世にも奇妙な――
――参ったわ。私の負けね。
そう言って、エルフの弓兵は肩をすくめた。……先ほどの挑戦的な態度とは打って変わって、穏やかな微笑を浮かべている。
憮然とした顔の少年に苦笑し、彼女は木椅子を取り出して座り込んだ。視線は召喚されたユニコーンに向き、どこか懐かしむような顔つきだった。
なにか、思い出を刺激されたのだろうか。
――せっかくだし、ちょっとしたお話をしましょう。……時間の無駄にはさせないわ。きっとカルマ君のためになる話でもあるから――
ほう、と息をついて、エルフは年老いた語り部のように、こんな話を切り出した。
●
――これは、私自身の経験じゃないわ。
知り合いの長老から聞いたのだけど、彼女も又聞きだと言ってたほど人づての話。
だからひょっとしたら、事実と異なるところもあるかもしれない。
第二紀の初めごろ、エルフが大陸を席巻していた時期のこと。一人のエルフの男がいたそうよ。
名前を……仮に、Eとしましょうか。
Eは行商人の身の上で、大陸中を巡って商品を売買する日々を送っていたわ。
基本的に一人旅。商人でありながら人付き合いの苦手な彼は、ひとところに定住せず悠々自適に歩き続けたの。
旅の供は親から受け継いだ一頭のユニコーン。商品を詰めた頭陀袋を六つも載せられる、力強い牡馬だったそうよ。
――ただ、そんな彼も一人の男。性欲の薄いエルフとはいえ、何年も一人旅だと人肌が恋しくなる。所帯を持とうと何度も考えたそうだけど、拠点も持てず器量がいいともいえない風貌のEは、その手の話とはまるで縁がなかったのだとか。
結局、Eは溜まり込んだ欲求不満を発散させることも出来ず、悶々としながら行商の旅を続けていたわ。
話は少し変わるけど、ユニコーンについて説明は必要かしら?
伝承に曰く、角は霊薬の素材となり乱獲の原因となった。今ではユニコーンはとても希少で、比較的生息数の多いはずのパルス大森林でも、見かけたらその年は幸運に見舞われると言われるくらい。
今回特に話題に乗せたいのはこのユニコーンの気性の方でね、ひょっとしたら君も知ってるかもなんだけど…………その顔だと、大体予想はついたみたいね。
――そう、ユニコーンといえば、極度の初モノ好きとして知られているわね。
うら若い生粋の乙女を見かければ問答無用で襲い掛かり、純潔を散らしたら用無しとばかりに額の角で突き殺す。――これ、小学生レベルの常識よ。
Eの飼っていたユニコーンはこの気性が特に強くて、生娘と見たら見境なしに事に及ぼうとするほどだったそうよ。
……文字通り見境なし。エルフや人間はもとより、リザードマンやゴブリン、果てはオークや生殖機能の無いドリュアスにまでその毒牙は及んだわ。
当然、種族が違えば子供は出来ない。滾る情欲を叩きつけ、賢者タイムに移行したそのユニコーンは、迷いなくその娘を突き殺した。
どれくらい旺盛なのかというと、そのユニコーン自慢の二つの剛直は二種類の膜を破り続けて、血の染みが取れなくなったほどだというわ。
……そんな自分の持ち馬を見て、Eはなんて思ったのでしょうね。
煮えたぎったリビドーを魔物にぶちまけ、気が済めば突き殺す。あとに残るのは色々な体液にまみれた死骸だけ。
最初は、あまりにも見境ない馬に呆れて笑い話の種にしていたそうよ。……なんて非生産的な馬だ。オークにまで手を出すなんて、雌なら何でもいいのかって。
でも、日を追うごとにそんな余裕はEから失われていったわ。
……自分は異性との接点すらほとんどないのに、こいつは異種族とはいえ連日のように女とまぐわっている。人生を謳歌しているのはどっちなのだろう。
倒錯的な嫉妬心。常にいきり立っている愛馬と違い、自分は相手をしてくれる女もいない。欲求不満は溜まる一方。たまに感じる温もりも、道中跨っているユニコーンから伝わってくるものだった。
Eは高まる劣情を、ユニコーンの背中で身じろぎしながら必死で紛らわせていたわ。
……そんな中、ある日Eは自分をじっと見つめる視線に気づいたの。
始めは気のせいだと思ったらしいわ。周りには誰もいないはず、なにしろ今は行商の旅の途中なのだから。
けれど、日を追うごとにEを見つめる視線は圧力を増していったわ。つかず離れず、近くにいるとわかっているのに、どうしてもその視線元を探れなかった。
物理的な圧迫感を感じさせるほど、奇妙な熱を孕んだ視線だったそうよ。
……これはいけない、今夜は焚火を大きく焚いて警戒しながら寝よう。
とうとう視線に堪え切れなくなったEはそう考えて、野営の準備を始めたわ。そして――
数日後、Eと出会ったエルフたちはびっくりしたそうよ。
いつもなら鬱屈した表情を抱えながら商談に臨むE。だというのに、その日のEはどこか吹っ切れた表情をしていた。
何があったのか聞いても、顔を赤らめて話題を逸らすばかり。
……これはひょっとすると、と商談相手のエルフは邪推して――――その光景を発見したわ。
Eにむけて熱っぽい視線を送る、彼の愛馬の姿を。
思い返せば、Eの歩き方はがに股気味でちょっと不自然だった。
つまりは……そういうことよ。
全てを察した商談相手は、無言でEを祝福したわ。自分は絶対なりたくねーなと内心ドン引きしつつ……。
以来、エルフの中である慣習が出来上がったわ。
雄のユニコーンを連れた男に向けて、出遭い頭にかける言葉が定型化されたの。
曰く――
「菊を捧げた具合はどうだった?」
●
「――さて、改めて聞くけれど、今さっき召喚してのけたユニコーンの契約者はあなたってことでいいのね、カルマ君?」
「エルモさん!?」
何事もなかったように爆弾を投げつけるエルモに堪えかね、真っ赤になったハンナが叫んだ。
……季節外れの怪談かはたまたタメになる教訓話かと思えば、まさかの猥談だった。真面目に聞いていた人間に謝ってほしい。
頬に手を当てると今までにないほど熱くなっていた。そういった話題と縁のない田舎の村人に、エルモの猥談は刺激が強すぎる。
見てみれば少年の方も同様なのか、拳をわなわなと震わせて黙り込んでいる。そんな彼に構わず、エルモは畳み掛けるように言葉をかけた。
「このユニコーン、見たところご立派なモノをお持ちなようだけど、当然去勢してるのよね? 雄のユニコーンなんてエルフの間じゃ淫獣扱いなんだけど、そこらへん理解したうえで連れ回してるのよね?」
「で、でたらめだ! どうせごく一部のエルフの内輪ネタだろ!?」
「はいこれ、それを題材にした薄い本」
顔を紅潮させて怒鳴った少年に、すかさずエルモが一冊の冊子を手渡した。表紙には耽美なイラストで青年と白い馬面が仲睦まじげに頬寄せ合っている様子が描かれている。
……なんというか、いかにもそんな関係を暗示させる絵面だった。
「八十年前に芸術都市で発刊したやつでね、発行部数八千部ですって。人間でも貴族なら十人に一人は持ってるんじゃないかしら」
「じ……っ!?」
「うちの村はエルフが多いから、噂が広まる前に引っこめた方がいいわよ、その淫獣」
「…………っ! 帰る!」
「ゴミ掃除は忘れないでね。村の入り口、臭くてかなわないわ」
エルモの煽るような口調を背に受けながら、カルマは踵を返した。傍らの白馬が光の粒子となって送還されていく。
ずかずかと足音を立てながら去ろうとする少年を愉快げに見つめ、エルモはさらに声をかけた。
「ところで、ボブさんが地下王国からゴム栓を仕入れてきたのだけれど、買ってみない? ――ほら、『菊を捧げた』なら色々と穴がガバガバになってるかもだし?」
「――――ッ!」
バタン、と叩き割らんばかりの勢いで役場の扉が閉じられた。それを冷ややかな視線で見送ったエルモは、軽く鼻を鳴らして頬杖をつく。
「――勝った。主人公やりたいならこの程度でめげてんじゃないわよ、ばーか」
「エルモさん……」
「いいのよ、あれで。どうせどこかの貴族のお坊ちゃんが中二病患っただけなんだから」
ハンナから非難混じりの視線を受け、エルモは言い訳するように言葉を並べた。
「きっとプレイヤーの火付けだと思うんだけどね、なんだかそういうジャンルの小説が流行ってるらしいのよ、大陸の方で。
それに影響を受けた馬鹿が頻出して問題になってるらしいわ。……自分は異世界の人間が転生した特別な人間なんだーって勘違いしたお坊ちゃんが、密かにスキルを鍛えてこんな風に見知らぬ土地で勘違い系を装うの」
これじゃ勘違いどころか気違い系よね、とエルフは気楽に笑い、ハンナはさらに顔色を曇らせた。
「あの……それだとやっぱり危なくはないですか? 貴族のご子息を敵に回すことになりますし……」
「いいのよ。むしろ適当に扱ってあげた方が何年か後になって感謝されるわ。真に受けられた方が死にたくなるほど恥ずかしいことってあるのよ」
訳知り顔でそう言って、エルモは気にした様子もなく大きく伸びをした。実際、対応に困っていたところを助けられた形のハンナはそれ以上言えることもなく、話はそこで終わることになる。
その時は、誰もがその少年を重要視していなかったのだ。
「――インベントリに死骸を入れてなかった辺り、プレイヤーって線はまずないしね。……ただ、どこの貴族の子供かってくらいは調べておきましょうか」




