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PHOENIX SAGA  作者: 鷹野霞
飛びあがる魔物狩り
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愉しい都市計画:敵対派閥を混乱させよう

 経済学。

 社会科学の中でもとりわけ多彩な見地が求められ、価値観や倫理道徳といった人の心までも対象にするという、ある意味あやふや極まりない学問である。

 どれほどあやふやなのかというと、直面する時代によって求められる思想が180度逆転する点などが特にそうだ。


 ある時は自由放任(レッセ・フェール)などと嘯き貧富の格差を拡大させ。

 ある時は計画経済と称して個人の努力を物笑いにし勤労意欲を奪う。

 ある時は政府の機能を最低限に限定した小さな政府を指向し。

 ある時は不況を脱するために財政出動を主張する。


 時代の節目になるたびにセオリーは塗り替えられる。十年もすれば新たな学派が生まれ、世界恐慌にでも陥れば爆発するように主張は分裂し統廃合し互いを否定し合う。

 源流を同じくした学派でも、些細な違いからいがみ合い揚げ足を取り合い、裏での暗闘が絶えない。――それが社会科学界の魔窟、経済学である。


 そんな混沌の坩堝のような学問を武器に辺境伯へ挑もうとした数人のプレイヤーは、一体何を思ってこの問題を作成したのだろうか。


「……もうだめだぁ……おしまいだぁ……」

「なんでVRゲーの中でまで座学しないといけないのよ……!」

「儂、経済学専攻してたの半世紀も前なんじゃけど……!」

「なあウェンター! ビルドインスタビライザーってなんだ? どっかの魔剣かなにかか!?」

「団長は引っ込んでてください!」

「興味が湧いたなら団長、あんたにサンクコストという魔法の言葉を教えてやろう。あれだよあれ、サンクチュアリの変化形的な――」

「下らないこと団長に吹き込んでないで、さっさと問題考えろクソ猟師!」


 …………一体、何を思って作成したのだろうか。答えは当人たちのみが知る――



   ●



「……成程な。この試験問題の真意は、解かせることではなく、考えさせる(・・・・・)ことだった、ということか」

「…………」


 問題文を流し見ただけでそれだけのことを看破した辺境伯は、紛れもない傑物だった。

 無表情で黙り込んだウェンターの顔を覗きこみ、伯は軽く息をつく。


「遺憾な話だが、これを行政官たちには読ませられない。彼らがこれに下手に感化されれば、半島の統治が揺るぎかねないのだ」

「か、閣下。一体どういうことでしょうか? 私にはまるで……」

「……む。説明足らずだったか。それは済まなかった」


 話についていけない補佐官が恐る恐る声をかけると、伯は気が付いたように周囲を見回し、改めて説明するためにコホンと咳ばらいをした。


「――まずこの試験問題。これは問題の体をした啓蒙書の類だ。――そうだな?」

「……その通りです、閣下。あれだけ挑発したというのに動じずに見透かしてくるとは、感服しました」


 伯の問いかけに努めて冷静さを装って副団長が答える。……本来なら煽り立てた上で試験案を通させ、少しでも多くの役人に読ませるはずだったのだが。

 最初の一手で躓いたことに内心歯噛みしつつ、ウェンターは辺境伯に説明の続きを促した。


「次に、この問題全体からは俯瞰的に一つの思想が見受けられる。――貴族優位の否定。いや、むしろ統治者は平民に奉仕すべきという観念」

「市場経済において特権階級は害にしかなりません。自由貿易を損ないかねない障害です」

「そこだ。君たち『客人』の思想は、我々にとって新しすぎる(・・・・・)。君臨ではなく奉仕する統治者など、そんなものを広められれば反乱のきっかけになりかねない」


 国民から得られる税は最小限に。そして統治に携わる者は清貧でなければならない。――そんな理想を保持し続けていられる人間が、この封建社会にどれほどいるだろうか。

 自ら勝ち取った地位でもなく、世襲によって苦労なく得た貴族位は、すでに慣習や縁故によってずぶずぶに汚れているのだ。本人の意思は関係ない。

 貴族となれば本人が関わらずとも、親族や使用人たちの誰かは賄賂に溺れている。それがこの世紀末世界である。


「そしてこの各問題、あえて解答同士が矛盾するように作られている。だというのに、それぞれの主張が正論に基づいている(・・・・・・・・・)ところがたちが悪い」

「社会科学の妙です。答えなき答えを求める哲学的な問いかけです」

「…………分裂を狙ったな?」

「――――」


 斬りつけるような問いに副団長は応えず、微かに口端を吊り上げた。


 ――考え付く限り、思いつく限りの多彩な思想を問題にぶち込んだ。

 自由主義、ケインズ主義、マルクス主義。コモンズ論からドイツ歴史学派まで。導き出される解答がそれぞれを否定し合い、解答者に混乱をもたらすように構成した試験問題。

 厄介なのはそれら全てが、それぞれの時代において正論として(・・・・・)支持された点である。

 そしてこの世界においてその背景を窺い知ることは叶わない。彼ら解答者は何通りもの机上の理想論を、目の前に自らの手で並べ立てることになるのだ。


 どの行政官がどの解答に共感するだろうか。どの思想を支持するだろうか。

 答えは本人のみぞ知る。断言できるのは、唯一絶対の答えがない以上その思想は決して一通りにはなりえないという点。

 そしてその思想は、澱のような理想として心の中に棲み付くだろう。


「奸計呼ばわりとは心外です。我々はあくまで、ハスカールを統治する資格を問うためにこの問題を書き上げたのですが」

「問題を取り下げる気はないと?」

「この問題に対し解答することが執政官受け入れの条件です。できなければ、我々の推薦者を据えることになります」

「いい加減にしろ、この小童が……!」


 睨み合う辺境伯と副団長の横から怒号が上がった。見れば補佐官の一人が顔を真っ赤に染めて、怒りも露わに副団長を睨みつけている。


「さっきから聞いていれば抜け抜けと! 目の前のこの方をどなたと心得る、この奸物が!?」

「辺境伯閣下です。いまだ臣従はしていませんので、無礼を咎められるいわれはありませんが」

「図に乗るな、クソ餓鬼が! 確かに貴様らの軍事力は魅力的だが、どうしても必要なわけではない! 要るのはお前たちが占拠している交易都市だ!

 なんなれば住民も必要ない。竜騎士を派遣して、ことごとくを焼き払ったあと植民してもいいのだぞ……!?」


 強烈な恫喝。自信満々な顔つきから見て、恐らくこの補佐官はこの脅しで大抵のことは乗り越えてきたのだろう。

 ――しかし。


「……交渉は決裂。それは残念です」


 その程度のこと、予想しきれないとでも思ったか。


 ウェンターは落ち着き払った物腰でインベントリを展開する。すわ刃傷沙汰かと身構える周囲を尻目に青白い閃光から取り出したのは、一枚の羊皮紙だった。

 ひらりと執務机に落としたそれを辺境伯が取り上げる。さっと目を通すと、


「これは……!」

「辺境伯への臣従が白紙になったとなれば、帰順先を新たに決めなければなりませんね」


 それは、ニザーン要塞都市を守備する将軍、ルグナンからの書状だった。

 リザードマンの侵攻に対し援軍を務めてくれたことについて改めて感謝を述べるとともに、内海沿岸のグリフォン討伐成功を祝福する文言が書かれてある。

 そして――――イアン団長が望めば、今回の功績を王家に上奏し貴族位に推す後ろ盾となると一文が添えられていた。


 ルグナン将軍。要塞都市の守備を任せられ、国王からの信任も厚い武人。後ろ盾としては十分過ぎるほどの大物である。

 この書状は、彼が将来有望な指揮官として、イアンに注目していることを示している。


「ルフト王国か、ミューゼル辺境伯か。……どちらに所属してもいいのですよ、我々としては。

 辺境伯を優先したのは、単に地理的な問題と、うちの団長の色恋が絡んだという理由なだけで」


 そして彼らにとって何より最悪な点があった。

 要塞都市と半島は距離的に近く、何か変事が起きても援軍を出すのが容易な位置関係にある。協力関係を是非にも築いておきたい相手だ。

 だというのに、これでは。


 かのルグナン将軍はハスカール寄りの立場で、辺境伯とハスカールが争った場合、真っ先に国王に詳細な報告が可能な立ち位置にあるのだ。

 王家は躊躇わないだろう。辺境伯の力を削ぎ、半島屈指の交易都市を取り上げられる好機である。イアン団長が訴えれば、嬉々として干渉してくるに違いない。


「――――さて、どうしますか、辺境伯閣下?

 いっそのこと、我々に自治を与えてみませんか?」

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