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PHOENIX SAGA  作者: 鷹野霞
飛びあがる魔物狩り
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迸る白銀

 唐突に、目の前を駆けていた白狼の動きが止まった。


「ちょっ!? なんなのよ……!?」


 いきなりペースを乱されたエルモが人間に対するように問いかける。背中には怪我人を背負い、確保した拠点に向けて足を急がせているところだった。

 こんなところで立ち止まっている暇はない。一刻も早くグリフォンの手の届かないところで治療に取り掛からないと、腹に鉤爪の突き刺さった怪我人が手遅れになる。

 身体強化は使用済みで、今なおガリガリと削れていくMPは焦燥感ばかりを積み上げていった。


 そんななか、目の前を先導していた狼が突然立ち止まったのだ。何か危険な兆候でも掴んだのかと不安感が一気に増大していった。


「ウォーセ? 何が見えてるの? どこを見て……」

「――――――フン」


 白狼は応えず、ただ灰色の曇天を見上げて鼻を鳴らした。ぱたんぱたんと尻尾を地面に打ち付けて、何かを見極めるようにじっと雲を凝視している。


 犬にありがちな気まぐれだろうか? ――ありえない。他の狼は知らないが、この白狼はそんなかわいい存在ではない。戦いの場にあって、隙だらけな無防備を晒すようなタマなものか。

 その上今は猟師がグリフォンに引き連れられて雲の向こうに飛び去っていったのだ。ふざけている余裕などこの狼にはないはず。

 ではどうして?


 困惑を隠しきれずに凝視するエルモをまるで意に介さず、白狼はひと息つくように軽く俯き、


 ――――ウォォオオオオオオオオオ!


 周囲の空間を揺るがさんばかりの咆哮を、天に向けて撃ち放った。


「ちょっ、えっ、なに……!?」


 びりびりと鼓膜が震える。背中に負った負傷兵のずしりとした重みが無ければ、我を忘れて腰が抜けていたに違いない。

 牙を剥き敵意も露わに空を仰いだ白狼は、その一声で曇天を払うとでも言いたげに吼え立てた。

 そして、


 ――白銀が舞う。

 踊るように散華する粉雪が、天を睨む狼を取り囲む。

 氷点下にまで下がった空気。鱗片のように舞い上がる雪片は、触れれば剃刀のように対象を切り刻むだろう。

 新雪の舞は、間を置かずに吹雪の竜巻に変化した。


「これは、一体――――!?」


 疑問を声にしながら、エルモはある種の予感を得ていた。

 ――この狼の、これほどまでに唐突な行動。猟師の身に何かが起きたに違いない。そうでなければこの狼がここまで取り乱すことなどありはしない。


 風圧がきつい。眼前にかざした腕に雪が纏わりつき、みるみる真っ白に染め上げられていく。吐く息はすぐさま凍り付き、ダイヤモンドダストのように光を反射しながら風に乗った。

 白狼から迸る魔力は衰えを知らず、白銀の竜巻はその姿を完全に覆い隠した。

 そして、


 ――――ォォォォォォォ……!


 風が止む。竜巻が治まり、吹雪が途絶えた。

 開けた視界の先、春の平原に不釣り合いな雪原の中に、佇んでいたはずの白狼の姿はなかった。


「はぁ……。大詰めが近いのね」


 クソ寒いじゃないのこんちくしょー、と悪態をつき、エルモは凍り付きかけた腕から雪をバリバリと引き剥がした。


 ……時間がない。急いで背中の負傷兵を拠点に放り込み、こちらは準備(・・)に取り掛からなければ。

 今回ばかりは飛び切りの難敵だ。さすがのあの男でも、単身でどうにかなるほど甘い状況とは思えない。



   ●



 雲海に沈んでいった男を見送り、雲の中に滞空する彼は静かに勝利の余韻に浸った。

 強敵であった。背中に取りつかれた経験など、五百年前にエルフの軽戦士にされて以来である。あの時も高高度に上昇して振り落とすことで息の根を断ったが、今回もまた同じ結末とは。


 否、まったく同じとはいかなかった。

 前回とは違い、あの男のしぶとさときたら想像を絶する。よもや雷雲に突っ込んで、なおもあれだけ粘るとは呆れた執念だと感心した。

 雲の中で飛び回るのは彼にとっても難行である。無秩序に荒れ狂う風向きは読み取り掌握するのに困難で、絶え間なく明滅する稲光に何度眼を眩まされたことか。

 当然、小規模な稲妻が幾度も走り身体を打ち据え、彼の身体は少なからず火傷を負っている。この戦いを終えても治癒に数カ月は要するだろう。


 背中を突き刺す激痛も問題だ。男の短刀は彼の肺に穴をあけ、気嚢の一つを完全に破壊した。いくら上位のグリフォンとはいえ、失った臓器を再生するには至らない。

 今後は飛行にあたって永続的な不便を抱えることになる。


 だが、それもようやく終わりだ。

 難敵は彼の身体を捕らえきれず、雲の中に没した。翼を持たぬ人の身では、この高みから生き延びる術はない。

 墜落した人間は地面に潰され、辺りに無残な肉片を撒き散らすだろう。それが身の程知らずの末路である。


 ……あぁ、終わったことはどうでもいい。早く仲間の救援に向かわなければ。


 気を取り直した彼は、改めて戦意を滾らせた。

 まずはこの雲を脱して降下しよう。膠着状態に陥っているであろう配下のグリフォンを援け、人間の軍勢を皆殺しにするのだ。

 いやそれに加え、今後人間どもが不埒な考えを抱かないよう王国を襲うのも一手かもしれない。軍の一つや二つを蹴散らせば、いくら愚か者でも身の程を知るはず――



「――――霧は、ざわめき」



 不意に。

 下方から襲いかかった一本のボルトが、無防備な彼の腹に深々と突き刺さった。


「――――――!?」


 激痛。そしてそれを上回る驚愕。

 何故? どうして? 確かの敵は振り落とした。今頃あの男はは地の染みになっていないとおかしいはず。それがなぜ生きて、この身に傷を負わせられる……!?


 愕然としながらも彼は魔法を行使した。重力場の形成、重力と斥力を同時に操る彼独自の数百年の秘儀。球状に押し固めた重力場は、触れたものを押し潰し肉塊に変える。

 砲弾のように射出した重力球。ボルトが飛来してきた下方に打ち込んだそれは、軌道上の雲を引きちぎって直進し――――何も捉えずに空を切った。



「雲は、蠢く」



 声が響いた。

 耳元で囁かれたような、怖気の走る声だった。

 振り返る。強風と雨粒と稲光の支配する雲中、視界の端で何かが掠めた。


 ――――斬、と。

 冷たい感触が背筋を裂いた。噴き上げた鮮血が風に乗り、雨のように彼の目前に降り注ぐ。

 翼の付け根、動脈の集中する箇所を斬られていた。異常なほどの勢いで留まる気配のない出血。――その感覚に、彼は嫌になるほど覚えがあった。


 ……紛れもなくあの男の奇妙な槍。刺した敵に出血を強いる、忌々しいあの付呪ではないか――――!?



「雪は、戦慄き」



 死角から死角へ。雲の中から飛び出して、彼の後ろ足を傷つけ再び男は雲中に消えた。

 気配は掴めず、鳴り響く雷鳴が彼の集中を掻き乱した。


 確信する。

 どんな芸当をもってか知らないが、あの男は雲を足場に(・・・・・)駆けている(・・・・・)

 この雲はあの男の隠れ蓑。あの稲妻は今や男の目くらましなのだと。


 そう判断してからの彼の行動は素早かった。

 脇目も振らずに飛翔した。目指すは雲の外、雲海のさらに上空。

 下に逃れるのは明らかな下策。むしろ限界まで高度を上げ、俯瞰からあの男の居場所を暴き出すのだ。

 見つけてしまえばこちらのもの。急降下からの鉤爪の一撃で、四肢をズタズタに切断してくれよう。


 斥力場すら行使し、雲に軌跡を残しながら彼は上昇した。数秒もせずに嘴は雲海の水面を突き破り、彼は蒼穹と灰雲の世界へと――――



「雨は、咽ぶ――――ッ!」



 目前に。その頭上に。

 待ち構えられていた。

 鮮血のように噴き上げる紅銀の粒子。

 携えるのは失血の魔槍。

 ぎりぎりと引き絞り、雲を蹂躙する男は彼目がけて――

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