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PHOENIX SAGA  作者: 鷹野霞
飛びあがる魔物狩り
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絢爛の鉄鎚

 突然のことだった。

 それまでグリフォンの群れから感じていた、押し寄せるような名状しがたい圧迫感。それがいきなり、冗談のような唐突さで消え失せた。


「――――っ!?」


 ウェンターはたたらを踏む思いで身構えた。想定以上に精強な鷲獅子の群れに手を焼いて、拡大する被害に歯噛みしていたさなかでのこれである。一体何が起きたのか理解できなかった。

 それはグリフォンたちも同様のようで、困惑した仕草で嘶きあい、戸惑った様子を隠しきれていない。

 出し抜けにガタ落ちした身体能力に対応しきれずすっ転ぶ個体や、勢い余って自ら槍の穂先に突っ込む個体。失速してひとりでに墜落する個体までも現れ、彼らの混乱は収拾する予兆すら見えない。


 そして、傭兵がその混乱を見逃してやる道理はなかった。


「はぁぁ……っ!」


 懐に向け、一足飛びに踏み込んだ。手に持つ大剣を槍のように突き込み、鷲獅子の喉元を深く抉る。

 突進の勢いも載せて深く食い込んだ刃先は、喉笛を易々と食い破り脊髄を破壊した。

 生死など、改めて論ずるまでもない。


 脱力した死骸に足を乗せ大剣を引き抜こうと力を入れると、度重なる酷使に耐えかねたのか鋼鉄の剣は中ほどからぽっきりと折れてしまった。

 この戦いに向けて先日に新調したばかりだというのに。……苛立たしげな舌打ちを漏らして、ウェンターは半分になった剣の残骸を放り投げた。インベントリから予備の剣を取り出し、調子を確かめるために数度振る。

 荒々しい風切音に周囲の部下が一歩引いた視線でこちらを見てきたが、そんな事にかまけていられる余裕はない。


 予備の剣はそれほど金をかけていない。品質はお察しだが、残敵数と今現在恐慌寸前にまで陥っているグリフォンの様子を鑑みるに、最後まで持つだろうと判断する。


 問題は、いきなり烏合の衆と化した敵ではなく、恐らくはこの変化の元凶となったもの。

 ――グリフォンの統率個体に何かが起こった。死んだか、逃げたか、あるいは配下の統率に気を回していられない事態に陥ったか。


 雲の上で何が起きたのか、知るよしもないことではあるが――念のために黒いグリフォンと猟師が消えていった空を見上げて、


「な……」


 顎から力が抜けるとは、このことを言うのか。

 視界に飛び込んできた光景に、ウェンターはあんぐりと口を開けて絶句した。


 曇天を突き破り、鷲獅子の巨体が落ちてくる。

 羽ばたきもせず、もがくような身動きは意味のあるものとは思えない。

 風に煽られ錐揉みになり、翼や手足を突き出してバランスを崩し乱回転する。


 馬鹿でもわかる。あれは絵に描いたような撃墜風景だ。

 春の空で、あの雷雲の中で、猟師はいかなる手段でか鷲獅子を仕留めた。配下の軍勢が覇気を失ったのはそのためだろう。

 しかし、しかしである。


 仕留めたはずの魔物と一緒に、猟師まで落ちてくるとはどういうことか。


 両手両足を使い鷲獅子の巨躯にしがみつき、握った槍で執念深く傷口を抉り続けている。

 風鳴りとともに微かに聞こえる獣のような声は、あの猟師の唸り声か。

 鷲獅子の傷口から噴き出る血飛沫と、猟師の銀装から噴出する紅銀の粒子が混ざり合い、真っ赤な隕石のように彼らを染め上げていた。


 絡み合いもつれあい、一向に速度も落とさずに落下する一人と一頭は、呆然と見上げるウェンターを尻目にあっという間に高度をゼロにし――



   ●



 ……生臭い。


 生温かい湿気た感触が頬を撫でた。鼻やら顎やら瞼やら、所構わずべちょべちょと撫でまわしてくる。そのたびに顔面に吹きかけくる生臭い空気がもう臭いこと臭いこと。


「…………って、ゃめんか」

「グゥ?」


 人が気持ちよく気絶してるってのに、好き勝手舐め回しやがって。白狼の間の抜けた唸り声がそこはかとなくむかつく今日この頃。


 やっとの思いで上げた制止の声は、がさがさに荒れていた。……あれだけ黒んぼと叫びあっていたのだ。喉がひりひりと炎症を訴えているのも仕方がない。


 ――地面に衝突する直前ににグリフォンを蹴り飛ばし、反動で落下速度を多少は弱めることに成功した。それに離脱の瞬間空間が歪んでいたから、ひょっとしたらグリフォンが重力場で落下速度を弱めていたのかもしれない。

 とにかく、どうにかこうにかあのフリーフォールから生還したのはいいものの、MPは使い切るしHPは残り5%を切っている。よくもまあこれで意識不明にならないものだと我ながら感心した。

 ステータス上だけでなく、外見もまたひどいものだ。手足は折れるし肋骨も骨盤も折れている。脊椎関係はどうにか死守したものの、それ以外で無事な箇所などないのではないだろうか。


 正直なところ、身体はピクリとも動かないし全身の痛覚からレッドアラームが鳴り響いている。はっきり言ってかなり危機的な状況である。

 俺を殺せるものはいるか。今なら五歳児でも血祭りにあげられるぞ。


 身体を見下ろせば鎧も銀装も見事に真っ赤で、鷲獅子の返り血なのか自分の出血なのか判別できない。

 ……もつれ合ってる時に脇腹を鉤爪が掠めたので、結構な深手を負ったはずなのだが、どういう理由か破れた革鎧から覗く肌は綺麗なものだった。


 誰かに治療でも受けたのだろうか。……しかし倒れたまま眼球だけで周囲を見渡しても、低い視点では味方を見つけられない。つまりはそれだけ遠くにいるということで、まだ救援が来てないということはそんなに長い間気を失っていなかったらしい。


 だったら誰に、と疑問に思っていると、急に喉に痛みが走った。咳き込んで血痰を吐き捨てていると、そんな様に心配したのか白狼がひくひくと鼻先を寄せてくる。


「クゥ……?」

「ぁぁ……もう……」


 遊んでやる余裕はないってのに。もう好きにしやがれとなすがままになっていると、何を思ったのか白狼はべろりと舌を出して俺の喉元を舐め回した。

 ――するとどうしたことでしょう。視界の端がぼんやりと光ったかと思うと、喉の痛みが引いていくではありませんか。


「……いつの間に回復魔法なんて覚えたんだ、お前……」

「オフ」


 呆れた顔で眺めやると、白狼は自慢げに尻尾をぱたぱたと振って一声吠えた。今度は身体全体を白く発光させて、本格的に治療に取り掛かろうとする。行為自体はありがたいので、何も言わずに受け入れることにした。

 ……その治療方法が、舌で舐め回す以外なら文句なしだったのだが。全身が血で汚れるか涎で汚れるかの二択とはなかなかに究極的である。


 ……なんというか、今回は本当に疲れた。

 敵は強敵だし、けったいな魔法を使うし、雲の中も上も酸素が薄くて息苦しいし。

 とにかく疲れた。もう力仕事は勘弁してほしい。疲れすぎて眠気すらする。


 治療やら周囲の警戒やらはまるっとウォーセに丸投げして、俺はもう寝てしまってもいいのではなかろうか。……そんなことを考えていた、直後のことである。


 視界の端で、何かが蠢いた。


「キ、ケェ……!」

「まだ生きてたのか、こいつ……」


 倒れ伏したまま黒い体躯を見上げる。知識の魔物、グリフォンの覇王は、驚くべき執念でいまだ生存していた。

 翼は折れ、足を引き摺り、背中には短刀が突き立ち、肩口には深々と槍が貫通している。だくだくと流れ出る血は赤黒く大量で、致命傷であることは明らかだ。

 それでも鷲獅子は雄々しくも立ち上がった。最期の瞬間まで不遜な人間を殺し続けてみせると言わんばかりに、戦意に満ちた瞳で敵を睨み据えて。


「グゥゥゥゥゥ……!」

「ウォーセ、下がれ」


 唸り声を上げる狼を横になったまま引きとどめる。立ち上がりはしない。その余力はないし、その必要もない。

 敵はもう間もなく失血死するであろうから――という意味ではない。


 少しばかり、種明かしを一つ。

 彼の肩に突き刺さり、アンテナのように空に伸びる一本の魔槍。魔族バアルから奪い、穂先を残して他の部分を新調した黒い柄の槍だ。

 柄はエルフの手による漆塗りの黒檀の杖。特に仕掛けはないが、下手な剣の一撃を受けてもびくともしない逸品である。

 そして石突きには、この日のために施した一つの付呪が刻まれている。エルフが刻んだ、俺では起動しえない飾りのような付呪だ。


 俺の仕事は、このでかぶつを地に落とすこと。――本来は猟兵全員でやるはずだったのだが。

 わざわざこんな崩れそうな天候で作戦を決行したのも、ひとえにあの黒雲を利用するためだ。

 施した付呪の名称は、『招雷(・・)』の術式。



「そんなわけで、手筈通りだ(・・・・・)

 ――――その首、貰い受ける」



 刹那。

 雷雲から撃ち落された黄金の閃光が、轟音とともに黒いグリフォンを呑み込んだ。

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