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PHOENIX SAGA  作者: 鷹野霞
飛びあがる魔物狩り
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嫁取りか婿入りか

 兵隊の仕事は走って立って穴掘って穴埋めて、泳いで潜って飯食って糞ひって寝ることである。嗚呼素晴らしきかな食っちゃ寝人生。

 究極の非生産こそが我々の生業で、人口の無意味な減少に寄与する戦争屋は、引きニートにも劣る存在に違いない。


「――というわけで、あんたたちは生きる価値の無い屑というワケよ。さあ走るわよ!」


 猟兵たちの朝は早い。日の出とともに起床の鐘に叩き起こされ手早く朝食を済ませたあと、長屋の前に整列させられる彼らが欠伸の一つもしようものなら、それだけで教官(エルモ)のアッパーカットが唸りを上げる。

 面白味のない訓辞を嫌う教官は、特に朝の挨拶を交わすまでもなく部下をその日の訓練に駆り立てる。今日のメニューはラジオ体操ののちに耐久走、組打ちの訓練。昼飯を食ったら春の寒い海に泳ぎ出し遠泳の訓練。

 戻ってきたらくたびれた身体に鞭打って穴を掘り、塹壕もどきに身を隠してクロスボウを用いた射撃訓練だ。


 今のところ、昼下がりに行っている射撃訓練は的中率が七割を超えたことがない。あれだけ身体を傷めつけたあとのこれだから致し方のないことかもしれないが、それにしたってもう少し向上の余地はあるだろう。

 よって、次の日は訓練兵を更なる地獄へご招待することを決定する。


 手っ取り早くわかりやすい訓練法とは何だろうか。それは論じるまでもなく体力を鍛えることである。

 姑息な技能やスキルを磨くのも大事だが、それを長時間衰えなく運用するためには鍛え抜いたスタミナと集中の途切れない精神力が不可欠だ。

 そしてそれらは、仮借なく心身を追い詰めてこそ身につけられる。


 奇しくも、俺があの秋空の中スイムオアダイを繰り返したように。


「はあ……はぁ……ああ……!」

「くそ、しぬぅ……」

「だれ、たすけ……」


 助けはない。死ぬがよい。


「よーしウォーセ、兎狩りの時間だ! 弟たちをあいつらの尻に齧りつかせてやれ!」

「オン!」

「ゥゥゥゥッ!」

「グァッ!」


 ヒイヒイと息も絶え絶えに弱音を吐く隊員に、容赦なく狼たちをけしかける。生まれて一年経ったかどうかの狼たちは、地球の大型犬ほどの大きさに成長していた。そんな狼に牙を剥き出しにして追い回される彼らの心境はいかほどか。


「いや、あんたがけしかけてるんでしょ」


 俺の隣を並走する鉄拳教官の突っ込み。こんなマラソンで息を切らすほど彼女もやわではない。ただそのあきれた視線は頂けないな。


「ただ走るだけなら餓鬼にもできる。重要なのは追い詰められて走り続けること――おいコラなにやってんだ! 背筋曲がってるぞオロフ!」

「いぎゃあっ!?」


 怒号一発。よろよろと姿勢を崩した隊員にクロスボウを撃ちこむ。たまらず悲鳴を上げた隊員はみっともなくべそをかきながらぐいと胸を張った。

 ちなみに本当に殺す気で撃ってるわけではない。今回使用しているのは訓練用の軽弩弓で、ボルトに鏃もなく当たっても青痣が出来上がる程度だ。

 ……それでもまあ、打ち所が悪ければ大怪我間違いなしなのですが。そこは俺の腕を信じてもらうということで。


「毎回思うけど、あんたってほんとずるいわね」

「どうして? こう見えて部下を鍛え上げて次の戦場で死なないよう苦心している、良い上司のつもりなんだが」

「そのいい上司は、自分だけ狼に跨って走るのに良心の呵責を感じないのかしら?」

「オン!」


 ふむ、いい質問だお嬢さん。

 俺はウォーセの背中に騎乗しながらクロスボウの装填を終え、しばし考え込んで、


「――これもまた役職から得られる役得ということで一つ」

「返答になってないわよ」

「別にいいだろ。羨ましいなら遠慮せずに馬でも熊でも捕まえて乗りこなしてみればいいんだ。私物の持ち込みは禁じてないんだし、そこは本人次第だろう」

「そこで持ち出しを推奨するあたり、この傭兵団ってブラックよね……」


 なにを今更。そんなもん十年前に勧誘されたときから明らかだったとも。スタンピード中の群れに向けて単身特攻任務とか馬鹿じゃねーのかと。

 あぁいや、愚痴はこれまでにしておこう。今は未熟な猟兵を鍛え上げることに専念しなければ――



   ●



「――コーラルは、今回の件についてどう思ってるの?」


 唐突にエルモから問いかけられたのは、猟兵の耐久走と山中の山菜取りが終わり、海が望める浜辺で思い思いにバディを組んで、組み手に取り掛かり始めた頃だった。

 いわゆる『二人組作って』である。まさかこの台詞を言う側になる日がこようとは。

 あぶれた隊員は漏れなく俺か借金エルフが相手をすることになる。やはり引率役に世話してもらうのが恥ずかしいのか、時折出てくるボッチ隊員は罰ゲーム要員などと言われて周囲から憐みの目で見られているのだが、それはともかく。


 エルモから話を向けられた俺は、しばし空を仰いで考え込んだ。


「今回の件って、やっぱり団長の婚約話の件か?」

「他に何があるのよ。会議じゃ乗り気に見えなかったけど、はっきり反対したわけじゃなかったじゃない。

 だから今のうちに上司の意見を聞いておこうと思って」


 まあ私はどっちでもいいんだけどね、と彼女は付け足した。その目は訓練兵がどつき合う姿を眺めている。携えた鏃の無い弓矢は隙を見せた隊員の背中を射るためだ。

 ……しかし、俺の意見ねぇ……?


「ただの政略結婚ってだけなら、反対だな。寄らば大樹とはいうが、代わりにこちらの失うものが多すぎる。辺境伯の家臣として団長の血筋が残ったとしても、この村と『鋼角の鹿』を手放すかもしれないとなれば、俺から見ればそれは負けだよ」


 皆が危惧しているのは無為に使い潰される未来だ。死ぬことではない。ウェンターを筆頭としたあの日道を定めた十名(ぜんぐん)は、戦いの末死ぬことを恐れない。

 しかしそれは、ただの犬死にを肯んずるというわけではないのだ。見ず知らずの誰かの命令で、目的も定かでない戦いに駆り立てられることを恐れている。

 金は稼ぎたい。名声は欲しい。酒を飲んで女を抱きたい。――それは団員たちの誰もが抱く欲望だ。しかしその欲は、彼らが一線を越える一押しにはなりえない。


 死ぬならば団長の命令で。あの餓鬼のように英雄に憧れる男とともに見る夢に向けて、その道のさなかで燃え尽きたい。

 確信があると、ある傭兵は語った。あの団長は必ずや大成する。それも半島に収まらない、大陸中に鳴り響く大英雄となるに違いないと。

 その姿を間近で目に収められるなら、たとえ道半ばで死ぬとしても戦士冥利に尽きる栄誉だ、と。


 俺は死んでやる気など毛頭ないが、その一歩手前くらいまでは付き合ってやりたいと思っている。そのくらいには彼らに共感している。

 何より見ていて面白い。あの三十路を過ぎて無駄に活き活きした若造がどんな馬鹿をやらかすのか、楽しみにしている自分がいる。


 だからだ。あの『鉄壁』のイアンが、爪と翼を奪われて籠の中で飼い殺しになる未来が、どうしても我慢ならないのだ。


 しかし――


ただの(・・・)政略結婚なら……?」


 エルモが俺の言葉を聞きとがめて言った。……勘のいい女だ。そうやって行間を読む能力は俺も見習いたいところである。


「そりゃあ、政治だの外交だのが絡まないで純粋に恋愛婚したいっていうなら、わざわざ邪魔するのは無粋ってもんだろう? 馬に蹴られて、ってやつだ」

「でも、このままじゃ一方的に取り込まれて終わりそうなんでしょう?」

「その通り。――――だからこれから、団長の貫目(・・)を上げてやるのさ」

「――――」


 団長が辺境伯と見劣りしないよう、今以上にその価値を押し上げる。その存在を、その発言を誰もが無視できないよう確固たるものにしてやる。

 こちらの内情にあちらから口出しが出来ないほどに、いっそ対等な関係とすらいえるほどに身代を上げて鳴り物入りで家臣入りしてやるのだ。

 大偉業を為す。誰もが黙り込むほどの、文句のつけようのない功績を打ち立てる。たかが半島の支配者なぞ目じゃないくらいのとびきりをだ。


 ――――さあ仕事だ。大陸史に鹿の名前を刻んでやろう。

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