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PHOENIX SAGA  作者: 鷹野霞
飛びあがる魔物狩り
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お茶のお誘い

 リディア・ミューゼルが『鉄壁』のイアンについて初めて耳にしたのは、十年前の夏の話だった。

 半島はスタンピードを乗り越え、復興の兆しが見えてくる頃。領都の屋敷に頻繁に出入りしている懇意の商人に、面白い傭兵団があると話を聞かされたのが事の始まりである。


 領軍すら見捨てた東の廃棄村、魔物の大群に蹂躙される未来が待っていた村落を、誰に命令されるでもなく見事に守りきった傭兵がいる、と。

 規模の小さい傭兵団だったという。その数およそ三十人ほどで名声もなく、後方の控えとして回されるのが精々の。

 そんな弱小傭兵団が自身の三倍の魔物を相手取り見事阻みきったのは、傭兵たち個々の力量が優れていただけでなく、それを纏める団長が部下の力量を何倍にも引き上げることができるほどの人望を得ていたからではないか。……そう考えた方が夢がありますね、と商人が笑っていたのを覚えている。


 聞けば、スタンピードを凌いだその傭兵団は壊滅的な打撃を受け、残ったまともに戦える人材は十名程度なのだという。

 辺境伯からの報酬を受け取ったとはいえ、人材の補充は容易ではない。領軍とて少なくない打撃を受けたのだ、人手は払いの確実なそちらに向かうはず。……つまり、傭兵団は立ち直れない。

 惜しいことですが時間の問題ですなぁ、と商人は残念そうに首を振り、いそいそと屋敷を去っていった。


 リディアもまた、顔も知らない傭兵団の自然解体を惜しむ一人ではあった。

 当時リディアの年齢は九歳になろうかという頃。お伽噺に出てくる英雄譚や、彼らとそのお相手が紡ぎ出す恋物語に胸をときめかせる年頃である。

 その頃から騎士団領の長男との婚約は進んでいたが、しかし年頃の少女からすれば、顔も知らない西方の貴公子よりも、身近で武勇譚を打ち立てた青年の方に心惹かれるのも無理のない話だった。


 ――寝台に横になって眠りにつくまでに、愚にもつかない妄想に耽ったことがある。

 可憐なお姫様が魔物の群れに襲われる危機の中、白馬の騎士が颯爽と駆けつけて敵を薙ぎ払いお姫様を救い出す。最後は身分の差を越えて二人が結ばれハッピーエンド。

 ……よくあるロマンス物の騎士物語だ。戦いに赴く前の騎士の求愛や、窮地に現れた際の決め台詞たるや赤面もので、何年も経った今でも寝具の中でふと思い返して身悶えすることがある。


 誰もが見捨てた苦難の中、お姫様(むら)を救うために果敢な騎士(ようへい)が身を捨てて戦い抜き、見事守り抜いた。――そんな風に当てはめると、なんだか身近なところにお伽噺が転がっているようでおかしな気分になった。

 その中で自分が役割を与えられるならはたしてどんなものだろうか、などと人形遊びのように場面を想像してみたこともある。


 当然、単なる辺境伯の親類に過ぎない自分に出る幕はない。始めから理解していたことだった。

 件の傭兵団長は辺境伯から表彰を受け、以後十人かそこらの構成員では組織の体を維持できずに瓦解していく。

 そして彼とは最初から無関係だったリディア・ミューゼルは当初の予定通り西方に嫁ぎ、王朝の両翼を繋ぐ懸け橋となる。……始めから逆らう理由もないことだった。

 定められた結末は当人すら変更を夢見ることもなく、少女の初恋ともいえない淡い想いは恋に恋していた幼い思い出として記憶の隅に風化していく。――そのはずだった。


 一年前、女魔族シャルロットの姦計で全てが崩れ去るまでは。



   ●



「――――?」


 ある日の夜半、不意に何かの気配を感じてリディア・ミューゼルは目を覚ました。

 ここは領城のとある一角。辺境伯の親族衆にあてがわれた一室である。本来は領都の貴族街にある屋敷に住んでいた彼女だが、王都の貴族学院を卒業してからは辺境伯から特に求められて城に居を移していた。

 正直、騎士団領との婚約が破談になってからの実家住まいは肩身の狭いものがあり、この申し出はリディアにとってもありがたいことだった。

 あの事件の元凶は女魔族にあり、リディアが責任を負うところにないというのは明白ではあるものの、二十歳に手のかかりそうな年齢は貴族からすれば行き遅れと称されてもおかしくない。父母は相変わらず親身に接してくれているが、時折向けてくる憐みの視線は耐えがたいものがあった。


 リディアがこの城に住み始めたのは去年の四月から。周囲に言いふらすことでもないので、このことを知っている人間はそれほどいない。ここ半年ほどは辺境伯の執務を手伝うために役人の制服を着用して城内を歩くことが多いので、彼女を伯の親族と気付きすらしない人間もいるだろう。

 だから、彼女の居室に訪れることができる人間は限られていた。


 そんななか、それも真夜中になって現れる他人の気配とは。……どう考えても穏やかな動機ではない。


「――――――」


 テラスへと続く大窓、月明かりに照らされたカーテンが風を受けて翻った。……半島の四月の夜は寒い。就寝前に戸締りは確認したはずで、それが今開け放たれているということは――


「――やあ。夜分遅くに失礼」

「あなたは……」


 窓の外。領都が望めるテラスの手摺にゆったりと腰かけている、一人の男がいた。

 若い男だ。実際が、というわけではなく、見た瞬間に受ける印象が若々しい。短く切りそろえた茶髪に碧眼。鋭くも愛嬌のある目つきは、歳を重ねるにつれ経験する挫折や諦観を鼻で笑い飛ばすような光を放っていた。


 ――そんな男の名前を、リディアはよく知っている。


「イアン団長……? どうしてこんなところに?」

「決まってる。忍び込んだのさ」


 明後日の方向の返答に僅かに苛立つ。聞いているのは方法ではなく理由だというのに。

 そんな彼女の様子を察したのか、テラスの男はくつくつと静かに笑い、


「……まあ、言いたいことはわかる。けどこっちも結構大変な思いで登って来たもんでね。ちょっとは自慢したいってのもおわかりでしょう?

 さすがに見張りに見つからずってのは難しいから、うちの隠密が得意な仲間に手伝ってもらったんだが―――あーストップ。そこまでそこまで。さすがに嫁入り前のお嬢さんがそんな恰好で男の近くに寄るもんじゃねえや」

「――――――っ」


 近寄ろうとしたところで手で制された。そういえば身に着けているのは薄手の寝巻で、身体のラインがはっきりと出るものだ。男女の会合で着用するには、その……いささか破廉恥というか。


「あ、あのっ、これは、その……」

「オーケー落ち着いて、お嬢さん。あんたはそこから一歩も前に出ない。俺はこの手摺から尻を離さない。これで一安心ってやつだ。

 大丈夫、約束破って襲ったりしないよ。なにせこわい猟師が見張ってるからさ」


 赤面して身体を抱え込んだリディアの様子を愉快気に見つめ、イアン団長は言葉を投げる。


「ただ、窓は開けさせてもらったよ。締め切ったんじゃ声が届かない。それじゃ来た意味がないでしょう? ――まあ、お嬢さんの寝顔を眺められただけでも満足したかな」


 軽薄な調子で話すわりに、時折どきりとする口説き文句を放ってくるのが始末に悪い。先日初めて会ったときと違う砕けた様子に、不思議な親しみを感じた。

 何となく理解する。……きっとこの男は、こんなセリフを何の衒いもなく言い放つことができる人間なのだ。それを男相手にもいかんなく発揮した結果が、半島に名を轟かせるあの傭兵団なのだろう。

 そう思うと、ついついおかしくなって笑いがこぼれてくる。


「ふふっ……いえ、失礼を。――――それで、今夜の用向きはなんなのでしょうか、イアン様? お話なら昼のうちに訪っていただければもてなしましたのに」

「サシで話がしたくてね、俺が一目惚れした女と」

「――――」


 一瞬、間違いなく心臓が止まった。……この男は、今なんと?

 みるみるうちに顔を紅潮させていくリディア・ミューゼルに、半島の鹿の長は笑いかけた。


「なあリディア嬢。……身分も財産も名前も全部捨てて、俺の嫁にならないか?」


 それは、あまりに唐突な駆け落ちのお誘いだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 作者様はきっと茅田砂湖さんの小説好きだろうなぁと作中を文章を見て思った。
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