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PHOENIX SAGA  作者: 鷹野霞
飛びあがる魔物狩り
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雷鳴遥かに

 これだけあって、まだ足りない。


 死角からボルトを撃ち込んだ。雲の陰から奇襲をかけた。不意を突き、誘き出したうえで高所に陣取った。

 眼下には黒の鷲獅子。失血の付呪がこもった槍を振るい、今なお血を噴き上げる敵は満身創痍にも見える。

 これより一刺しに突きかかり、俺はこいつの命を奪いに肉薄しようとしている。


 ――それでも足りない。予感がある。この魔物の命を刈り取りきるには、まだ威力が不足している。

 傷は負わせられるだろう。この打突は深々と身体を穿ち、この鷲獅子を墜落せしめるだろう。

 だがそれまでだ。

 肉は斬っても心臓には至らず、骨を断っても命を絶つには至らない。

 あと一押し。――あと一押しがどうしても欠けていた。


「――――――」


 槍を引き絞る。――まだ足りない。

 身体を捻る。――まだ足りない。

 魔力を過剰に注ぎ込んだ腕は、所々血管が破れて血が滲んだ。――――それでも、これを倒すにはまだ足りない。


 それでも――――あぁ、それでもなお、この一撃に全てを賭けよう。


 受けるがいい。これは弱者の一刺しだ。

 矮小な蟻が仰ぎ見る象に挑む。蟷螂は人に斧を振りかざす。――そして人は、届かぬ空に手を伸ばす。

 生身では届かない。単身では抗しきれない。……人間なんてそんなものだ。群れをなし、技術で身をよろい、そこまでしてようやく野生の猛威と同じ土俵に立つことができる。

 単独で突出し、こんな空高くに連れ出された俺が出来ることなど、一体どれほどのものであろうか。

 群れからはぐれた間抜けは囮として見捨てられ、敵の足を引っ張ってくたばるのが末路である。


 ならば、精々捨て駒の端末として役割を果たすとしよう。

 少しでもこいつに傷をつけて、数分後に確約された勝利の酒杯の掲げ手を増やしてやるのだ。


 …………実は、少しだけ後悔している。

 あの竜騎士の少女に口を酸っぱくして戒められたように、単独で戦うべきではなかったかもしれない。

 もし俺に、こんな空の果てまでついてくるような馬鹿みたいな相方がいたなら、ひょっとしたら――


「……あぁいや、違ったな」


 何故だろう。不思議と目が冴える。やけに周りの景色が鮮明だ。

 これは魔力感知だろうか。――多分違う。目の前の鷲獅子から発せられているはずの、あの胃が竦むようなプレッシャーが感じられない。


 むしろ下がよく見える。春の雷雲に覆われ、こちらからではまるで見えないはずの地上の光景が、どうしてかひどく生々しい情感を伴って目に飛び込んできた。


 そこには、一頭の狼がいた。

 春の平原に腰を下ろし、真っ直ぐにこちらを見上げている。

 何が言いたいのか。何がしたいのか。

 いつものあの小僧ならやかましいくらいに尻尾を振って主張する癖に、今回はただ静かに――その金色の瞳を見開いて、静かに(おれ)を見上げていた。


 まるで、なにかかけられる言葉を待っているかのように。


「――――お前がいたんだっけか。なぁ?」


 そうだった。

 何だかんだで、お前は俺の後ろについてきたがったな。

 外套の裾に齧りついてぶら下がられたときは、どうしたものかと難儀したものだ。

 生まれた頃から変わらない。あんなちびだった頃からの腐れ縁。

 こんな猟師の傍にいたがる酔狂者など、それこそお前くらいだろうよ。


「うん、わかった。――――おいで、ウォーセ」


 刹那。

 白銀の奔流が灰雲を突き破った。


 咆哮が聞こえる。出所は空を突き進む一本の白い竜巻。雪と氷を身に纏い、眼前のグリフォンなど一顧だにせず突き進む。

 空を翔ける一陣の雪風。もはや狼の形すら留めていない。白狼は己の姿すらかなぐり捨てて、こんな男のところまで駆けつけた。

 そして、


「いくぞ――――」


 白銀が手元に飛び込んだ。握り込んだ槍が生き物のように脈動を伝えてくる。穂先はびきびきと音を立てて氷結し、雪片が取り囲むように渦巻いた。

 びょうびょうと風鳴る音は、聞き慣れた遠吠えのようで。



「――――豺狼よ、月を喰らえ……ッ!」



 その一撃は、鷲獅子の身体を易々と抉り抜き。

 吹き荒れる雪風は、漆黒の毛皮を千々に切り裂いた。



   ●



 落ちる。落ちる。落ちる。


 雲上の高みから大陸の辺境へ。風を切って墜ちていく。

 足場にした雲の切れ端など、とうの昔に頭上の彼方。もはや俺の力の及ぶ場所にはない。

 翼はなく、風を纏う術もない。

 ならば速やかに地の染みになるのが道理である。みるみる迫る地上のさまは、抗うことなど諦め去るほどに絶望的だ。


 しかし、


「ぅぅぅ……!」


 声が漏れた。まるで獣の唸り声のような、言葉にならない声だった。

 ……それもそうだろう。なにしろ落下の風圧は凄まじいもので、口を動かそうとすれば頬が好き勝手な方向に暴れ出して碌な単語も言葉にできないのだから。


「ぅぅぅぅぅ…………!」


 唸り声をあげて、槍を更に(・・・・)突き立てた(・・・・・)。両脚で鷲獅子の身体を挟み込んで固定し、槍をさらに深く押し込もうと力を込める。

 ゴリゴリと骨を削る感触。噴き出た血飛沫が荒れ狂って身体中を染め上げた。


「ぅぅぅうぅうぅううう…………!」

「キャ――――!」


 まだ死なない。

 まだ死なないか、この死に損ないが。


 槍は身体の中心に大穴をあけ、心臓付近を貫いた。

 白狼の宿る槍は穂先から絶えず冷気を流し込み、鷲獅子の血液の循環を凍てつかせようとしている。

 落下を続けるこの巨体だ。地面に打ち立てられれば即死は免れない。


 ――だというのに、この黒んぼはまだ戦意を絶やしていない。


 墜ちていく。

 ビキビキと音を上げて凍り付き、もがく手足と黒い羽。どれも意味をなさずに落下速度は増すばかり。

 重力を操ろうとしたのか、魔力が凝縮する気配がした。気が逸れた隙を逃さず氷結を進めると、集中が維持できなくなったのか鷲獅子の魔力が霧散する。

 強風に翻弄される一人と一頭の身体は目まぐるしく立ち位置を替え、揉み合うように落ちていく。

 噴き上げる血飛沫と魔力の粒子が、まるで大気圏突入の赤熱のように視界を彩った。


 墜ちていく。

 まだ死なない。

 落ちていく。

 まだ殺せない。


 地面が迫る。死が迫る。

 どちらも決め手に欠いたまま、俺と鷲獅子は互いに殺し合いながら墜落し続け――


「ぅぅるぅぅぅぁぁぁぁああああああああああ……ッ!」

「ケェェエエエアアアアア……ッ!」


 ……まったく。一体、どちらが獣なのやら。

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