とある流浪騎士の場合:後
交易都市ハスカールと名付けられたその土地は、未だ建築のさなかにあった。
それも当然。施工が始まってまだ三年程度しか経っていないのだ。ただの砦ならそこそこのものが出来上がるだろうが、居住区や商業区を含み庁舎まで築くとなれば相当の工期がかかる。旅の道で盛んに噂になっていた都市とはいえ、とても碌な形になっていないと想像していた。
……が、これは一体どうしたことなのか。
どうせ大したことはないと高を括っていたタグロは、いざ都市へ足を踏み入れた瞬間言葉を失うことになる。
ガワだけ出来た城壁を潜った途端、博多の水揚げ場もかくやというほどの大音量の喧騒が襲い掛かってきた。
辺りを見渡せばどこもかしこも人人人……誰も彼もがこの暑くもない春の昼間に汗だくになって、肌着に塩を噴きながら肉体労働に勤しんでいる。
ガンガンガンと木槌で丸太を叩く音。大工たちがえいさほいさと声を掛け合いぎりぎりと鋸を前後させる。削り屑は小さな子供が掃き集めてどこかへ持ち去っていった。……あのひらけた場所で男たちが捏ねているのは粘土だろうか。また違う場所では簡易の溶鉱炉が据え付けられ、数人のドワーフたちが建材らしき金具や釘を打ち鍛えていた。
筋骨隆々とした男が大きな石を抱えて目の前を通って行った。現場監督らしき人物に指示されて黙々と建材を運ぶ裸の背中には、何かに斬られたのか大きな傷跡がある。
数百人ではまるできかない。これほどの人数が集まった経験など、タグロの記憶ではそれこそ日本での成人式くらいしか覚えがなかった。
割り振りがきちんとなされているのだろう。誰もが一心不乱に、しかし迷う様子も見せずに自らの仕事に従事している。大工、石工、鍛冶師、炊き出しで竈を睨みつけている料理人いたるまで。
呆然と目の前の光景を眺めていると、時折視界のあちこちで青い光が放たれるのに気が付いた。
――プレイヤー。インベントリを利用して重い資材を軽々と運搬する彼らの存在は、こういった工事現場でこそ際立って見えた。
確か掲示板では、プレイヤーは主に運び屋としての役割を求められていた。報酬は仕事量によるのではなく、往復数×使用したインベントリの枠数で決まったはず――
「…………いやいや、それどころじゃなかった」
明後日の方向に逸れそうになった思考を頭を振って修正しつつ、タグロは自分に言い聞かせるように呟いた。
……別に自分は、今回この工事に参加するためにこの半島に赴いたわけではない。売り込むべきはもっと別のものだったはずだ。
気持ちを新たにして役場の方向を見上げる。工事現場の最中央、緩やかな丘陵の頂には、一足先に出来上がった仮設庁舎が佇んでいた。
●
都市部の仮設庁舎に通される志望者はプレイヤーのみだという。単純に人数の問題だろう。
未完成な工事現場にぞろぞろと何十名ものNPCを集めるのは、さすがに工事の邪魔になるのだとか。
一般の入団希望者、日雇い労働者は村落部の元役場で手続きを行っているのだと面接官のエルフは言った。
「はいはいお待たせ。面接を始めますよ、と」
「あ、ウッス」
『鋼角の鹿』猟兵隊副隊長、『雷弓』のエルモ。
一年前、傭兵団が起こした内海沿岸でのグリフォン討伐で、群れを纏める統率個体を射殺した人物である。
数百年にわたって王国軍を撃退し続けた黒いグリフォン討伐の武功は、直接の影響を受けてきた芸術都市はおろか王都や港湾都市にまで届くほどだった。
名声を得ているプレイヤーが数人しかいない現状、これだけの業績を残した人物ならさぞストイックかつ落ち着いた人格者なのだろう。――そんなタグロの予想に反し、目の前の簡易机に肘をつくエルフの目つきは、パチンコで有り金スった中年男のようにやさぐれている。何があったのだろう。
タグロの思惑を知ってか知らずか、エルフは事前に提出した羊皮紙を睨みながら審査に入った。
「えーと? 確か名前が……タグロさん? もしかして本名?」
「あーいや、本名は黒田っす。名前決めるのめんどくさくて、適当に」
「うちの副団長といいあんたといい、適当に決める奴って多いわねぇ」
安直さならあんたも負けてないと言ってやりたい。エルフのエルモって何だ。一文字もじっただけじゃないか。
思わず内心で毒づいたタグロを尻目に、面接官は別のことが気になったようでこちらの口元をじっと見つめてきた。
「……体育会系っぽい口調で誤魔化してるみたいだけど、ちょっとイントネーションがおかしいわね。――ひょっとして広島辺りの出身?」
「…………福岡っす。やっぱわかる人にはわかるもんすかね?」
いきなりばれた。
話のネタとして振ってきたのだろう質問に渋々答える。……やはり緊張すると抑揚が独特になる癖はなかなか消えてくれない。
福岡出身で名前が黒田。先祖を辿れば福岡藩の藩主に行き着くことができるというが、はっきりいって胡散臭い。
福岡といってもかなりのド田舎だ。都会は言語が均質化されて博多弁など消えて久しいが、田舎は未だに標準語圏の人間から何を言ってるのか聞き返されるくらいに訛りがきつい。
社会人として十年以上かけて方言を矯正してきたが、この訛りはタグロの密かなコンプレックスだった。
できることなら、このままキャラを作ったまま演じる方が気楽なのだが。
「いいんじゃない? そういうのも」
理由を聞いたエルモは、どこか愉快そうな顔で頬杖をついた。
「……うちでもそんな感じで口調作ってるのいるし。本人がそれで楽しいならやり通してみるべきよ。
――もっとも、これからの生活でそんな余裕が残ってればの話だけど」
不穏だ。
遠い目で思わせぶりなことを言う面接官は、さて、と咳払いをして質問に入った。
「まずは入団希望の理由から」
「半島の近くで路銀が尽きたところで掲示板の募集を見かけて。そろそろ定職に就こうと思ってたので」
「ログインしてからこの十年以上、何をして過ごしてました?」
「騎士団でひたすら騎乗スキルの訓練をしてたっす」
「ちなみにどれくらいまで上がったの?」
「17っす」
「高いわね。ネアト君でも12いってないのに」
誰だ、そのネアト君って。
聞き覚えのない単語に困惑するタグロを置いてきぼりにして話は進んでいく。
「騎士団を退団した理由は? 定職っていうならあっちの方がよほどらしいでしょ?」
「六年くらい前、権力争いに巻き込まれてって感じっすかね? 自分も武芸とかほったらかしで馬に乗ってたので、浮いてる自覚はあったんで。
だから団長の息子の醜聞についてはぶっちゃけざまあっていうか」
「退団してからこれまで何を?」
「一緒に追い出された先輩騎士に連れられて諸国漫遊してたっす。馬術以外のスキルはほとんどそれで身に着けましたわ」
「ちょっと待った」
唐突にエルフが片手を上げて制止する動きを見せた。何やらひくひくと痙攣するこめかみを抑えて考え込んでいる。
「……騎乗以外はほとんど鍛えてないっていったわよね? すごく嫌な予感がするのだけど。
参考までに、得意な武器種は何かしら?」
「フレイルと槍っす」
「ふれいる?」
聞き覚えがないのか、きょとんとした顔でエルフが問い返した。
……フレイルとは言ってしまえば鎖付き鉄球だ。ガンダムハンマーやモーニングスターなんかがポピュラーだろう。――もっとも、モーニングスターは本来、棘付き鉄球を据え付けたメイスを指すもので、鎖で振り回すものではないのだが。
タグロが己の武器について説明すると、エルフは感心した表情で頷く。
「……なんだ、意外にちゃんとした武器を扱ってるじゃない。これがナックルとかトンファーとか色物を言われたらどうしようか頭を抱えてたところよ」
「イロモノ…………」
「ちょうどいいから実演してみせてくれない? 部屋の備品を壊さない程度に振り回すくらいでいいから」
「…………」
「タグロ君?」
黙り込んだタグロの異変にようやく気付いたのか、エルモは怪訝な顔で声をかけた。
対し、タグロは恐る恐るといった様子で、
「……あの、自分の得物を出さなきゃダメっすかね? ここらへんに傭兵団支給の武器とかないっすか?」
「あるわけないでしょ。あっても貴方の武器なんて置いてないわよ。フレイルなんて私も初めて見るんだから」
「そッすか……そっすよね……」
……退路は断たれた。ここはもう、己が相棒を開陳するより他に道はない。
どこか達観じみた諦めのなか、タグロは嫌々インベントリを展開して――
――短めな柄。じゃらじゃらと細かい鎖が音を立てる。
先端の鉄球は手で包めるほどに小ぶりで、むしろ分銅と形容するのが適しているほど。
鎖のついてない柄の片側には、歪曲した内向きの刃が据え付けられていた。
「………………。フレイル?」
「うっす」
「フレイル?」
「四年も使い込んでる相棒っす」
「…………タグロ君、あなた福岡じゃなくて滋賀とか三重の出身じゃないの?」
「馬鹿にしてるんすか!?」
「どっからどうみても鎖鎌にしか見えないからでしょうが! なによこれ騎士の武器じゃなくて忍具じゃない!」
「失敬な!」
予想通りとはいえあんまりな暴言に思わずタグロは声を荒げた。
「立ち寄った村の婆ちゃんから魔物討伐の報酬としてもらった鎌を、どうにか武器として使えるよう試行錯誤して改造した一品なのに!」
「そんなものは報酬じゃない! お金ケチって体よくお古の廃品処分に利用されただけじゃないの!」
「やっぱり!? そんな気ばしとうたけど!?」
「今更気づくなこの馬鹿! ああもう元騎士っていうからまともな人間を期待してたのに……!」
がりがりと頭を掻いて悪態をつくエルフを見てタグロは思った。……これはもう一つの得物は見せられねえな、と。
何しろそれこそ騎士から見れば噴飯もの。農民が一揆に使うような竹槍が自分の得物ですだなんて、このエルフを相手に誰が言えるだろうか。
――――結局、他に何か使えるものは持ってないのかと脅しじみた問いを受け、唯一持っていた竹槍を見せてまた雷を落とされてしまったのではあるが。
●
ディール暦712年。
一人の独特なプレイヤーが『鋼角の鹿』に参入した。
半島の中でずば抜けて高い騎乗スキルを有し、奇抜ではあるが武器の特性上中距離戦を得意とする男。
彼はこの数年後、団内である重要な役割を担うことになるのだが――――それはまだ先の話。




