鳥か、飛行機か、空飛ぶ豚か
弩弓の斉射は見事に心臓撃ちを成功させ、三頭のグリフォンを絶命させた。
まずまずの戦果。一頭当たり平均七発のボルトで鷲獅子を狩れるなら上等といえる。しかし気を緩めるには敵の数が少々多すぎた。
機先をを制してなおもまだ十七頭。軽装の猟兵は盾を持たず、あの凶悪な爪を防ぐ手段がない。接近戦にて仕留めるには仲間の身体を盾にして防ぎ、犠牲を承知で打ちかかる覚悟がいる。
それではまるで割に合わない。一頭殺すに一人の猟兵を支払うのでは文字通り全滅だ。よってこの戦闘の根幹は敵をこの部隊に近寄らせないこと。
部下に向けて声を張り上げる。
「装填急げ! 最低でももう一発は撃ち込むぞ! ――エルモ、牽制射!」
「はいはい……!」
軽く頷いたエルフは携えた短弓を構え、矢継ぎ早に矢を放ち始めた。狙いは今にも飛び立とうとする鷲獅子の群れ。本隊の方に向かっていった三十頭余りと比べて、離陸の仕草がぎこちない。恐らくは成体になって間がないか、あるいは老いて一線を退いた個体か。
どちらにせよあの二十頭を南に向かわせるわけにはいかない。可能ならこの場で殲滅するのが望ましい。
エルモの放った矢が鷲獅子の翼を掠めた。続く矢は精度を上げて鷲の羽根を千切り飛ばし、グリフォンの飛翔を阻止せんと襲いかかる。
目の前の十七頭すべてを視野に入れ、飛び立とうとする個体を優先してエルフは弓を引いた。秒間二射の速射は巧みに鷲獅子の出鼻を挫き、翼を封じている。しかし所詮は短弓、威力はそこまで望めない。精度はクロスボウに勝っても、グリフォンの毛皮と脂肪を貫通するとなると難しい。
対リザードマン戦のように魔法を併用すればあれの毛皮を貫いたうえでダメージを与えられるだろうが、それではあとがなくなってしまう。
エルモの魔力を一定以上に温存する――それが当初に決定した作戦内容だった。
「――――っ、猟兵構えェ! 目標、前方――」
「オンッ!」
装填を終えた猟兵に指示を出そうとした声をウォーセに遮られた。何か警告するような声色。見返すと白狼は鼻先でしきりに左方を示していて――
「あれは――――!」
南方から攻める本隊。三十頭のグリフォンと相対し、すでに五体を倒した傭兵たち。
犠牲は多く、ここからでも地面に倒れ伏す男の姿が十や二十ではきかないほど確認できる。内臓を引きずり出され悶絶する姿は、遠視を用いて詳細を覗いたことを後悔させた。
際立って目立っているのはやはり団長と副団長だ。団長がドワーフの円盾を用いて爪を弾き、体勢を崩すどころか鷲獅子を轢き殺さんとばかりに吹き飛ばしている。それを追い一撃で大剣を深々と埋め込む副団長は、さすがに阿吽の呼吸というところか。
犠牲は多い。しかし戦果はそれを上回るだろう。本隊について心配はいらない。
だから問題はそこではない。残念ながら俺たちは他所を心配していられるほどの余裕がない。
なぜなら、
「取りこぼしたか、若造どもが……っ!」
南方の本隊を襲うグリフォン、その一体が進路を変えてこちらに迫ろうとしている。
「目標変更! 四時方向、隊列組み直せ!」
「ちょっ!? こっちだって抑えきれないわよ!?」
懸命に矢を放ち続けているエルモが文句を言うがそれどころではない。まだ羽ばたくさなかにある猛禽の群れと、すでに飛翔しこちらに向けて加速しつつある単体の猛獣、脅威度は明らかだ。
団長たちを責められないのは理解している。あくまで本隊は鷲獅子の攻撃を迎撃している形。敵を選ぶ権利が与えられているのは空を飛び襲い掛かる猛禽の魔物だ。
一直線にこちらに向けて猛速で飛来する暗褐色の猛獣。鷲の頭部が雲のように白いところが特徴的だった。
低空をすれすれで滑空し見る間に迫りくるその目には、ありありと憎悪が浮かんでいた。
「よく狙え! 外せば仲間のうちだれかが死ぬと思え!
猟兵――――」
一瞬、空を仰いだ。
何かに憑かれたような衝動に任せて、茫と視線を上向ける。
暗雲が立ち込め始めた明け方の空。
雷鳴すら聞こえてくる。
まるで、これからの俺たちの未来を示唆するような。
はるか上空に、黒い影があった。
この地べたからでも容易に形が見て取れるほどの巨躯。空の王者を気取るのか、悠々と翼を広げて旋回し、春の曇天に円を描く。
いっそ憧れるほどに雄大に。下々を睥睨するように尊大に。
……上等だ。
「斉射――――ッ!」
一斉に引き絞られた引き金に連動し、二十を超えるボルトがたった一体の鷲獅子を迎え撃つ。
「ゲェ――――!?」
狙い過たず突きささっていく。脳天に、首に、眉間に、前脚に、胴体に。偶然なのか、ドワーフ合金の重弩弓は鷲獅子の両眼すら潰して見せた。
苦鳴を上げて白頭のグリフォンが身もだえる。
――しかし。
「――――――」
止まらない。
ボルトは頭蓋骨を貫通している。眼窩を貫く二本は脳すら損傷させているはず。傷口から噴き上げる血は鷲獅子が太い動脈を傷つけていることを示していた。
それでもなお、白頭のグリフォンは墜ちない。潰れた視界越しにこちらを捉え、その執念の炎を見せつけんばかりに燃え上がらせ、一人でも道ずれにするために人間に向け肉薄し――
「退け――――!」
前に出る。鉄鞘から牙刀を引き抜く。霞に構えさらに前へ。
眼前には白頭の鷲獅子。満身に矢を受けてもはや死に体、前方へ遮二無二飛び続けるさまは意識が残っているかも怪しい。
ただ突っ込むだけの敵ならば殺すのは容易い。この手に持つは暴大猪の牙刀。打突においては必殺を誇る。その懐にこの小太刀が届きさえすれば、いとも他愛なく突き殺してみせよう。
――そう、届きさえすれば。
遮られていた。鷲獅子が前方に掲げる猛禽の鉤爪。鉄を引き裂く凶刃は魔物の胸元を覆い、跳び込めば革鎧ごと俺を切断するだろう。
前に出る。引き絞るように身体がたわむ。
退けない。すでに退路はない。後ろには無防備な猟兵がいる。この魔物を通すわけにはいかない。
躱せない。鷲獅子は目前。脚を止め横に身を投げる隙などありはしない。
目前の死は不可避。何もせずともなにを為しても、致死の一撃を受ける結果は明白だ。
だからその分――――前に出る。
活路があった。僅かに開いた爪の隙間。腕を落とし胸を斬り、この身を限界まで削げば潜り抜けられる僅かな隙間が。
腕一本あればいい。それだけ残してあの爪を突破できればあれを殺せる。
傷を受けるだろう。免れようもなく死ぬだろう。だがその傷は致命であって致死ではない。その差異こそが全てを分ける。
――――身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。
死中に活を求めるものが最後に残る。たとえ数秒後に斃れるのだとしてもそれは大きな違いだろう。
死んで勝つことと、勝って死ぬことには雲泥の開きがある。それを今から示してやる。
さあ、今こそ――――ッ!
――――――その、刹那。
傍らで、なにものかが牙を剥いた。
白影が躍った。目にも留まらぬ俊敏で翻弄するように左右を跳び抜け、向かい来る鷲獅子と交錯し、
「ギェ――――!?」
ぶちり、と何かを引きちぎる音。
華麗に着地した白狼は、その口に猛禽の鉤爪を咥えていた。
「隙が空いたぞ――――ッ!」
潜り込む。面積を大きく減じた鉤爪の結界、その空隙に身体を捻じ込んだ。
前脚を失った傷口から鮮血が噴き出し、俺の視界を真っ赤に塗りつぶしていく。堪え切れずに瞼を閉じた。
――眼は潰れた。しかし気配はありありと捉えている。荒い息遣いに脈動する拍動の音、それだけあればどこを突くかなど瞭然だ。
ゆえに、
「――――ァ――――」
するり、と呆気なく。拍子抜けするほど易々と。
抵抗もなく骨の隙間に滑り込んだ牙刀は、白頭のグリフォンの心臓を深々と貫いた。




