんただろ!」
半島を騒がせ、狼を殺し、それでも飽き足らず、あの娘に手を出す気か。
普段は冷たい表情で、最近ようやく綻んだ顔を見せるようになったあの娘を、気丈に見えて実は泣き虫なあの娘を。
まるでこいつは、掘り出し物のお買い得商品のように――
「カルマ様、ニアの治療が終わりました。しばらくは動きがぎこちないでしょうが、一週間もしないうちに消えるでしょう」
「よくやった、クレア。――――じゃあ、今度はこっちの番だな」
桃色髪の処置を終えた神官が立ち上がり、少年の傍らに寄り添った。小娘は気を失っているのか、背後の木の幹に寄り掛かって項垂れている。
少年が見せつけるような笑みを浮かべ、こちらを睨みつけた。
「覚悟しろ、おっさん。あんたたちを倒して、俺がこの半島を正しい形に直してやるよ……ッ!」
「主の威光を知りなさい、不信心者……!」
「――――」
足元に転がっていた牙刀を蹴り上げ、左手で掴み取る。眼前にはメイスと盾を構えた神官が迫っていた。
――ここで倒す。ここで殺す。
この連中にこれ以上、この半島の土を踏ませてたまるか――




