空翔ける馬鹿
いい加減、限界が近い。
グリフォンの群れに牽制射を撃ちこみながら、エルモは焦燥に駆られているのを自覚した。
グリフォンは知能が高い。先ほどから射込んでいる短弓の連射が、実はそう威力の無いものだと感付かれ始めるころだ。現に群れの中の数頭は自らに矢が掠めても動じず、機を見計らうようにこちらを窺う様子を見せている。
誤魔化すために連射速度を二倍に上げた。秒間四射の速射は、さながらどこぞのアニメで見た小李広のようだ。弓矢で板野サーカスとまではいかないが、自分も結構人外染みてきたなぁと今更ながら感心した。
当然、控えていた身体強化は解禁している。温存するはずだったMPは目減りし始め、本分が魔法使いなエルモにとってそれは処刑前のカウントダウンに等しかった。
「ちょっとコーラル!? いい加減こっちに――」
隙を見て振り返ってみた光景は、まさに決着の瞬間だった。
噴出する紅銀、残像すら滲ませる群青の影。盛大に撒き散らされる血飛沫を正面から浴びながら、猟師は鷲獅子の爪を掻い潜って肉薄し、手に持つ象牙色の短刀をグリフォンの胸に打ち込んだ。
紛れもなく致命傷。猟兵たちに迫っていた脅威は、これによって排除された。
――――はずだった。
この直後、不幸な偶然が三つ起こった。
まず始めに断っておくと、これを予測するなど困難であったし、さらにそれを防ぐとなると壮絶なギャグ補正を持っていたとしても不可能だったに違いないと断言できる。
少なくとも、エルモにはその光景をただ眺めていることしかできなかった。
第一に、グリフォンの執念。
白頭の鷲獅子は死してもなお飛ぶことをやめなかった。とどめを刺す以前から死に体で、それが完全に死体となったあとですら、惰性で広げる翼は力強く羽ばたき、猛禽の速度で飛翔を続行していた。
第二に、飛行方向の変化。
片方の前脚を失ったグリフォンは身体のバランスを崩し、微妙に身体を傾けて突撃する方向を変化させていた。そして脚一本軽くなった分、進路は上向きに飛行距離を延ばす形になった。
それは直撃軌道にあった猟兵からすればありがたいことで、そのまま見当違いの場所で墜落してくれればどんなにありがたいかと胸を撫で下ろした。
本来は喜ばしい変化だったのだ。
そして第三に、慣性の法則。
猟師の速度は傭兵団内で屈指を誇る。特に身体強化を用いあの紅い粒子を噴き上げながら動いたときは視認すら難しいほど。
彼はその速度をもって鷲獅子を打倒し、横っ飛びに跳ねることで死体との衝突を避けた。
――風を受けて翻りその場に留まってしまった、群青の外套を除いて。
グリフォンが即座に墜落してくれれば。あるいは変更した進路の先に外套が無ければ。あるいは猟師が外套を脱いで戦闘に臨んでいれば、こんなことは起きなかっただろう。
さて、実際に何が起こったのか、具体的に描写すると僅か一文でこと足りる。
――飛び去ろうとしたグリフォンの残った片前脚が、猟師の外套に引っかかった。
「ぐぇ……!?」
蛙が絞め殺されるような声が上がり、それでもグリフォンの死骸は勢いを緩めることなく突き進み、
「え!?」
「ちょっ……」
「なっば……!?」
「うわぁ……」
成人男性一人分の体重を軽々と引っこ抜き、呆気にとられた全員を置き去りにして飛び去ってしまった。
「あんの……馬鹿ァ――――っ!?」
ぬわぁーっ、と間抜けな悲鳴を上げながら飛び去っていく猟師を愕然と見送り、エルモは思わず絶叫した。……何なんだあの馬鹿は。こんな生きるか死ぬかの場面で笑いを取りに来るとか、本当に何を考えてるんだ……!?
そら見たことか。隊員が目に見えて動揺している。あばよとっつぁんとばかりに空を行く猟師を呆然と見上げて、完全に手が止まっているではないか。
「――指揮権を引き継ぐ! 猟兵、私の命令を聞きなさい!
方陣を組め! ボルトを惜しむな、近寄るグリフォンは片っ端から撃ち落とせ!」
歯噛みしながら声を張り上げる。正気に戻った隊員が慌てて配置につこうと動き出した。エルモを囲んで方陣を組み、クロスボウを構えて膝立ちになる。
エルモはそれを援護するために風魔法を行使し、周囲に強めの気流を流して鷲獅子が近寄れないように小細工を施した。
間に合わなかった。
あの馬鹿が馬鹿をやったせいで注意が逸れ、その隙に牽制していたグリフォンが空に飛び立っていた。
上空を旋回する鷲獅子は襲撃の方向を自由に決められる。今までのように横隊を組んでは背後あるいは側面から襲いかかられるに違いない。
攻守は逆転している。イニシアチブが手元から離れかけていた。
ゆえに方陣。弾幕が薄くなる上に完全に防御を指向した機動性もへったくれもない陣形だが、どか貧をじり貧に抑えるくらいにはなるだろう。
逆を言えば、劣勢を覆す冴えたやり方などまるで思いつかないのが現状だ。
装填に時間がかかり連射がきかない弩弓兵。猟師に劣る白兵戦能力しか持たない彼らが、腰に提げた剣と投斧をもちいてグリフォンを殺すのは困難だ。どうやったって一体殺すのに一人は死ぬ。一人減ればただでさえ薄い弾幕がさらに薄くなる。全体の生存率がさらに減る。一人くらいは盾持ちを連れてくればよかったと後悔した。
鷲獅子は周囲を飛び回りこちらの隙を窺っている。南を見れば団長たち本隊は敵精鋭と拮抗状態に陥っているのか、本体を襲うグリフォンは二十体を下回っていなかった。
明らかな劣勢。応援は期待できない。
これを、率いる?
冗談じゃない。難易度設定が狂っている。ベリーハードがいつの間にかレジェンダリーをぶっちぎってインフェルノに突入してるではないか。指揮官経験なんてほとんどないのだからイージーモードへの設定変更を切実に要請したい。
内心でどんなに愚痴っても状況が好転することはなく、いつの間にか優秀な猟兵は陣形を組み替えて指示を待っていた。
指示待ち人間なんてさいてー、なんて冗談を飛ばす余裕なんて当然あるはずがなく、エルモはいらいらいらいらと頭を悩ませて――
「ああもう知るか! 私は私のやりたいようにやるわよクソ猟師!」
キレた――いや決めた。
当初の予定は破棄する。今は討伐以上に生存と防御を優先するべきだ。
今この状況で奥の手などと贅沢なことは言ってられない。
エルモは今現在まで温存してきたMPを使い切る勢いで魔法を用いることに決定した。……文句を言いたいならまず、勝手に戦線を離脱した猟師に言ってほしい。
そうと決まれば善は急げ。エルモは体内に循環する魔力を意識し――
「――――早く、速く、迅く、疾く、早矢く!
疾風を超え音を超え、あまねく置き去りにして疾走せよ――――!」
来週一週間はお盆休みを頂きます。
みなさま、良いお盆を