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PHOENIX SAGA  作者: 鷹野霞
迷走する仲人
212/494

〇〇〇との馴れ初め

 イニティフがその少年と出会ったのは、どれほど前のことだったか。

 たしか……そう、一年半ほど前のことだったと記憶している。


 瘴気島の遺跡で王冠の封印を確認し、近頃勢力を強めているという島内のゴブリンの様子を窺った。しかし受けた報告の通りゴブリンたちは学習能力に乏しく、現地の人間から奪った農具を使ってもまともに畑も耕せない有様だった。

 彼らを教導していると見られる髭面のゴブリンもどこか諦めがちな面持ちで、ゴブリンによる内政チートは当分果たせそうになかった。

 遺跡にある王冠を用いればあるいは解決しうるとも思えたが、その結果起きるのがゴブリンによる大繁殖からの蝗害事件など笑うに笑えない。むしろ何か繁殖の傾向を見取ったら、知り合いの賢者気取りなゴブリンと申し合わせて対策を取ることになるだろう。


 島を出て騎士団領都ブレンダに到着し、酒場で一息ついていたときに奇妙な噂を聞いた。

 ――なんでも、光魔法の秘儀に触れる機会などないはずの下級神官が、突然啓示を受けて才能を開花させたというものである。


 最初は、イニティフもその噂を一笑に付した。

 ……何を馬鹿な。光魔法とは粒子であり波動である光子を扱う高等技術。さらに回復魔法となれば光など無関係な抽象的な魔力運用が必要となる。神官とはいえ、所詮は末席の無学な田舎娘が唐突に開眼しうるものではない、と。


 それでも時を追うにつれ、その神官に傷を癒されたという体験者がブレンダに続々と現れていった。一人二人なら無視もしようが、それが十人にまで上れば偶然呼ばわりもできない。

 噂の出所を探るため、イニティフはブレンダを出立しその神官がいるとされる丘陵地帯、その一角にある寂れた寒村に行き着いた。



 ――――そうして、イニティフは出会った。その神官に、そしてなによりその少年に。


 女神官クレアの起こしてきたという奇跡の数々など、その少年の存在の前には塵芥のように霞んで見える。

 彼の起こす不可思議な事象、このディール大陸を支配するシステムから逸脱した異能。

 クレアの起こした奇跡も、元を正せばきっかけは少年の持つ『特典』に起因する。


 ――――転生者、と。

 問い質したイニティフに、少年はそう名乗った。


 ……あぁ、それは。

 それはなんという……!


 その存在を確かめた彼女の歓喜たるや、推し測れるものなど世界に四人といはしまい。

 彼女の同胞ですら利害は一致すれど志は微妙に異なる。それを思えば彼女の心中を察せられるものなど、あの偏屈なゴブリンくらいのものだろう。


 ある意味彼女たちが待ち望んだ存在。

 変革をもたらしうるもの。

 停滞するイニティフたちに救いをもたらしうる少年。

 勇者だの秘宝だの生ぬるい。まさに世界の根幹を揺るがすための――――



   ●



「魔物狩り、じゃと……?」

「ああ、北の領境から戻ってきて以来、ゴブリンの一匹も倒してないだろ? こうも暇だと腕が鈍っちまうしな」


 ハスカールの一角にある宿屋、その食堂にて。

 突然知らされた決定に困惑を隠せずにイニティフが問い返すと、カルマはしたり顔で頷いた。

 開けっ広げな口調と態度。余裕に満ちた顔を見て隣のクレアがうっとりと微笑んでいる。しかしイニティフはそんな少年の内面に、僅かな焦燥が見え隠れするのを感じ取っていた。


 ――ここ数日、カルマはハスカールの有力者に取り入ろうと画策していた。対象は出入りしている商人や貴族の使用人、辺境伯領に努める役人など多岐にわたる。

 目的はカルマ自身の売込みである。少年は自分の世界にあった道具や概念を持ち込んで、それをネタにこの未来の交易都市に食い込もうとしていたのだ。


 ハスカールは新興の都市。急激な拡張に追いつかず、人材は欠乏し混乱しているはず。そこにふらりと現れた若い旅人が、異世界の優れた知識と魔法の能力を使って救いの手を差し伸べ、住民の支持を集めて成り上がっていく。――そんな目論見を持っていた。

 運のいいことに、その新興都市には半島随一と名高い傭兵団が居を構えているという。荒くれ者と商人が同じ都市で活動するのでは、さぞ軋轢も生じるだろう。その代表を『どうにか』してしまえば、その後釜に座ることも難しくない。

 豊かな収益を誇る交易都市と優れた武力を手に収め、カルマの飛躍はそこから始まる――――ハスカールに着いた直後、少年はそう語ってみせた。


 恐らくは以前から温めてた計画なのだろう。成長途上にある将来有望な小組織に取り入り、自分の有用性を示して影響力を持ち、大きくしたその組織を自らの立身の足掛かりとする。――真っ当な手段ではある。この大陸で、この時代で、成り上がって貴族や王族に立ち並ばんと欲するなら、いっそ王道なやり口ともいえた。

 だがしかし、とイニティフは頭を抱える。……だがしかし、こうなる前にどうか相談して欲しかった。目指す立志伝は真っ当でも、カルマのそれは手段が、環境が悪すぎたのだ。


 戦闘力を示すために役場へ持ち込んだ魔物の素材は、業務提携外だからと引き取って評価してすらもらえず、商人に持ち込んだ千歯扱きや備中鍬を始めとした『画期的な』農具その他は、すでに同様のものが流通していた。火薬の生成方法について語れば鼻で笑われ、クレアのネームバリューを使ってハスカールの執政補佐に会見しノーフォーク農法について熱弁すれば、地勢を考えろと一蹴された。

 都市を牛耳るマフィアを想定していた傭兵団は、むしろ交易都市の草創期を下支えしてきた功労者たちで、その団長はこの年の結婚式で辺境伯と親戚になる有力者だった。


 都市の発展度合いを甘く見ていたカルマの失策である。急激に成長してきたハスカールはしかし、その実計画性をもって堅実に進んできた堅城だった。

 この都市に、もはやカルマの割り入る余地はない。加わるとしてもあくまで組織の一員としてで、成り上がるにはすでに上層部が固まってしまっていた。


 残念なことだがどうしようもない。見切りをつけてこの地を立ち去る方が建設的とすらいえる。

 いっそのこと瘴気島にまで渡って跋扈するゴブリンたちを駆逐し、現地の住民を導いて指導者的立ち位置に収まることをイニティフとしては勧めてやりたかった。

 しかし、この少年が大人しく話を聞いてくれるだろうか。


「……随分急な話じゃな。とはいえこの辺りに魔物はほとんど横行しておらぬ。――北の領境に再び出向くかの?」


 猟師コーラルが推し進めたという狼を用いた治安維持は、辺境伯領のほとんどから強力な魔物を駆逐している。領内の方々を手を尽くして捜したところで、見つかる魔物は痩せたゴブリンが精々だろう。

 そう指摘すると、カルマは鼻白んだ様子を見せた。


「それ、ノーミエックとかいう商人からも聞いたけどさ。実際本当かどうか怪しいだろ? ……辺境伯領のほぼ全域をカバーする数の狼なんて、どうやって統率するんだよ。あいつら傭兵団が狩場を独占するための方便なんじゃないか?」


 初対面で己の顔に泥を塗った傭兵団のことを、カルマはいまだ根に持っているようだった。

 それに、と少年は続けて、


「――それに、今回狩りに行くのはゴブリンみたいな雑魚じゃない。狼なんかじゃ相手にならない強力な魔物が出たって目撃情報が上がってる。

 ヘルハウンドだ」

「ヘルハウンドじゃと?」


 意外な名前にイニティフは軽く目を瞠った。

 ――ヘルハウンド。黒い体毛をした大柄な体躯の獰猛な犬である。地獄の猟犬が示す通り、真夜中にその犬を見かけた人間は遠からず不幸に見舞われるとも言い伝えられる。

 普段なら半島に存在しない魔物だ。主に芸術都市の西にある丘陵地帯に、通常の狼と混じって目撃される程度だったはず。


 思考に沈んだイニティフに、クレアが補足するように言い足した。


「礼拝堂にお越しになった信徒の方からの情報です。西に続く夕闇の街道で出くわしたと。見たこともないほど大きくて、人骨のような棒を咥えていたとか。

 ヘルハウンドの中でも特殊な進化をした個体らしく、毛先が赤みがかっていたそうです」

「その信者、本物のヘルハウンドを見たことはあるのかえ?」

「いいえ。ですが目が合った途端、凄まじい悪寒と恐怖感に襲われたそうです。伝承に聞くヘルハウンド以外有り得ない、と」

「――――――」


 何か、見落としてないか。

 話の流れにどこか違和感がある。歯に何かが引っ掛かったような、口に出せずもどかしい違和感が。

 犬型の魔物、強力な個体、芸術都市より東では見かけない魔物、平穏を保ち続けている半島、目撃しつつも無傷だった信徒。

 何か、取り返しのつかない流れに乗りかけていないか。


「カルマよ――」 


 もう少し慎重に調査を進めるべきではないか、とイニティフが言いかけたところで、カルマがパン、と手を叩いた。


「決まりだな。あの猟師たちが怠けて見逃してる魔物を狩って、毛皮を持ち帰ってやろう。ここらででかい成果を持ってくれば、今まで散々言ってきたあいつらだって手の平を返してくるに決まってる」

「既にニアが偵察に向かっています。軽はずみは避けるよう言い含めていますが、あまりに物足りないと勝手に倒してしまうかもしれませんね」

「そりゃまずい! だったら急がないとな!」

「カルマ」


 おどけた仕草で話を進めていく二人に、イニティフが声をかけた。


「……儂は一旦領都に向かって、もう少し情報を集めてみるとする。万全を期しておきたいのじゃ。……それに、野犬一匹殺したところで儂に得るものなどなかろうでな」

「イニティフも俺のパーティに入ればいいんだ。そしたら俺の特典の対象になるのに――」

「言いよるわ! そういう台詞は儂から一本取ってから言うがよい」


 軽口を叩きながらイニティフは立ち上がる。……すぐにでも出立するつもりだ。扉に向けて歩くと、背中越しに二人の楽しげな会話が伝わってきた。

 ……毛皮にはどんな効果があるのだろう、やはり闇属性の何かだろうか。スキルは何を使うのでしょう、有用なものがあればいいのですが。光魔法しか使わないクレアには要らないんじゃないか――


「カルマ」


 扉に手をかけながら、イニティフは念を押すように振り返った。


「くどいようじゃが、慎重に。ゆめゆめ短慮にて動くな。油断と慢心はお主の欠点ゆえな」

「心配性だな、イニティフは」


 わかってるわかってると手を振って見送られ、今度こそ彼女は宿を出た。

 あどけない童女の顔に、笑みはない。

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