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PHOENIX SAGA  作者: 鷹野霞
寒村に潜む狩人
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その獣、近寄るべからず

 よい出会いがあろうとも交わした約束が固かろうとも、次の日になれば腹は減る。先立つ物がなければ飢えて死ぬのみである。

 この場合たちが悪いのは餓死したところで腹八分くらいでリスポーンしてしまうところだろうか。もう一回飢えられるドン!

 ……もっとも、その死に戻りもそう何度も使える身分ではなくなってきたが。


 ―――まあいい。とにかく今日も俺は早朝から山に入っていた。

 いつでも撃てるようクロスボウにボルトをつがえ、腰に山刀を差して枯れ葉を踏みしめる。幸先がいいのか初っ端から間抜けな狐を仕留めることに成功した。その場で解体するには障りがあるので、死骸ごとインベントリに放り込む。


 そう、死骸がインベントリに入るのだ。気付いた時は何とも言えない気分になった。解体した後は毛皮や骨や肉やと散々類別して11枠しかないインベントリを圧迫してくれたくせに、死骸で取り込むと一枠で済んでしまう。詐欺だろこれ。

 ただ、現代人の感覚からすると、食料や衣服やらも入れておく同じ場所に、体液したたる動物の死骸なんて置きたくない気持ちが多分にあるだけに悩ましい。

 ……まあ、そのうち慣れるでしょう。


 秋も深まり山の緑も紅く染まってひらひらと落ちてくる。猟師的な観点からいうと視界がちらついて叶わないのでさっさと散ってほしい。さっきは『紅く染まった』とか叙情的な言い方をしたが、日本の紅葉を知っている身としては、この山のそれはただ枯れ葉がぽたぽた落ちてくるだけで味気ないのです。


 そうやってディール大陸の紅葉事情を寸評しながら歩くことしばし。

 何でもない獣道にそれはあった。


「これは―――」


 対象に向けてしゃがみこむ。枯れ葉をかき分けて土を露出させた。


≪経験の蓄積により、『追跡』レベルが上昇しました≫

≪スキルレベルの上昇により、敏捷値が上昇しました≫


 ……いや、確かにこれを見つけられたのはほとんどまぐれだけどさ。そんなに経験値貰えるくらい気付きづらいのか、これ。


 容赦ないアナウンスさんに溜息をついた。視線の先には、ある獣の足跡がある。

 狼のものだ。かなり大きい。何頭かいたのか、多くがバラバラの方向を向いている。……特にその中でも一回り大きな足跡があった。それなりに深さのあるくっきりした跡で、これの主は相当体重があるものと見える。

 残念ながら土を触ったり臭いを嗅いだりして分析する技能は持っていない。あれかっこいいんだけどな……

 色々と至らない自分に情けなくなるが、やり方がわからないものはどうしようもない。人間今あるカードで勝負するしかないんだってばっちゃが言ってた。


 ふと夜に出くわした狼のことを思い出した。……足のサイズは似ている気がする。数匹の群れを連れているのも奴と同じだ。

 どう対処したものかしばし思案……うん、無理だ。

 一頭なら殺せる。風下から近付いてクロスボウで狙えばいい。この間入手した毒茸からささやかな毒薬を作れば更なる嫌がらせにもなるだろう。だがそこから先がない。残った仲間と親分に嬲り殺しにされる未来しか浮かばない。

 近くにある目立つ木に山刀で目印を切り込む。バツ印でいい。しばらくはここに近づかないよう、せめて他の村人が山に入ってきたときに気付いてくれればいいんだが。酒場に貼り紙でもしておこう。


 ……さて、狼の縄張りに入り込んでしまったことだし、早くここから離れるとしよう。


 クロスボウを担ぎなおして、もと来た道を引き返す。……こうやって痕跡を見つけるたびに目印をつけていけば、狼の縄張りを可視化していくことも出来るはずだ。

 なんだかんだで村に貢献してるじゃないか、と一人満足していたところ、


「――――――ッ!?」


 身を伏せる。息をひそめて耳を澄ませた。

 ……いま、何か音が聞こえなかったか。

 何か甲高い、悲鳴のような―――


 足を速める。決して走り出したりはしない。何かが起きたときのために余力は残しておく。ざっざっざっと踏みつける枯れ葉が音を立てる。すれ違う木に山刀を走らせて帰りの目印にした。十歩進むたびに横一文字の目印が生まれ、都合十回ほど繰り返したあたりだ。


 死骸があった。


 野犬―――いや、狼だ。やはりこの世界の特徴なのか、現実にいる狼よりも一回り大きい。四肢を投げ出し、舌をだらりと垂らしてその狼は死んでいた。


「…………」


 静かに近寄る。一見ピクリともしないが近寄った途端にむくりと起き上ってがぶり―――なんて心配はしていない。だってはらわたがはみ出ている。鋭い何かで横腹を引き裂かれていた。相当悶絶したのだろう、身体からまろび出た内臓が死骸から一メートル以上飛び散っているものもあった。


 虚ろな目。口元からは涎が溢れている。……少しだけ後悔した。もっと急いで駆け付ければ、楽にしてやれたのかもしれない。

 地面に落ちていた腸を拾った。死んでまだ間もないのかまだ温かい。狼の身体に詰めなおしていく。あっという間に手が血で汚れたが、気にしないでおく。

 最後に見開いたままだった狼の眼を閉じさせ、そっと手を合わせた。


 以前見た大柄な狼―――群れのボスではない。若い雌だった。全体的に細身で、何より身体をあらためたときに股間を確認したので性別について間違いはない。毛並みは艶やかで他に傷もなく、皮膚に老化の形跡もない。下手をすると、出産経験すらないのではないか。

 ……手を下ろす。狐を狩って浮かれた気分は静まり返っていた。


 我ながら不思議なものだ。つい先ほどまでは狼の群れに対しどう相対するか、どう殺していくかの手順を考えていたというのに、死骸ひとつでこんなに感情を揺さぶられる。

 狼一頭分手間が省けた、とは露ほどにも浮かんでこなかった。むしろ自分自身の手で引導を渡してやりたかったとさえ思う。……まったくもって身の程知らずな。たとえ挑んだとしても返り討ちが関の山だというのに。


 ……それにしても、と思案に暮れる。ここを縄張りにしている狼の群れは、以前遭遇したあの灰色狼のもので間違いないだろう。この雌について見覚えはないが、あの群れの一員とみるべきだ。だがそうすると、どうしてこの狼はこんな怪我をして死んでいたのか。

 獲物に返り討ちにされたかと思うものの考え直す。さほど狼の生態に詳しいわけではないが、あの灰色に率いられていた群れは、身なりからして獲物に困っているように見えなかった。目の前の死骸だって痩せ細っているとは到底言えない。そもそも俺みたいな素人でも日に一羽は兎を狩れる山である。食うに困って行った無謀な狩りで獲物に引き裂かれた、とは考えにくい。

 なら小さい相手に意表を突かれたか。―――ファンタジー世界にありがちな首狩り兎とか空飛ぶ丸鋸とかに襲われて―――いや、そんなものがいれば流石に長老や鍛冶屋が注意してくれるはずだろうし、先代が残した冊子に真っ先に載っていてもおかしくない。兎相手に必死に逃げる狩猟業なんて想像もしたくない。

 自然現象の鎌鼬あるいはそれに類する何かか、と辺りを見回すが、狼のほかに刃物のようなもので引き裂かれた跡など見当たらない。あるとすれば山の土が広範囲に掘り返されている部分があるだけで―――


 ちょっと待て。


 掘り返された? 山の土が? 広範囲に? どうして。何によって? 狼の仕業じゃないのは明らか。だったら何が……


 全身に冷水を浴びせられたような感覚。

 俺はこの痕跡を知っている。よく見知っている。

 山中で、畑で、学校の花壇で、村の畦道ぞいで。未だその習性の理由は明らかにされていないが、外を歩けば必ず見かけるほどに覚えがある。

 ああそうだとも、俺の予想が正しければこいつは農家の天敵。野犬の絶滅した現代では屈指の危険度を誇る野生生物。


 ―――背後に気配。がさがさと騒がしく枯れ枝を踏み折る音。

 恐る恐る振り返ると、そこには―――


 血走った目に荒い息。泡の混じった涎をだらだらと落とし、気配を隠す素振りもない。落ち着きもなく前足は土を叩き、いかにも苛立った様子を見せる。呼吸のたびにヒイヒイと裏返った音が漏れるが、そんなもので可愛げなど生まれやしない。


 ―――虎や獅子やと見紛わんばかりの体躯を誇る、巨大な猪がそこにいた。

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