会議は踊る
リディア・ミューゼル。
コロンビア半島出身、王立貴族学院卒業、満十九歳。今年の秋に二十歳を迎える。
魔法習熟度:火C、水D、光D
現辺境伯ジークヴァルト・ミューゼルの実弟ドミニクの末娘。父ドミニクは竜騎士ではなく、歩兵を統率する部隊長として領軍に所属している。
兄弟は兄が一人、姉が二人。兄は行政官として領都に勤務。姉のうち一人は王都の貴族に、もう一人は竜騎士に嫁いでいる。家族仲は良好で頻繁に食事を共にするほど。現辺境伯とも懇意であり、しかしその関係を鼻に掛けない点は好印象といえる。
本来彼女は王朝の西方を守護する騎士団、その団長を代々世襲してきた一族の跡取り息子と婚約していた。
誰が見ても順風満帆な人生。北東の竜騎士団長と西の騎士団長は関係を深め、いっそうの忠誠を王国に誓う。その証としての婚約だった。
ルフト王朝に忠実である限り、彼女は西の大領の女主人として奥を取り仕切る将来が約束されていたのだ。
二年前、婚約者が魔族に惑わされて婚約を破棄する、その瞬間までは。
女魔族シャルロットの文字通りの姦計。ありもしない濡れ衣を着せられ、リディアは失った名誉を取り戻せないまま貴族学院を卒業。新たにシャルロットと婚約した男は、一年後自領の屋敷で婚前交渉の末に命を落とす。
次期騎士団長を腹上死という形で喪った騎士団は、現在揺れに揺れている。王朝への帰属派と独立派で対立し、内乱寸前まで情勢が悪化しているのだとか。
騎士団長の息子は一人ではなかった。リディア・ミューゼルには事件後、騎士団長の次男との婚約が打診されたという。
しかし辺境伯は提案を断った。姪の悪感情を考慮したのもあるし、治安が悪化している騎士団領に姪を向かわせることを躊躇ったのだと言われている。
そんななか持ち上がった半島の傭兵団長との婚約話。それは驚いたことに、リディア・ミューゼル自身の提案なのだとか。
彼女が何を思って団長との婚姻を口にしたのか、その理由は未だ定かではない。
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「反対! 断固として反対です!」
ハスカールの中央役場、その会議室に副団長ウェンターの怒号が響き渡った。感情のままに椅子を蹴倒して立ち上がった彼の表情は、苦々しいもので満ちている。
「この話、明らかに政治的なものでしょう。辺境伯は俺たちを取り込むつもりでいるんだ。この村も建設途中の都市も奪われて、家臣として体よく使い潰されるのがオチです!」
「うー」
まあ確かに、彼の意見はもっともなものだと思う。
この話を受けたとすれば、団長は辺境伯の親類として遇されることになる。それはつまり、この傭兵団も独立したものでなく団長とセットで領軍に組み込まれることを意味している。
この村だってそうだ。元々都市が出来上がれば真っ当に税を納めていこうと内々に決まっていたことではあるが、明確にあちらの支配下に置かれると内外に知らしめられるとどうなるか。
「――考えたくない未来です。辺境伯ともなれば御用商人の一つや二つは抱えているはず。それに我々が喰い込む形になるならまだましですが、逆をされれば我々が築き上げてきた交易路が奪われかねない」
暗澹たる様相でノーミエックが言った。エルフとの交易を取り仕切る彼は、これまで苦労して形にしてきた既得権益を脅かされることを懸念していた。
毎年十二月に開通する東辺海航路、エルフとの交易で得られる収益は、今やハスカールの予算のおよそ四割を占めている。これが無ければ猟兵全員へのクロスボウの配備など叶わない話だった。
――しかし、やはり引き剥がされることになるのだろうか。この村と傭兵団は。
『鋼角の鹿』の実力の源は、十年前に拠点と定めたこの村の収益といって過言ではない。狩り殺した魔物の素材を治安を確保した縄張り内で流通させることで利益を上げ、さらに航路を開いて交易の要衝として村の存在を確固たるものとした。
ただ獲物を狩り、領都の商人にいいように買い叩かれるのではなく、腰を据えて王都や芸術都市の商人とも取引を行うという姿勢を見せたからこそ、大陸東部の都市を巻き込んで有利な取引が行えたのだ。
戦い以外で別口に収入の当てがあるという事実も大きい。常に自転車操業で余裕のない通常の傭兵団と違い、『鋼角の鹿』は団員の装備や怪我の治療で多少の赤字になってもリストラや減給の心配がほとんどない。欠けた剣でトロールに向かう必要に駆られず、予算不足で弾切れになる心配もなく敵に矢を撃ちこめる環境がどれほどありがたいことか。
潤沢な資金源が傭兵稼業とは別にあったからこそ、俺たちは高い士気を保ち相応の戦果を上げ続けることができた。
結論をいうと、傭兵団はこの村から引き剥がされると今までの戦力を維持できない。同等の資金提供を辺境伯から受けられるなら話は別だが、そんな期待はするだけ馬鹿を見るだけだ。
「このまま団長とクラウス村長で回していけるならありかもしれませんが、新参の家臣に領都に匹敵する税収が見込める土地の管理を任せるはずがない。十中八九、代官が寄越されるでしょう。
これから予定している都市計画に、どんな横槍を入れられるか……」
「造った端から役人の紐付きか。ぞっとしない話だぜ」
「あー」
「最悪じゃのう。下手したら予算を横流しして建材の鉄筋を抜かれるかもしれん。どや顔で『これが節約です』なんぞとぬかされた後ろで崩れる城壁か。洒落になっとらんわ」
「……さっきから聞いてて思うんだけど、あんたたちどんだけお役所仕事にトラウマ持ってるのよ……」
「そうだな、潔癖な政治家と金にがめつくない弁護士の存在を信じるくらいには、役人を信用してる」
つまりそんな奴はいねえ。
副長、鍛冶屋、ギムリンの順で愚痴り合っていると、呆れた表情でエルモがぼやいた。……役人なんて腐ってるものなのです。賄賂が通用するならまだましだが、市民のためと公僕面して無茶な指図をする役人も負けないくらい付き合ってられない。
これはもう断るしかないのでは、という方向で話が定まりかけたとき、
「確かに、辺境伯の狙いは我々の切り崩しにあることは明確だ」
ハスカール村長、クラウス・ドナートが声を上げた。
「伯が欲しているのは我々が有している地上戦力、そして今後大陸有数の交易都市となるこの村の税収だろう。どちらも我々にとって、奪われれば死活問題となるのも間違いない。
しかし、これは我々にとっても好機であると私は考える」
かつ、かつ、と指先で義足を叩きながらクラウスは続ける。
「要は単純だ。我々の、村に対する影響力を減じさせないようにして、伯の傘下に入る。辺境伯という勢力に加われば、所属を明確に示し王都や芸術都市からのいらぬ勧誘を退けることができる。いざというときに伯の庇護も受けられるだろう」
「そう上手くいくかね? 俺たちは戦争屋と行政屋だ。政治屋の相手なんぞ務まるか?」
「交渉次第だろう。武力の提供と納税率を多めにとって、それを材料に交渉してみればいい。
辺境伯は姪というカードを切った。親類で唯一未婚の女性という大札だ。本来なら王都の貴族や有力な竜騎士に嫁いでもおかしくないほどの。それをこちらに向けてくるということは、それだけ我々を有力視しているという証左だろう。
交渉の余地は充分にあると私は思う」
「むむむ……」
「ていうかさー。こういうのってあくまで本人の気持ち次第じゃないの? こんなファンタジー大陸にまでやってきて、リアルよろしく政略だしがらみだの雁字搦めじゃやってらんないわよ」
「ふむ……」
「それは……」
「そうだのう……」
エルモの声だった。うんざりした様子で会議室の机に突っ伏し、エルフは続ける。
「結婚なんてしたけりゃすればいいし、それでこの傭兵団がバラバラになるならその程度だったってだけでしょ。
そこのうーうー唸ってる馬鹿団長はどうしたいのよ? 相手が気に入ったなら政略婚でも誘拐婚でもすればいいじゃない。時はまさに世紀末、伊達晴宗みたいに奪ってきて、身分関係なしに式でも挙げちゃえば?」
エルモや、そのネタが通じるのはプレイヤーだけです。いやプレイヤーでも歴オタ以外には何のことか意味不明ではあるまいか。
とはいえ本人の意思も重要な要素ではある。さっきからうーだのむーだのとしか声を上げていない上の空な団長だが、彼の意向抜きに話を進めるべきではないだろう。
改めて会議の面々は団長の意見を聞こうと彼の顔を凝視する。団長は難しい顔で唸り続けた末に、こいつはやべえわとぼそりと呟いた。
「――――――俺、惚れたかも」
なんですと。
大変申し訳ありませんが、多忙のため明日の更新はお休みさせていただきます。




