工学系が必ず胸に抱く恨み
欧米にも、水商売を営む場合源氏名を使用する風習がある、という話を知り合いから聞いたことがある。なんでも、日本のそれと同様に、ある程度パターン化されているのだとか。
ピカチュウ君だとかデビルちゃんだとか、あるいはミスターエホバだとか、そういう日本でも蔓延した頭の悪いキラキラ名称ではなく、ちゃんとした由縁のある、ある意味伝統的な源氏名の話だ。
夕鶴だとか朝顔だとか伊右衛門だとか唐松だとか、そういう花魁たちに用いられたものが近いだろうか。
その知り合いによれば、欧米でお水を生業にする女性が好んで使う源氏名は、大体三種類に類別することができるのだという。すなわち、古風な由緒ある女性名、花の名前、宝石の名前である。
いやそんなわけがないだろ、と思ったアナタ。今から思いつく限り適当に述べていくからご自分でイメージしてみるといい。さあいくぞ。
アンジーアンバーサファイアオパールエメラルドルビーアメジストアズライトオニキスセレスティントパーズパールジャスミンキャサリンダイアナダイアバイオレットローズローズマリーリリィアザレアマドンナカメリアアイリスジェーンフリージアアンジェラベアトリクスマーガレットオリヴィアパトリシアプリシアサブリナヴィオラエトセトラ……
その知り合いに言ってやりたい。多分それ偏見だ、と。普通によくある名前じゃねえか。
さて、どうして俺がそんなアホみたいな下ネタを語っているのかというと――――これ、俺の名前も当て嵌ってるんだわ。
昔話に曰く、珊瑚は宝物として珍重されてきたという。お伽噺でも金銀珊瑚に綾錦と語られ、昔から真珠と同等な扱いを受けていたのは想像に難くないだろう。
元々適当につけたアバター名だったもので、別に大して気にもしていなかったことなのだが……流石に水商売の源氏名みたいに言われるのは心外だ。別に俺は歌舞伎町で女装する趣味はないというのに。
そんなことをつらつらと語ってみると、会話相手を務めていた竜騎士の少女はじとりと目を据わらせた。
「……なるほど。つまりあなたは何が言いたいのですか、コーラル?」
「いやな、考えてみれば俺のことを名前で呼ぶ人間は限られてるな、と。大抵は猟師呼ばわりだし、部下の連中は隊長呼びだし」
名前で呼んでくる人間など、それこそ数人しかいないのではないか。団長や鍛冶屋は言うに及ばずだし、あの駄エルフにいたってはクソ猟師呼ばわりだ。大いに異論を唱えたい。
「――そのあたり、普通に名前で呼んでくれるお嬢さんから見るとどうなのかねぇ?」
「さて。風俗関係はあまり縁が無いので意識したことがありませんね。その源氏名云々も今はじめて知ったところです。もとより興味もありませんが」
ばっさりいきやがった。
長々としたぼやきを一刀両断されて言葉を失った俺を全無視し、行きつけの酒場の食卓に乗っかっている軽食を指先でつつきながらアーデルハイトは軽く息をつく。
「――そんなことより。先ほどから気になっているのですが」
「どうした?」
「あなたがあえて目を逸らしている、あの二人のドワーフです。特にそこの、悪趣味な宝石で身を飾った老人は何者ですか?」
「…………」
言っちゃった。言っちゃったよこの子。さっきからこっちが必死で見ないようにしている現実を……!
とうとう諦めて『そちら』をみやる。酒場の一角を占領し、そこでは二人のドワーフが掴みかからんばかりの勢いでがなり合っていた。
「じゃーかーらー! 何度も何度も言うとるように長さの単位にインチだのヤードだのフィートだの使うのやめろと言っとるじゃろうが! ついでにポンドも!」
「やかましい! うちの国じゃ第一紀の頃からこれで統一しとるんじゃ! 規格が合わなくて不便ならそっちが合わせい!」
「ええいこの無駄に自国スタンダードにこだわる英米脳め! いちいち相関表を自作する羽目になった儂の苦労を考えい! だいたいこの単位、元になった基準からしておかしいじゃろが! 脚とか腕とか指の長さとかぁ!? 一体誰の身体をもとにしとる!? あやふやな単位を人に押し付けるでないわ!」
「貴様らの使うメートル法とてこちらの世界では根拠レスじゃろうが! この惑星の形などこの数百年謎のままなのじゃぞ!? 異世界の常識をこちらに持ち込むなこの戯け! おまけにこの間貴様が寄越した設計図はなんじゃ!? シャクじゃのジョウじゃのスンじゃの意味不明な単位を使いおって!」
「ハッハー! 意趣返しに決まっとるじゃろざまあみろ!」
「なんじゃと表出んか貴様ァッ!」
……駄目だ、これ以上みていられん。
意識を向けていると疲れるだけなので目を逸らし、アーデルハイトに向き直る。もうあのジジイどもとは全力で他人のふりをするしかない。
「……ギムリンは知ってるな? うちの工作担当で、今回の建設責任者。――で、あの宝石の爺さんは……地下王国からお越しになったマイスタースミス、『宝飾』のガルサス殿です」
「…………は?」
うん、その顔だ。その気持ちはよくわかる。俺だって最初はそんな感じだったから。
「結婚式の招待状に余談として書いた、建設予定のグリフォンの発着場が琴線に触れたらしくてな。視察のため、二月くらい前から滞在しておられる。……なんでも、『建築』のマイスタースミスは新たな鉄道敷設の計画で手が離せないらしくて――」
「電鉄計画じゃ! 蒸気機関車じゃと排気で国中がえらいことになるじゃろ!」
「……まぁ、そんなわけで地下王国の代表としての逗留なんだが、建設計画にもよく助言を頂いている。マイスタースミスは専門以外についても一流を修めているそうでな」
「…………」
絶句するアーデルハイト。……俺だって最初は言葉にできなかったよ。言ってしまえばあの国の閣僚兼人間国宝が親善大使にやってきたようなものだもの。一体誰がこんな厄介事を持ち込んだんだ。俺だよ畜生。
ただし流石はマイスタースミスといったところか、その知見に助けられるところは大きかったらしい。発着場の全長だとか風力計算だとか、新たなクロスボウの改造案だとかがそれだ。
……もっとも、今こうしていがみ合っている通り、色々と齟齬が生じているようだが。
「……それにしても、なんだか最近は二人とも様子が変だ。特に爺さんなんか、いつもは単位のすり合わせなんて特に苦も無くこなすくせに。――いや二人に限らないんだが、やけに空気がカリカリしてるというか、会う人間会う人間妙に苛ついてる感じがする」
村長補佐のゲイル氏とか、商人のノームとかも機嫌が悪かった。鍛冶屋は普段と変わらなかったように見えるが、いつもより鎚を振る音が激しかった気がする。
……祝事が近付いてるというのに、何があったのだろう……?
あぁ、いや。いつもと違うといえば。
「そう言えば、アーデルハイトは今日は何の用で来たんだったっけか? いや、空を飛べばひとっ飛びだから別に来るなとは言わんが」
「…………別に、用というわけではありませんが」
俺の問いかけに、アーデルハイトは気まずげに口ごもり、
「少々不快な来客があったもので。……その、気晴らしといいますか」
「来客?」
「最年少の竜騎士という評判を聞きつけてきたそうです。ドラゴンの従え方を知りたい、と」
「王都の貴族か何かか? 箔付けのために竜騎士を目指してるとか」
「いえ、特に身分のあるというわけでもない、単なる少年のようでした。半島にいらした聖女クレア様のご紹介とのことで、無碍にするのは教会への失礼に当たるので」
「……黒い髪で黒い瞳の、扁平な顔つきをした?」
「ご存知でしたか」
……あの坊主、竜騎士になりに半島に来たのか? 今頃、火山でドラゴンと死闘でも演じているのだろうか。だとしたらさっさと終わらせて帰って貰いたいものだが。
しばし思考に沈んだ俺を他所に彼女は続ける。たん、たん、たん、と指先で机を叩く音がその内面を表しているようだ。
「契約の件について話をしているときは何事もありませんでした。見せつけるような笑顔と、やけに距離を詰めてくるところが気になりましたが。……ただ、騎竜との同調について話が進むと急に怒り出しまして。『そんなのドラゴンに意識を食われてるようなもんじゃないか』と。
契約はどちらかが死ぬまで継続することを教えると、いきなり私の手を握って、『君をドラゴンの呪縛から救って見せる』とかなんとか」
「うわぁ……」
「確かにドラゴンとの同調は危険を伴いますが、全て覚悟の上でのことです。それに信頼関係さえ築いていればリスクは皆無といっていい。余計なお世話だと手を振り払うと、今度は私が悪質な洗脳を受けているのではないかと疑い始めまして」
なんだろう、新手の中二病だろうか。いや、ここにログインできるということは成人を迎えてるはずだし、さすがにそんなナルシストを極めた言動なんてするはずがない。
これは本当に座長の言っていた『そういう』ロールプレイ?
あの瓶底が言うには、デスゲームごっこに熱を入れるあまりいつの間にか自分でもそれを信じ込んで、痛々しい言動を繰り返すようになったプレイヤーもいるらしい。彼もその類だろうか。
よほど腹に据えかねることを言われたのか、竜騎士の少女は大きくため息をついた。
「……とにかく、あんな風に迫られては気がささくれて仕方ない。仕事も手が付かないので、気晴らしにお邪魔したのですが」
「中世貴族特有のおおらかな仕事観だな。それで回るならありっちゃありだが」
時間に追われる日々を送る現代人にはなかなかできない決断だ。……知ってるか? 江戸時代の武士は日に三時間働くだけで禄を貰える役職があったらしいぜ?
「…………その、コーラル」
「うん?」
遠い目になった俺を、少女は躊躇いがちに見つめてきた。上目づかいに恐る恐るといった様子で、それまで机をつついていた手を差しのばして、
「――――少し、手を握ってくれませんか?」
俺にどうしろと。




