聖遺物要員きたる?
「そういえば、こんな話を知っていますか、コーラル?」
「こんな話?」
不意にかけられたアーデルハイトの言葉に、俺は困惑して首を傾げた。
今年十七になる少女は、特徴的な若草色の髪を揺らして手元の羊皮紙を眺めつつ言葉をつづける。
「ええ。近々この半島に、『聖女』が訪れるという噂話です」
「聖女ぉ?」
何やら宗教臭い話になってきた。正直そういうのは勘弁してほしいんだが。
あからさまに顔をしかめた俺の様子を見て何かを察したのか、少女は軽い溜息をつく。
「――『客人』は無宗教の人間が多いと聞いていますが、あなたもその一人でしたか」
「サイコとカルトとマッドは速やかに殺せっていうのがうちの家訓でね。代々そういうのに痛い目に遭わされ続けてきたもんだから、軽度の宗教家相手でも距離を置くようになった。坊主憎けりゃってやつだよ」
「軽度って……」
まるで何かの疾病に対するような言い草に、アーデルハイトが頭を押さえた。……そんなに変な価値観かねぇ? 日本じゃ割と当たり前な考えだぞ、これ。
……ちなみに、次点で関わり合いになりたくないものはアカとネオナチである。
前者は単純に思想が危険で、後者はどこからか発掘してくる珍妙兵器が厄介極まりない。どうしてあんな前時代の思想が未だ蔓延っているのか、とかくこの世は複雑怪奇というやつか。
「――しかし、聖女とは。ここにきて結構な年数を過ごしてるんだが、そんな噂、聞いたこともないぞ」
「当然です。彼女が頭角を現したのはごくごく最近、活動を始めたのも二年ほど前からだったと聞いています。それまではまったく無名の神官だったのだとか」
それはまたドラマチックな出自だこと。……いやこの場合はロマンチックか。
何の変哲もない素朴な修道女が、ある日神託を受けて奇跡の業を振るうようになる。素朴であり無垢であるからこその純粋な愛ゆえに。
……ふん。なるほど、三文作家が好みそうな劇的さである。そのうちオルレアンに向けて雄叫び上げて突撃するのではあるまいか。
「欠損した四肢を再生させる、失明した人間に光を与える、賛美歌によってリッチーを霧散させる。……少なくとも、光神教の司教クラスの実力です。二十代にもならない人間が、正規の訓練を経ず習得できるものではない」
「やっぱり、その奇跡って光魔法の括りなのか?」
「一応は。――ただ、光を収束させて攻撃に用いるならいざ知らず、回復魔法や神聖属性の発露は難易度が跳ね上がります。だからこそそれらは神の御業と捉えられ、極めるには深い信仰が不可欠とされているのです」
信心が薄い私はBランク止まりが精々でしょうね、と少女は自嘲するように呟いた。
一種の神がかり。強烈な自己暗示と陶酔状態によって、NPC達にはイメージしづらい治癒の過程をすっ飛ばす、というのが光魔法の真髄であるという。
ただしそれはあくまでNPCの話だ。プレイヤーならば再生医療による細胞増殖をもとにして理論をおぼろげながらでも理解できるし、それ以前に筆記試験に合格して論文を神殿に捧げればスクロールを得られるのだとか。……俺、スクロールなんて使ったこともないんですが。
問題は、その試験の元締めである光神教神殿がどうしようもないほどの年功序列制で、プレイヤーですらランクをAまで上げるのに最短でも二十年かかるということだろうか。
結論として、今の時代にプレイヤーで奇跡レベルの光魔法を使用できる人材は未だ発見されておらず、NPC達でも使い手の大半が宗教関係者で光神教の管理下に置かれている。
だからこそ、新たに現れた高位の奇跡を操る在野の聖職者が、聖女と呼ばれ注目されているのだと彼女は語った。
「何ともご立派なことだ。そんな御大尽がこんな辺境に来るとは」
「何やら神託やら特命やらを受けての来訪なのだとか。――万が一とは思いますが、出遭ったら言動に気を付けてください」
「よしわかった。万が一の時、遺体が一般人に毟られないよう護ればいいんだな」
「違います。考え直しました、やっぱり近寄らないでください」
何故に。
地下王国でガルサス翁から聞いた、第三紀の雄弁の聖女のグロ話はよく覚えている。何かあったら聖人の遺体は略奪の対象となるのだ。万が一を講ずるならそれこそ万が一の事態を想定するべきではあるまいか。
そう言うと、アーデルハイトは目端を器用に引き攣らせて声を荒げた。
「どうしてもこうしてもありません! どうして何かあったときのことを前提に話を進めるんですか」
「言っただろ、宗教家とは相性が悪いんだ。大体四割くらいの確率で荒事に発展するくらいに」
「あなたは……」
打つ手なし、とこめかみを押さえたアーデルハイト。……そんな若いうちから心労を溜めこむとは先が思いやられる。もっと若者らしく偶にははっちゃけてみればいいのに。
「鬱々とした話はやめておこう。気が滅入るだけだ。
――――で」
いい加減、本題に入ろう。こっちだってこの状況は好ましくないんだ。
じとり、と目を据わらせて俺は自分の置かれている状況に異を唱えた。
「――いつになったら、この採寸は終わるんだ?」
「もう少しですよぅ、お客様ぁ。この際ですから履物も新調してみましょうねぇ」
仕立て屋ののんびりとした声に気が削がれる。足台に棒立ちになっているものだから、どうにも手持無沙汰で困った。
俺の身体を熱心に測っているのは丸眼鏡の小柄な女性だ。まだ若く、店を立ち上げて間もないのだという。細くふにゃふにゃした目つきは居眠り中の猫のような愛嬌があった。
その上……ふむ。巻尺で胸囲を測るために押し付けられた身体の感触からして、相当の武器をお持ちらしい。
「――コーラル。何を見ているのですか」
「む。……いや失礼」
心なしか温度の下がった少女の声に慌ててよそへ目を逸らす。外気が紛れ込んできたのか、微かな寒気にどうしてか肌が粟立った。
――――ここは領都の衣料装具店。竜騎士の少女に連れられて、何故か俺は自らの正装を仕立てるため採寸に訪れていた。




