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PHOENIX SAGA  作者: 鷹野霞
寒村に潜む狩人
20/494

暴れ猪

 ……よし、帰ろう。


 コンマ三秒で遁走を決意する。だってあれは無理だ。明らかにでかすぎるし纏っている雰囲気が不穏すぎる。その体躯はたとえるなら軽自動車に近く、正面に据えた際の圧迫感が半端ない。そのごわついた毛皮はいかにも強靭で攻撃を通しにくく見える。

 こんなものをどうやって相手どる? 手持ちで威力のある武器はクロスボウだが、まともに突き刺さるか怪しいものだ。狙うとすれば心臓一択だが、毛皮と脂肪と筋肉に阻まれて、短いボルトでは心臓に到達するかどうか……。

 口からはみ出る牙も問題だ。目測でその長さは30㎝を超え、あんなものが掠めたら動脈どころか内臓にまで達するだろう。事実、猪の左側の牙は狼の血に濡れててらてらと陽光を反射している。


 ……きっと毎朝木の幹とかに擦り付けて歯磨きに余念がないのだろう。切れ味よさそうだなぁ。


 半ば現実逃避しながら鑑定を起動させる。もしやられて死に戻ったとしても何らかの情報は持ち帰りたい。……いや、諦めてはいないけれども、念のために。



大猪 戦力値150

状態異常:酩酊 幻惑 魅了 狂乱 激怒

HP:82/127

MP:0/0

SP:103/103


≪詳細鑑定に失敗しました≫



「まるで役に立たねえな、くそ!」


 体力とスタミナしか表示されなかった。重要なのはその他ステータスと保有スキルじゃありませんかね!

 スキル説明にあった詳細だの簡易だのってそういう意味!?

 あと何なんだその山のような状態異常は。錯乱系のオンパレードじゃねえか。

 思わず毒づいた声に反応したのか、猪が俺を鼻息荒く睨みつけ、


「ブゥイィィヒィイイイイイイイ―――!!」

「―――ッ」


 喘息をこじらせたような咆哮がびりびりと鼓膜を震わせる。撒き散らされた涎が顔にかかった。お前はタタリ神か乙事主かと突っ込みたくなる。お願いですから出没するのは邪気眼患ったイケメンの近くにして下さい。


 来る。荒々しく土を引っ掻き、猪が前方の俺に狙いを定めた。ひるまず目を直視する。血走りぐるぐると定まらないそれは、明らかに正気を失っていた。

 野生動物との心温まるほのぼの和解は早々に破棄する。……こいつは視界内で動くものを手当たり次第に食いちぎり踏み潰す気だ。


 ―――土が炸裂した。

 そうとしか言いようがない。踏み抜いた後ろ足に蹴立てられ、足元の土が後方に吹き飛んだ。一直線に突進してくる。まさに猪突猛進、遮るものは獲物ごと粉砕するといわんばかり。

 彼我の距離、わずか十歩。この程度の間合い、奴の脚力なら半秒とかからず零にできよう。

 躱す手段はない。現実の猪の速度は時速にしておよそ50㎞。一般県道をいく自動車と同等のスピードである。大きさからみて重量は一トン以上。そんなものが全速力で正面から突っ込んで来たら、人間の体などひとたまりもない。


 ……場違いなことに。俺はこの状況でひどく感心していた。

 巷であふれるトラックに撥ねられて異世界に転生したり時代を逆行したりしている無数の主人公達は、死ぬ以前にこんな恐怖と戦っているのか、と。


「――――――」


 集中する。体内に巡る魔力を認識。体の中心にある魔力を生み出す炉はいまだ小さく頼りないが、ケツを叩いて強引に稼働させる。循環はそのままに手元に魔力を集めた。

 属性を指定し魔力を変換する。時間は要らない。散々海でやってきた工程だ。この程度、わずか一念すらもかけるものか―――!


「食らえ、水鉄砲!」


 ……猪は犬と同様に水を嫌う傾向がある。そのため田舎では放水によって猪を除けようとする試みもあるほどで、その有効性はかなりの確度で証明されている。

 慣れた相手なら鼻で笑う子供だましだが、初見ならまず間違いなく度肝を抜かせられるはずだ。


 突き出した右手から水流が噴出し、迫りくる猪の顔にぶちまけられた。たまらず猪は悲鳴を上げて顔を背けた。

 鈍る速度。首を逸らしたことで生まれる僅かな進路の誤差。その隙間に、強引に体をねじ込んだ。

 山刀を逆手に引き抜き盾代わりに猪の牙に押し付け、


「が……ッ!」


 躱しきれなかった。どうにか牙は外したが、続く横腹に跳ね飛ばされて宙を舞う。地面に激突するが、苦しむ暇は残されていない。

 跳ね起きる。左手の山刀は中ほどから圧し折れていた。もったいないと嘆きつつ放り捨てる。


 猪はすぐに方向を切り返してこちらを向いていた。未だ敵意は瞭然。一度頭を冷やしたところで冷静になってはくれないらしい。

 手を掲げ水流を叩きつける。猪は苛立たしげに唸り声をあげ、射線を逃れるように疾走する。


 ……魔力切れを待って迂回して突っ込む気か。獣の癖に賢しげな。


 計画を変更。牽制の放水はMPが三割を切ったところで中止とする。これ幸いと猪が方向を転換して向ってきた。……正直、あれを見て猪突猛進を小回りが利かない代名詞みたいに使うのはどうかと思う。


 体を屈める。地に手を付き、まるで四足の獣のように体を伏せる。目前に猪。大きく開けた口が見えた。このまま食い殺す気か。震えそうな身体を叱咤して力を込める。


 蛙のごとく跳躍した。およそ人間ではありえない高さ。恐らくは三メートル以上。

 身体強化。四肢に滞留させた魔力を筋肉に注ぎ込み、瞬間的に筋力を増大させた。

 本来、このスキルは魔力の五%を攻撃と防御に加算するものだ。跳躍や走行は敏捷値の領分である。なので、『地面に対し』押し込み蹴りつけて攻撃するという体で発動させてみたのだ。


 ぶっつけ本番だったが賭けには勝った。残るMPをすべて使い切り、俺は常人離れした跳躍でもって猪の頭上を跳び越え、太めの木の枝に手を伸ばす。このまま木々の枝を伝って逃げ去ることが出来れば―――


≪経験の蓄積により、『軽業』を習得しました≫

≪スキルレベルの上昇により、敏捷値が上昇しました≫


「アナウンスめが……ッ!」


 空ぶった。

 スキルの習得、それに伴う敏捷値の上昇。プレイヤーへの補正として動体視力の向上が付与されたのだろう。それが悪かった。

 つい直前まで高速で接近して見えた木の枝が、突然その速度を鈍らせたら?

 結果は見ての通り。俺は悪意すら感じるアナウンスに罵声を上げて地上に落下し、


「ぎっ……!」


 息が詰まる。何とか受け身は取ったが、慣性に押されてゴロンゴロンと無様に転がる。地面に触れた顔が濡れた。俺は先ほどぶちまけた水の上を転がったらしい。不快さもそのままに立ち上がる。


 獣との間合いは離れていた。およそ20歩。すれ違ったばかりで未だ背中しか見えないが、猪は二度も躱されて相当ご立腹らしい。ビィビィと興奮した声をしきりに上げて、視界から消えた俺を探している。

 逃げられる距離ではない。ならば迎撃あるのみ。山刀は折られた。クロスボウは装填が間に合わない。ほかに何が―――


 …………あった。


 インベントリから選択し取り出す。俺は『それ』を抱え込み、武器のように猪に向けた。



 一本の木の杭を。

おかしい。

戦闘シーンはこれで終わるはずだったのに。

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