破滅の幻騎士
「失せろ、餓鬼。巻き添えを食らっても知らんぞ」
「うっ……」
いつの間にか魔族の手から奪い取っていたのか。抱えていた少年を地面に下ろし、幻騎士は乱暴に背中を突き飛ばした。
そんな男に何か思うところがあったのか、マウノは物言いたげにその顔を見つめる。黒い兜に覆われて表情の窺えない幻騎士は、視線に苛立ったのか鼻を鳴らした。
「行けと言った。三度は言わん、邪魔と見ればお前ごと焼き殺すぞ、餓鬼」
「―――――っ」
意を決した様子で、今度こそ少年は走り去った。その背中を見つめながら、黒い騎士は気に入らなげに舌を打つ。
「……下らん感傷。俺も焼きが回ったか。しかし――」
「ラミエル……!」
魔族アズールが怒号を上げた。
「邪魔立てするか、ラミエル! 我らの悲願、忘れたとは言わせんぞ!? 貴様の暴挙、大首領様に報告する! ただで済むと思――」
「道化も過ぎれば目障りだぞ、アズール。この状況を見て察せられないとは、貴様の愚鈍も極まったと見える」
幻騎士が再度魔族を嘲った。兜のスリットから覗く眼を酷薄に細め、腰の剣を抜き放つ。
「もとより、貴様らの同類になった覚えもない。俺は俺の目的のため、たまさか貴様らと同じ方向を向いていたに過ぎない。――全ては、妹の復讐のため。
そして、見つけたぞ」
「ラミエル――――」
黒炎が剣を覆う。猛々しく、そして禍々しく。
その昔、聖剣と並び称された幻魔剣は、見る影もなく憎悪に歪んだ魔力を放った。
「村を焼いた五人の魔族――――その一人が、こんな間抜けだったとはな」
「ラミエル……!」
「殺してやるぞ。あの腐った総代と同様に、惨たらしく血祭りにあげてやる――――!」
「抜かせッ!」
魔族が走った。右腕には斬首の鋏。一撃をもって幻騎士の首を刈り取らんと肉薄し、凶器はその黒影を捉えてみせた。甲殻の刃は切れ味凄まじく、一瞬の停滞もなく男の首を抜ける。
しかし、
「――忘れたか、俺の異名を。この幻視の力を」
「く……ッ!?」
それはまるで、影灯籠のごとく。
霞のように滲んで消えた幻騎士の影。空を切った蟹鋏は勢いもそのままに――――見当違いの方向に吹き飛んだ。
「がッ……!?」
斬り飛ばされた。一体いつ?
困惑を抑えつけてアズールは振り返る。背後には血に濡れた剣を提げた幻騎士。追撃をかけるわけでもなく、狼狽える魔族を眺めている。
取るに足らない敵と言いたげな仕草だった。
「舐めるなよ、ラミエル! 一度や二度斬り落とされた程度で、この怪腕が失われるわけではないのだ……!」
魔力が滾る。循環する血液とともに右腕へ収束し――みちみちと音を立てながら、新たな鋏が生え変わった。
その間わずか数秒。真新しい甲殻の刃をガチガチと噛み合わせ、幻騎士へと突きつける。
「――――――フン」
対し、幻騎士の対応は常軌を逸していた。
鋏を構え、臨戦態勢の魔族を前にし、あろうことかその手の剣を鞘に納めたのだ。
「な――――何のつもりだ!?」
「見てわからないか? 興が醒めた」
激昂する魔族に幻騎士は冷ややかに応えた。先ほどまで放っていた凍り付くような殺気すら消え失せ、本当に戦意を失ったように見える。
「貴様ごとき、俺が手を下すまでもない」
「なんだと!?」
「――譲ってやる。精々うまく仕留めろよ、ミカエル」
何の話だ。ラミエルは一体何を言っているというのか。
聖騎士は無力化した。剣を奪い、馬を奪い、痛撃を与え身動きもままならない。そんな男がどうやってアズールに危害を加えうる?
ありえない。ハッタリだ。現に、今もミカエルはそこで蹲って死にかけているでは――
「――居ない!? 馬鹿な、あの傷でどうやって……!?」
「戯けめ。奴は当代唯一の聖騎士だぞ? 司教クラスの奇跡を操る治癒師に生半可なダメージなど意味をなさん。隙あらば動ける程度に回復する」
それに、と幻騎士はどこか演技じみた動きである方角を指差した。
遥か高くに広がる、どこまでも透き通った蒼穹を。
「剣を奪った? 槍を折った? だからもはや脅威ではない? ――馬鹿を言うなよアズール。『聖剣』とは、貴様が思うほど甘いものではない。たかが剣を失った程度で無力化される程度の男に、騎士団最強の称号など与えられるものか。その程度の男に、この俺が敗れるものか。
そうとも、見せてみろ、ミカエル! 俺を打ち破ったあの輝きだ! この醜悪を討つために放たずして、一体何のための光輝の業だ……ッ!」
「――――――」
その聖騎士は天空に在った。
甲冑の背から噴き上げる蒼銀の光帯は、あたかも天使の翼のごとく。
噴出する光の魔力を推進力にして、なおも騎士は空を翔ける。
剣は無用。槍も不要。
悪を滅する最大の刃とは、魂を燃やす鮮烈な輝きに他ならない。
死線にあって、なお心を奮わせられるものならば――――!
「往くぞ……!」
「聖騎士――――!」
魔族が咆哮した。左手で右の鋏の片刃を力尽くでもぎ取り、担ぐように振り上げる。
投擲の構え。空にある聖騎士を撃ち落とさんと、渾身を籠めて――
――――否。
「させんよ、アズール」
「な、なに……!?」
振り被った左手が、何者かに掴まれた。
驚愕とともに振り返る。目に映ったのは、縋りつくようにアズールへ差し伸べられる、細く白い腕だった。
何本も、何十本も、数えきれないほどの腕が絡みつくようにアズールを引き留める。どこから来た腕なのか。大元は不可解な靄に隠され確認もままならなかった。
……これは何だ。なんだというのだ。
絡みつく泥沼のような腕の拘束。どれもこれもに不思議と見覚えがある。
どうして。
どうして今まで殺してきた女どもの腕が、今ここで邪魔をする……!?
「実体を持つ幻覚、だと……!?」
有り得ないものを目にしたアズールが喘いだ。……こんなものは知らない。闇魔法に長けた魔族であっても、幻像に実体を持たせるなどという芸当は不可能だ。
ならば幻騎士とはなんだ?
闇ではなく、邪でもない。聖騎士と対でありながら『幻』を冠したその理由とは――
「この秘術、知ったからには生かしておかんぞ、アズール」
「ラミエル……!」
「手を下しはしない。だが、手を出さないとは言ってなかったな」
「お……オォォオオォオオオオオオオオ――――ッ!?」
幻騎士の嘲弄に応えず、魔族は叫んだ。
もはや脅威は黒い騎士にあらず。幻騎士の足止めはアズールに致死の隙を生み出した。
眼前には光輝を纏う聖騎士。流星のごとく残像を引いて墜ち来る白い極光は、もはや魔族に避けようもなく。
「おのれ……おのれぇ――――ッ!?」
たとえるならば、その輝きは超新星のそれか。




