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PHOENIX SAGA  作者: 鷹野霞
迷走する仲人
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出没注意!

 真っ赤になったアーデルハイトがドラゴンに乗って飛んで帰り、一週間ほどが過ぎた。


 ……いや、何もなかったから。本当に手を握ってじっとしてただけだから。

 途中でエルモが酒を片手に吐きそうな顔で睨みつけてきたが、特にちょっかいをかけてきたわけでもない。俺は単に、落ち着きのない十代の少女に介抱のため付き添っただけです。疚しいことは何もないとも。

 というか、十にも満たない頃から知ってる子供に興奮できるのは、よほど極まった紳士くらいではないか。具体的にいえば平安時代の根暗が書いた夢小説のヤリチン主人公みたいな。

 俺はそこまで紳士道を極めてない。彼女の酒気に酔ってとろんとした目つきにどきりとしたような気がしないでもないが、多分きっと気のせいである。そう決めた。


「ガゥ……」

「おいなんだそのやれやれしょうがねーな的な目つきは」


 隣を歩く白狼に思わず突っ込みつつ、俺は西へ続く街道を踏みしめていた。


 ――昨日の夕方のことである。一羽の鴉がハスカールに降り立った。

 黒い、何の変哲もない鴉だ。ただし見た目通りではないのだろう、何しろインベントリを展開して手紙を落としていったのだから、まず間違いなくプレイヤーだ。

 魔物の特徴らしく口はきけず、バサバサと身振り手振りで意思を伝えて来ようとしたのだが、他の人間に理解されないと悟ると大人しく筆談に移行したあたり大概アホである。最初からそれでやれと。

 鴉はエルフの商会で販売していた砂糖菓子をご満悦な仕草で平らげると、そそくさと飛び去っていった。


 送りつけられた手紙は俺宛で、それも領都の仕立て屋から。

 内容は、俺が結婚式に着る正装が大まかに仕上がったから見に来てほしいというものだった。

 あのアーデルハイトに無理を言わせて仕立てた礼服である、否やはない。


 そんなわけで、一路領都に向けて歩を進めている真っ最中なのだが――


「――――」

「ん? どうした、ウォーセ? 腹でも減ったか?」


 途中二回の野営を挟み、このペースなら明日の夕方にもなれば領都が見えてくるだろうという地点。そろそろ日も傾いて、どこか街道の途中にある共用の野営地でも探そうかと思っていた頃のことだ。


 唐突に、隣を歩いていた白狼の様子が変わった。


 立ち止まった脚は微動だにせず、いつもは上機嫌に振り回している尻尾も鳴りを潜めている。息を潜めて首を高く伸ばし、耳をぴんと立てて周囲の些細な音も聞き逃さないように。


「――――――」


 何かいるのか。

 釣られるように俺も耳を澄ました。ただし白狼と違い、いつでも動けるように身を屈めて力をたわめる。そして、



 ――――…………ォ……ィン――――



 遠吠え――違う。これは、


「ウォーセっ!」

「――――!」


 跳び上がる。目標はすでに腰を上げた白狼の背中。跨った時には駆け出し始めていた。

 俺を乗せたウォーセは迷うことなく街道を外れ、北の森に突っ込んでいった。


「――――っ」


 視界が流れる。

 初夏の森に踏み入る直前、たまたま目に入った『狼注意』の立札。無残に圧し折れ残骸になったそれが、やけに記憶に焼き付いた。



   ●



「――――ッ!」

「こ、の……!」


 乱立する木々の狭間を縫うように駆け抜ける。途中で突き出た枝が白狼の背中の俺に襲い掛かり、息が詰まりそうになった。手で顔を庇っても、枝ががさがさと隙間を見つけて嫌がらせのように迫ってくる。

 大の大人を背負ったとはいえ、狼がその速度を緩めることはない。勝手知ったる半島の森、散々兄弟と駆け巡った山中だ、植生の癖など知り抜いている。木の根に足を捕らわれることなどあり得ない。


 白狼は足を速める。脚に籠めた魔力が雪片となって噴き上がり、白い嵐のようになって突き進んだ。荒れ狂う心中を示しているのか、俺がしがみつく鬣も凍り付き始めている。


「――――――」

「いいから。構わず走れ!」


 一瞬だけ気遣わしげに振り返った狼を怒鳴りつけた。時は一秒を争うかもしれないというのに、俺のことなど構うんじゃない。


 ――あの時、風に混じって微かに聞こえてきた音。

 それは、狼の遠吠えのようにも、痛みを堪える悲鳴のようにも聞こえた。

 その、たった一声。それだけ聞こえて声は途絶えた。それに応える声もなく、本当にそれきりで遠吠えは止んだのだ。


「――ゥゥ……」


 覚えがある。最悪なことに、俺はこの状況に陥りうる奴を知っている。

 この辺りを縄張りにしていて、つがいをいまだに見つけられず、人のレポートを喰いちぎるくらい行儀の悪い狼だ。


 ……だがどうして。あの日遊んでまだ二週間も経ってないというのに。

 そもそもあれはウォーセの姉で、特に逞しく育ったからこの辺りを任せたというのに。

 あいつなら大丈夫だと、つがいの相手などすぐに見つかると気楽に構えていたというのに――――!


「――――ッ!」

「あ、が……っ!?」


 突然、疾駆していた狼が急制動をかけた。動きに追いつけずに俺の身体はつんのめって投げ出され、ゴロゴロと落ち葉の上を転がる羽目になる。

 いきなりなんだと跳ねるように起き上がって――――それを見た。


「な――――」


 森のあちこちが、ぶすぶすと煙を上げていた。

 何かが火を放ったのか、木々の幹や枝の所々が黒く焼け焦げている。

 風が吹いた。煽られて煙が顔に当たり、むせそうな熱を感じた。

 

 目の前にはひらけた空間。炭と灰の横たわる光景を見れば、どうしてそこに木が生えてないかなど自ずと知れる。

 円状に焼き払われたその中心に、そいつはいた。


 馬のように巨大な体躯。

 火のように赤い瞳。

 黒い体毛は、毛先にいくほど赤みがかっている。

 地面にしみ込み切れなかった血だまりに沈み込み、微かに痙攣する四肢。


 その狼は、力なくだらりと舌を垂れて横たわっていた。

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