信じる者は救われる
交易都市の建設予定地、そこには簡易的な礼拝堂が建っている。
主に建設現場で汗を流す労働者が週末の礼拝に訪れるための御堂で、大きさとしては学校の教室ほど。別にステンドグラスが張られているわけでもなく、ぱっと見ではそうとわからない程度の神の家だ。
中身は数列の長椅子が並べられ、正面には光神教のシンボルである光輝を模した神体が鎮座している。
住職はいない。即席の礼拝堂であるため、領都や光神教本部からの派遣を検討されることすらなかったのだ。主のいない礼拝堂は、本当に信徒が勝手に祈っていくための無人寺じみていた。
あの瓶底眼鏡からの勧誘を丁重に断って数日後、俺はその礼拝堂に単身で赴いていた。
「――――――」
無言で長椅子にだらしなく身を預け、ぼんやりと光輝のシンボルを眺める。……何の変哲もない木材を組み合わせ銀箔を貼った本尊である。これといった来歴もないし、たとえ今から蹴り折って金槌で粉砕したところで神罰が当たるとも思えない、実に粗末なものだ。
礼拝堂はほぼ無人。今の時間、労働者たちは建設現場で汗を流している最中だろう。いるのはこうやってダラダラと座り込む俺と、
「…………」
今もそうやって本尊のすぐ正面で跪き、熱心に祈りを捧げている女神官くらいだろう。
神職に置いておくにはもったいないほどの美人だ。波打つ金髪と匂い立つような色香、こうして後ろから見てもはっきりとわかる豊満な身体つきは、神官服越しだというのに――いや、むしろそのせいで際立ってさえ見える。男なら我を忘れてふるいつきたくなるのではないか。
「……少し、驚きました」
跪拝を終えた神官が立ち上がり、振り返った。後列に座っていた俺の存在に始めから気づいていたのか、微塵も同様を見せずに。
「『客人』は宗教を嫌う――そう聞いていたので」
「それは間違ってないな。実際、鬱陶しい宗教勧誘は嫌いでね」
「では、どうして?」
「ただの見物だよ。最近になって、このハスカールに聖女様がやってきたと聞いたもので、どんなものか覗きに来ただけだ」
実際、驚かされたのはこちらの方だ。天啓を受けた聖女という噂を聞いて、一体どんな清楚系巫女か、はたまた百年戦争を戦い抜けるようなゴリラ系凄女かと思っていれば、出くわしたのは美貌はあってもさほど非凡さの感じられない女ときた。言ってはなんだが、これといって神々しさなど見受けられない。
おまけにこの女、数日前にヒーローショーで野次を飛ばしていた少年の隣にいた女じゃないか。
「まったく、世間は狭いな。それなりに気負ってきたのが馬鹿みたいだ」
「仰る意味が分かりませんが、これも何かの縁でしょう」
期待外れだと皮肉を飛ばしても動じずに受け流される。……なるほど、その若さで聖職者をやるだけあって、そこそこ人間ができているらしい。
「――あぁ。ですが、気負う、といえば私も拍子抜けしたことがあります」
と、そこで聖女がふと首を傾げた。
「簡易建てとはいえ、この礼拝堂に祈りに来る信者の方々が意外に少ないのが気になります。ここ以外で神の家といえば、それこそ領都くらいにしかなかったはずなのに」
「――――ふん」
なんだ、そんなことか。
なにせ半島に来たばかりの一行だ。ここの事情に疎いのも仕方がない。
「十年も前だ、北の領境でスタンピードが起きてね。このハスカールの住民は、その時に逃散した流民が大半を占めている。神様に祈って奇跡が起こるなら、どうして村を捨てる前に救ってくれなかったのか。――そんな考えが主流なんだろう」
実際、拡大期にあったハスカールで礼拝堂の建立を望む声はほとんどなかった。祈る暇があるなら魔物除けの果実でも栽培した方がよほど役に立つ――そんな風潮であの村は今まで栄えてきたのだ。
この礼拝堂だって同様で、村の予算を使って建てることに反対意見が出るほどだった。それでも建造したのは、外部からやってくるスタンピードと無関係な労働者のためである。
そう説明をすると、聖女は嘆かわしげに首を振り、
「浅ましいことです。己の無信心の責任を主に押し付けるとは」
そんな台詞を口にした。
「…………は」
頭の中が冷えていく感覚がする。釣り上がった口端から、嘲るような吐息が漏れた。
……宗教家とは反りが合わないと自覚していたが、やはりこの女ともか。
「随分なご高説だな、聖女様。まるで、あれで死んでいった連中の祈りが足りてなかったみたいな言い草だ」
「主の意向は定命のものに測りきれません。たとえそのスタンピードで亡くなられた方がいたとしても、その死にはきっと意味があるはずなのです」
「――――その台詞、墓の前では言わないでくれ。思わずその首、叩き落としたくなる」
魔物に直接殺されたものだけではない。あれで畑を潰され、それでも諦めきれずに留まって飢えて死んだ者がいる。賊に身を落とし、領兵に討伐されたものもいる。このハスカールに辿り着けず、道中で力尽きた流民もいる。
そして――――あの子は。
年端もなく罪もない、ただ巻き添えで焼き殺されたあの子の最期に、神様とやらはどんな意味を貼りつけて下さるんだ。
「これ以上いても、お互いのためにならないな。お暇させてもらおう」
踵を返す。あの澄ました聖女面を眺めていると、拳を叩きつけずにいられる自信がなかった。
……いや、まだやり残したことがあったか。
「――あぁ、それと。ひょっとしたら知らないかもしれないから一応伝えておく。あのカルマ少年にも伝言しておいてくれ」
「言づてですか?」
「半島での暗黙のルールのようなものだよ。――狼には近づくな」
「狼?」
きょとんとした声で返され、俺は思わず苦笑を漏らした。……やっぱり知らなかったか。領境のあちこちに立札を立てていたんだが、見ない人間は見ないものらしい。
「あれは人間を襲わない。そういう約束になっている。魔物だけを襲う賢い狼たちだよ」
「……承りました。カルマ様にも伝えましょう」
さあ、本当にもうここに用はない。さっさと帰るとしよう。
ぎしぎしと床板を踏み鳴らして歩を進め、扉に手をかける。開け放って外に出ようとした俺に、背後から聖女の言葉が突き刺さった。
「主の御意志は深遠で、私達に測りきれるものではありません。――ですが、主はそのご意思を明確に伝えるため、御遣いをお寄越しになられます」
「…………痴れ言を」
「あなたはまだ信じられないでしょう。まだ何も奇跡を目にしていないのですから。……私もそうでした。迷える愚かな盲目の羊。しかし、目を見開かせて下さる御遣いが顕れたのです」
「――――――」
糞くらえだ、そんなもの。
付き合いきれないと判断した俺は、背後からの声を振り切るように礼拝堂の外に出て、音を立てて叩きつけるように扉を閉めた。
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「――――いずれ、あなたにもわかる日が来ます。必ず、必ずです。…………そうですね、カルマ様」




