とある流浪騎士の場合:前
思えば遠くへ来たものだ、とタグロは溜息をついた。
どんな偶然か、奴隷落ちを免れて王都を脱出し、行き着いたところは西のファリオン騎士団領。入団してからはひたすら騎馬の訓練に明け暮れた。
苦に思ったことはない。風を切る速さで駆け抜けるほどの乗馬はタグロが憧れていたことだったし、順調に上昇していくスキルレベルはモチベーション維持に役立ってくれた。
何より親身に面倒を見てくれる先輩騎士がいて、雑務の多い見習い騎士としての職務が大きく軽減されたことも大きい。
なんにせよ、タグロの騎士団領での生活は順風満帆だったと言えよう。
このゲームでの騎馬はとても頑丈だ。太い脚に見上げるような巨躯、競馬場で見るサラブレッドのような細身ではなく、いかにも戦場を駆けるつわもの然とした雰囲気を放つ戦場馬。
しかしそんな図体でありながら、走る速度は時速80キロを上回る。カタフラクトのごとく重厚な馬鎧を身に着け、甲冑武者を背中に乗せて、だ。
平原での戦の華。武田騎馬軍団など目ではない圧殺力を誇る豪速の突撃兵。それがディール大陸のファリオン騎士団である。
そんな中、タグロが目指していたのは伝令騎士と呼ばれる役職だった。
軽騎士の中でも最速を誇り、騎士団の中でも最も騎乗に優れた人物がなる身分である。何よりも求められるのは騎乗スキルだが、その役職上単騎で敵に遭遇することもあるため、それなりに戦闘力にも秀でることが求められる。
タグロは武器の扱いに慣れていない。リアルでは平凡なサラリーマンだったし、他人を害するという行為がどうにも苦手で武術修練に身が入らなかったというのもある。
実際、その苦手意識は騎士団領にいる間は改善することなく、いっぱしに人を殺せるメンタルを手に入れた頃には騎士ですらなくなっていた。
――そう、今現在のタグロは騎士ではない。見習いというわけでもなく、ましてや従騎士というわけでもない。
ただの流浪騎士――いや、馬もないからもはや単なる浪人である。
きっかけは、六年ほど前の騎士団の粛清騒動に端を発する。
ファリオン騎士団は実のところ、ルフト王朝に臣従しているというわけではない。
その由来は第四紀の都市国家時代、豊かな穀倉地帯の収益を背景に勃興した群雄の一つである。第三紀のエルフによる大陸撤退を契機にプレイヤーが施した、ノーフォーク農法を始めとした農政改革が実を結んだのだ。
第五紀の征服王時代にルフト王朝へ帰順を示したものの、それはどちらかというと対等な同盟に近いものであり、騎士団は王朝の最高戦力の一つでありながら高い独立性を維持していた。
ミューゼル辺境伯がコロンビア半島と竜騎士の特異性から半独立的な立ち位置にいるのとは対照的に、彼らはあくまで政治的、戦力的交渉によって自らの地位を保持し続けてきたのであるが……これはまた別の話だろう。
問題は、この騎士団は王都の近衛軍団とタメを張れるだけの戦力を保持し、肝心のルフト王朝からも機嫌を窺われる程度に格式が高い点。そして王朝何するものぞと気勢を上げる騎士が異常に多いことだ。
そう。古き良き伝統を重んじる権威集団の御多分に漏れず、騎士団中枢のNPCは大半が気位が高い。隙を見れば独立だ、新王国建立だ、と喚き立て、それを一部の良識派や親王国派が宥めすかして押さえつけている始末である。
……そんなことをするくらいなら砂漠民族との戦いに力を入れろよ、というのはタグロを始めとした平騎士たちの共通した認識だった。
騎士団の基本戦略はその外面に反して姑息である。騎士団領に近い砂漠の集落を雇った傭兵に襲わせ、救援に赴いた敵兵を誘い込んで一気に撃滅するというものだ。
この作戦において騎士の役割は最後のとどめのみだ。馬の足を取られない平原部分にまで敵が誘き出された時を見計らい、突撃によって蹂躙する。それまではまったくといっていいほど出番がない。
傭兵にばかり矢面に立たせて、そんなざまで騎士面かよ――そんな愚痴を同僚と繰り広げていたのが聞かれていたのかもしれない。
六年前、穏健派が独立派を追放したあの事件のとばっちりを食らい、中立だったはずのタグロまで追放の憂き目に遭ってしまった。
やっとこさの思いで獲得した従騎士の身分も見事に剥奪。それまで爪に火を点す思いで貯めこんできた貯金も雀の涙で生活に事欠く有様。そもそも反乱分子扱いされては騎士団領に留まることすらままならない。
泣く泣く家財を売り払い、六年過ごした兵舎を引き払って愛馬とともに旅立つのは大変な勇気が要った。
それでも、他の追放された騎士たちに比べればまだましだったのだろう。
少なくともタグロには、ともに出奔して未熟な彼を導いてくれる頼もしい先達がいたのだから。
正騎士ミカエル。現騎士団において唯一『聖騎士』の名乗りを許された人物。彼の持つ特殊スキル『聖剣』は、彼以外では王家の者しか発現したものがいない。
性格は慈悲深く公明正大。不正を許さぬ苛烈さを見せながら、弱者と見れば敵味方問わず手を差し伸べる絵に描いたような聖人。
見習い時代のタグロの面倒を見てくれるほど奇特な人物である。
その有するスキルゆえに砂漠民族との戦いにはあまり出向かず、主に北の山岳地帯から侵入してくる魔物への備えとして配置されていた騎士だった。
騎士団内での権力闘争に嫌気がさし、自らの信じる正義を行うために古巣を去ったのだと彼は言った。組織に縛られていては救えないものがいるからと。
実際、騎士団を抜けてミカエルが真っ先に向かったのが、王都や港湾都市ではなく北方で疫病と魔物に苦しむ村落だったのだから、その人格者っぷりが窺えるというものだろう。
人助けであったり、魔物の退治であったり、はたまた光魔法を用いた治癒師の真似事であったり。ミカエルと同道していた頃の忙しさときたら、それこそ息の付く暇もないほどだった。
見返りの無い労働ばかりだった。苦労に見合う報酬をかの聖騎士が受け取ったことなどなく、それに付き従っていたタグロも蓄えになるほどの金銭は得られなかった。
むしろ金銭を受け取ったことがほとんどない。硬く味気ない黒パンだったり、得体のしれない肉の燻製だったり、いつ身につければいいのかわからないような帽子だったり、ボロボロでゴミにしか見えないような子供用の人形だったり。
本当に、ただのゴミばかりが報酬だった。そんなものを笑顔で押し付けてくるものだから、断るに断れないのが嫌だった。
…………迷惑なことに、そのゴミは今もってなおインベントリを占拠し続けているのだからますますタチが悪い。
――――それでも、充実していたのだろう。いや、思い返せば騎士団にいたときよりも肩から力が抜けた日々だったと思う。
馬に乗って旅路を往き、あの騎士に教えを受け、道々出くわした人々の悩みを聞いて力を貸す。
地に足のつかない生活でありながら、リアルでは得られなかった何かがあるような気がした。日本でならただの浮浪者と蔑んでいたような生活が、どこか価値のあるものに見えたのだ。
だというのに――――そう、だというのに。
タグロは道を違えた。違えてしまった。
四年以上も追い続けてきたかの背中を、些細な行き違いで見失ってしまった。
もはやあの日々を取り戻す術はない。術など考え付きようがない。
剣は折れた。
鎧は奪われた。
道を照らす標はなく。
愛馬は――――馬刺しとなって胃袋に収まった。
そんななか、タグロが辿り着いたのは北の辺境にある半島だった。




