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PHOENIX SAGA  作者: 鷹野霞
迷走する仲人
214/494

襲撃者

「――――ッ」


 言葉も忘れて駆け寄った。倒れ伏す黒狼の傍らに膝をついて、容態を見るために手を当てる。毛皮越しだというのに恐ろしく低い体温に手が震えた。


「ゥゥゥ……?」

「大丈夫、まだ生きてる。まだ助かる」


 甲高い鳴き声を上げ心細げに寄り添う白狼に声をかける。……しかし酷いありさまだ。失血もそうだが、なによりも衰弱がひどい。

 浅く細かい息遣いに細かく上下する胸。垂れた舌は青紫にチアノーゼを起こしていた。血液が足りてない。


 何はともあれ魔力を循環させ、回復魔法を発動した。掌から淡い光が黒狼の身体を照らす。心なしか息遣いが落ち着いたものに変わった気がした。

 ただ、それでもやはり反応が鈍い。掌を伝う体温は低下の一途をたどり続け、回復魔法がまるで追いついていない。

 このままでは、俺のMPが尽き次第この黒狼は息を引き取るだろう。


「……何があった。おい」


 引き絞るような声で問いかけた。

 ……何があった。お前ならよほどのことがない限り、こんなことにならないだろう?

 こんな、誰もいない山の中で、独りぽつんと死んでいくような、そんな最期には。


「一体、何が――」


 そこで、気付いた。

 横たわる黒狼のすぐそば。その体躯の陰になって今まで見えなかった地面に、それ(・・)は転がっていた。

 刃渡り十五センチ足らず、全長にしても二十センチを超える程度。鍔はなく、片刃の刀身は艶消しに黒く塗られ、一目では視認しづらいほどだった。


投擲短剣(ダーク)……」


 拾い上げる。よく見れば短剣は血液と別の液体が付着していた。刃先が微かに錆びついていて、恐らくはその塗りつけた液体の作用によるものか。


「――――」


 片手で治癒を継続しながらインベントリを展開する。いざというときのために婆様から持たされていた、一抱えほどの薬箱。その中から丸薬を一つつまみ出して黒狼の口に放り込んだ。

 嫌がる仕草を見せる狼を強引に押さえつけ、吐き出そうとする口も掴み押さえて無理矢理飲み込ませた。


「造血薬だ。水もお茶もないが、多少はマシになる」


 無論気休めだ。この狼を蝕む毒が何であるか特定もままならない現状、貧血をいくらか改善する薬など投与したところでまるで意味がない。

 本来なら強心剤も同時に与えたいところだが、扱いの専門性の高さから婆様から持たされなかった。自生しているトリカブトの根から自作するにも、トリカブトは地域ごとに毒性にむらがあって気安く扱えない。おまけに先代の冊子にあった、最も近いトリカブトの群生地はここから半日はかかる場所にある。

 手詰まりだ。俺では手の施しようがない。


 ……婆様がいるからと薬草学を真面目に習ってこなかったツケが、こんなところに回ってこようとは。


「――ウォーセ」


 気遣わしげに姉の首元の臭いを嗅ぐ白狼に言葉をかける。木炭と紙を取り出し必要なことを書き込んで、拾い上げた短剣とともに竹筒に放り込んだ。

 白狼の首に竹筒を括りつけ、目を合わす。

 いつか仔狼だった頃に見た、心細げな瞳があった。


「……全力で走れ。この短剣の、解毒薬を調合するよう手紙を書いた。村の婆様に必ず渡せ。

 いいか? 半日は持たせる。手持ちの薬とMPで騙し騙し現状維持できるのがそれくらいだ。そこから先はどうにもならない。だからそれまでに戻ってこい」

「――――――」


 無理難題だ。そんなことはわかりきっている。俺たちが三日かけて歩いてきた距離を、わずか半日で往復しろというのだ。

 しかしもうそれしかない。引き返す以外に当てはなく、薬師がいるかもしれない領都はここから近いが狼に対する理解がない。ウォーセが単身近付いたところで矢の雨を射かけてくるだけだろう。


 もはや手遅れに近い。それを理解しているのか、白狼は甲高い声でぐずった。まるで赤ん坊の頃に戻ったようだ。

 気持ちは、とてもよくわかるのだけれども。


 それでも。


「いい子だから。――――行けっ!」

「――――オン!」


 白狼は名残惜しげにもう一度だけ姉の首元に鼻先を寄せると撫でるように舌で舐め、一声吠えて猛然と駆け出した。あっという間に白い身体が山の陰に消えていく。


 ……間に合うだろうか。助かるだろうか。

 もしウォーセが足止めを食ったら? もし婆様が不在だったら? 毒薬の解析に時間がかかったら?

 ――――解毒薬など、なかったら?


「――――」


 嫌な考えを振り払って黒狼の治癒に専念する。傷口は最優先で塞ぎ、これ以上の出血が無いようにした。心臓の動きだけは止めないよう、胸を重点的に回復魔法を当てていく。


 ……必ず持たせる。そう約束した。

 ならば何としても生かして見せる。それこそ限界など無視して治癒を注ぎ続けよう。

 この狼が死ぬとなれば、それは俺が魔力の許容量を超えて爆散したあとのことになるだろう。


 ――そう、覚悟を決めていたというのに――――!


「――――ッ!?」


 不意に背後から迫る殺気。狙いは俺の首筋か。

 反射的に腰の牙刀を引き抜き、勘に任せて薙ぎ払う。

 火花を散らし、甲高い音を上げて打ち落とされたそれは、黒い短剣の形をしていた。


「……どこかに逃げたと思っていたが」


 黒狼を襲った人間がいたとすれば、駆けつける俺とウォーセを見て諦めたと踏んでいた。

 とっくに姿をくらませたと。よって治癒に専念できると思っていたのに。


「遊んでる暇はない。邪魔をするな!」

「バカじゃないの? ニアの邪魔をしたのはおじさんじゃない」


 嘲笑の声は、正面の闇から聞こえてきた。

 ややあって姿を現した短剣の主、それは年端もいかない、十代半ばほどの少女の姿をしていた。


「子供……?」


 内心の驚愕を押し留める。

 こんな子供が、この巨大な狼に傷を負わせたのか。そして俺が今まで気付けないほどの隠密をもって今まで潜んでいたというのか。

 何かの悪夢じみた光景に吐き気すら込み上げる。

 信じられない思いでいる俺に、その少女は無邪気に微笑んで見せた。


「おじさんも邪魔をするなら、仕方ないしちょうどいいよね。

 そこの黒い犬と一緒に、ニアたちの経験値になってよ」

「なにが――――!」


 指の間に挟んだ四本の短剣。毒の滴る得物を手に、少女は再び闇に溶けるように姿を消した。

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