翔ける鷲、踏み躙る獅子
――――ゥォオオオオオオオオオ……!
声が聞こえた。
耳慣れない咆哮。まるで狼のように尾を引く声。
戦場の喚声を押し潰し、彼方にまで響き渡るその雄叫びに、彼は思わず地上を見下ろした。
――そこに見えたものを、なんと表せばよいのか。
襤褸のような人間だった。
群青の衣装は風に煽られ、今にも吹き飛びそうなほど。
破れた外套から覗く紅い髪と、銀の額当てが特徴的な男だ。
左手にあの奇妙な機械弓と、右手に身の丈ほどの槍を携えて、男は静かに彼を見据えていた。
――――否、違う。
あの男は嗤っている。
彼の視力は優れている。たとえこの高度からでも野に咲く花の花弁を数えることができるほどに。
その眼が確かに捉えている。見紛いようもなくその様を捉えていた。
挑むような目つきに、三日月のように裂けた口。剥き出した歯を見せつけるように、男は狼のような笑みを浮かべていた。
侮られている。嘲られている。
ありありと罵倒されている。配下をむざむざと犬死にさせる無能な長と。
遥か天空から見下ろすのはこちらだというのに、あの男はまるでそちらこそ格下だと言わんばかりに見下しきった視線を彼に向けていた。
――――赦してなるものか。断じて赦してなるものか。
我はグリフォンの王。孤高にして天空を統べる獅子。侮られるまま引き下がっては沽券に関わる。
身の程を弁えぬ地虫風情に増長の報いを受けさせねばならぬ。
込み上げる怒りを胸に抑えこみ、彼は甲高い咆哮を上げながら獲物目がけて降下を始めた。
●
グリフォンロード 戦力値1287
≪詳細鑑定に失敗しました≫
――――以上。役に立たねえ鑑定だなあオイ!
鑑定スキルを碌に鍛えてこなかったツケが今になってやって来たか。後悔先に立たずとはこのことよ。
わかったことといえばあのくろんぼの名前とどれくらい格上かという数値的な確証のみ。せめてHPくらいは表示して頂きたいものですこん畜生。
しかし戦力値1200超えとはまた馬鹿みたいな数字だ。十一年前に俺を丸呑みにしくさったメガロドンを優に超えるではないか。
すなわちあの鷲獅子はデータ上ではあの巨大鮫以上の脅威であり、あれを殺せるならいつかクソ鮫を根絶やしにするというささやかな野望が現実味を帯びてくるという理屈なわけで。
「よーし上等だ。その羽毟って釣具にしてやるから覚悟しやがれ」
やる気が充填されたところで迎撃を開始する。右手の槍を地面に突き刺してドワーフ合金の重弩弓を構えた。
猟兵は既に去った。白狼とエルフは護衛としてともに走らせている。場所の確保の完了次第こちらに来るように言ってあるが、この調子では間に合うかどうか。
とはいえ、周囲の被害を気にせず走り回れるのはある意味気楽で助かる。俺の取れる戦術的に、場所を定めての防戦とは相性が悪かった。
「――いや、そもそも不向きな戦いではある。遮蔽物もないし、高所も取られてるし」
俺の得手は高めの隠密による認識外からの奇襲にある。しかしそんなもの、あんな高くに飛ばれ見下ろされては容易く見破られる代物に過ぎない。
つまりこの戦闘は、俺の一番の強みが真っ先に潰された状態から始まるというワケだ。死にそう。
――ああいや、嘆いてばかりもいられない。お仕事を始めなければ。
弩弓の照準とほぼ同時に射出。すぐさまレバーをを引いて装填を急ぐ。……このクロスボウは死んでいた部下の手持ちから剥ぎ取った装備だ。俺の得物の方は放り投げたあと誰かに踏み潰されたらしく、歯車がひしゃげて使い物にならなかった。あとで分解して部品を交換する必要があるだろう。
目標に向けて飛翔するボルト。矢弾の短さも相まって視認すら難しい射撃は、真っ直ぐに黒い鷲獅子に襲い掛かり、
――僅かに身を傾けたグリフォンに、あっさりと躱されていた。
「――――――は」
予想していたとはいえ、あんまりな結果に笑いそうになる。両足を折り畳み、極限まで身を平たくして空気抵抗を減らすグリフォン。正面から見て投射面積の狭さに当て辛いだろうと思っていたが、まさか見切られるほどだとは。
これはつまりあれか。あちらさんは相対速度でいって秒速百メートルのボルトを見てから躱す動体視力を持っていると。
まったくもって嫌になる。こっちは百メートル先に的中させるのも難しい腕前だというのに。
懲りずに再び照準し引き金を引く。先ほどより見極めが難しかったのか、鷲獅子は大袈裟にバレルロールして射線を躱した。
三射目を装填し――いや、間に合わない。
弩弓を投げ捨てる。傍らに突き立てた槍を引き抜いた。軽く手首を返して小脇に挟み、迫る鷲獅子を待ち構え、
「――――――ッ!」
鉤爪を打ち払い――駄目だ、競り負ける。
渾身を籠めて薙いだ穂先が鷲の爪とかち合い火花を散らした。僅かに揺らいだ猛禽の爪、その隙間に身体を投げ出して襲撃を躱す。
頭上をかすめて羽ばたく黒い翼。吹き降りる風圧に潰されそうになりながら、転がるように身を潜らせどうにか間合いの外に逃れ出た。
「っの――――」
振り返る。棹立ちになった鷲獅子がこちらに向けて再び爪を振り下ろそうとしていた。
斜めから横殴りに振り下ろす軌道。威力は先ほどに劣るまいが、急降下と違い奥行きに欠けていた。
「ケェエエエエエァアアッ!」
「――――っ」
跳びあがった。両脚に魔力を注ぎ込み身体強化を駆使しての跳躍。爪撃を跳び越えて目前にあるのは、インド象もかくやという体躯と鷲の形相。
こちらを睨み据え嘴を剥き開き、怪鳥の雄叫びを上げて噛みつきにかかるさまは、生半な神経なら竦みあがりなす術もなく食い殺されるほど。
――――舐めるな。
空中で身を捩じる。紅銀が迸り僅かながらの推力となった。放出した魔力を足掛かりに身体を踏ん張らせ、独楽のように視界が流れて――
「ギ――――!?」
横っ面、迫りくるその嘴に、横合いから石突きを打ち込んだ。
ぎしりと確かな手応えに確信する。……今の一撃で嘴を罅入らせる程度のダメージは与えた。繰り返せば圧し折ることも不可能ではない。
倒せない敵ではない。断じて倒せない敵ではないのだ。
百年生きようが空を飛ぼうが、血を流し痛みを感じるなら殺せない生き物はない。
どんなに困難でも執念をもって隙を狙い続ければ、決して覆せない劣勢では――
「が、あ――――!?」
次の瞬間。
鷲獅子が痛みに任せて振るった翼にはたき飛ばされ、俺の身体は見事に地面に墜落した。




