砂漠民族の会合
ディール大陸西方には、広大な砂漠が広がっている。
名前をアルス砂漠。面積にして北方のロムス雪原と同等の広さを誇り、それはつまり大陸の北方と西方が人間にとって生活困難な環境で覆われているということを示している。
とあるプレイヤーはこの大陸をこう称した。――白い綿帽子に砂色の外套。突き出す腕はガッツポーズ。……足の代わりに車輪みたいな島々がついてやがる、と。
もちろん適切な比喩ではない。大陸の地図を見ればそれが人型をしてないことは一目瞭然だし、その比喩にしてもパルス大森林や瘴気島のことを視野に入れていないのが明らかだった。
――ただ、その比喩に正しい所があるとすれば、それは外套という比喩。
風に煽られて王朝にも予測のつかない動きをするという意味で、それはある意味正鵠を射ていた。
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アルス砂漠において人間が生活可能な領域は少ない。大量の砂と風、灼けつく太陽が生み出す過酷な環境に最も適応しているのは魔物であり、彼らが強者としてはびこる砂漠に、人間の手が入り込む余地はほとんどないといっても過言ではないのである。
砂漠民族はそんな環境の中、砂漠に点在するオアシスごとに部族を構え、細々とした生活を営んでいた。
部族ごとの諍いは絶えない。水源を巡って武力をもって争うことなど日常茶飯事であり、さらには今まで頼ってきた水源が枯れたり、他所で新たな水源が発見されでもすれば、部族を挙げての争奪戦に発展することも珍しくなかった。
彼らにとって尽きぬ水源は垂涎の的であり、それを何でもないもののように扱う平原の民――すなわちルフト王朝は不倶戴天の敵ともいえる。
いずれ平原に進出して自らも豊かな生活を、というのが砂漠の民の悲願であり、エルフの大陸撤退から阻まれ続けてきた歴史の繰り返しでもあった。
――アルス砂漠の中央には砂漠の名を冠した大オアシス、アルス大水源があり、貧困がおおよそである砂漠民に例外な富貴をもたらしていた。
西にゆけば西辺海に到達し、そこから船を南下させれば瘴気島を経由して王都までの海路が通じている。
北西へ向かえばディール大陸で最大の信者数を誇る光神教の大神殿があり、そこへ向かう巡礼者は必ずこのアルス大水源を経由する。
すなわち、この水源は西と北西へ向かうための補給地であり、交通の要衝である。この都市を治める族長は伝統的に、周辺の小オアシスを支配する部族長同士の折衝役を担っていた。
それはつまり、何事かが起きたときに砂漠を代表する立ち位置にいるのがこの大オアシスの長ということになる。
部族長を集めての折衝は三カ月に一度。それぞれの気候や情勢を話し合い、不作があれば全体をもって援助し、王朝による侵略の気配を掴めば団結して事に当たると血判を押す場でもあった。
普段ならば単なる情報の共有で終わりになる議会。昨今になって流通し始めたパルス大森林産の砂糖水でも啜りながら和やかに進むはずだった会合は、いつになく不穏な気配を放っていた。
「――アルス・カガン。再三進言する。これは好機だ」
風通しのいい屋上に日除けの天幕を張った議場にて、末席にいた一人の男が声を発した。
「騎士団長の跡取り息子が殺された。それも閨の中で腹上死という不始末。次男はまだ幼く、英邁との評判も聞かない。巡礼者の話では、派閥争いが激化し始めているとも聞く。そのうえ瘴気島からゴブリンが騎士団領に流入し、治安も乱れ始めた。
騎士団の権勢はかつてないほどに堕ちている。攻めるならばこれ以上の機はない」
「然り。ナラフ・ゼンの言う通り、今こそが攻め時である」
ナラフと呼ばれた男の対面に胡坐をかいていた黒髭の男が続く。険しい顔と脂でてかる張った頬が印象的な偉丈夫だった。
「百年前の大敗から、延々と雌伏し続けた。良質な剣を鍛え、駱駝は充分に育ち揃った。あとは攻め入るときを待つのみというところでのこの不祥事よ。
――天恵である。我らにあの平原を獲れと、神がそう命じておられるのだ」
そう言いきった黒髭に周囲の数人が賛同した。
「左様、好機である」
「イスマル・ゼンの言う通り、これは天恵だ」
「百年の平穏に肥え太った騎士など、容易く剣の錆としようぞ」
「教団と渡りをつけよう。更なる混乱を平原に呼ぶのだ」
口々に戦争を求める小領主たち。血気に逸る彼らは、その誰もが歳若い風貌をしていた。
逆に歳を重ねた小領主は、それを苦々しげな表情で見やり息を吐く、
「好機、好機だと? 瘴気島のゴブリンが、騎士団領にのみ向かったと思っているのか。我が村はゴブリンへの対応で手いっぱいだというのに」
「魔物の被害もまだ続いている。恐らく『客人』の化けた魔物だろう。あれらを討伐しきるまで落ち着いて戦もできぬわ」
「ドロク・ゼンは未だあのサラマンダーにこだわるか。もはや五年も昔の話であろう」
「武勇を誇るあまり周りが見えておらん。今年の収穫は例年通り。小競り合い以上の戦を起こす余裕がどこにあるのだ」
「おおかた、闘技場に新たな奴隷を入れたいのじゃろう。十年前に捕らえた『客人』は解放したか退去したかのどちらかじゃ」
「――聞き捨てならないぞ、ハクマ・ゼン! 俺がいつ闘技場の話などした!?」
雑談まじりに罵倒と合わせて反対するのは、ほとんどが年かさの領主だ。髭に白髪が混じる老人連中は、大半が侵攻に否定がちであるか中立を主張するように沈黙を保っていた。
急進派の若年と保守派の年長、見事に派閥が分かれたようにすら見える。
混迷する会合を治める立場にいるアルス・カガンは、何を思っているのか無言で議場を眺めていた。
年齢は既に六十に届こうとしている。この大陸の、特にこの砂漠の平均年齢からいえば、とうに長老として遇されてもおかしくない老人だった。
「――――侵攻には」
アルス・カガンが重々しく口を開く。罅割れた唇からは掠れた、しかしはっきりと聞き取れる声量の言葉が発せられた。
「侵攻には、反対である」
「カガン! 臆したか!?」
「否。時機ではないのだ」
声を荒げたナラフを冷えた視線で睨みつけ、大水源の主は言葉をつづけた。
「……砂漠は作物が育たぬ。水が湧かぬ。人が飢え渇き略奪に走る。――それが砂漠の民である。我らが砂漠に生きる限り、得られる水は有限であり、食える麦は限られている。人が増える余地がないのだ」
「だからこそあの草原を手に入れるのだ! それこそが我らの悲が――」
「ゆえに、我らが砂漠を変えるのだ」
その言に含まれた意味を、この場のどれ程が理解していただろうか。
カガンの言い放った台詞に、誰もが言葉を失った。
「――水源を増やす。緑を育て新たな作物をもって飢えを遠ざける。平原を奪うのではなく、平原をつくるのだ。
働きはすでに始まっている。百年近い試みが、ようやく実を結ぼうとしているのだ」
しんと静まり返った議場に、老人の声が朗々と響く。
――水源主は言った。砂漠に平原をつくる。緑にて砂を潤し、万年が豊作の日々となる地に砂漠を変える、と。
それが叶えば、どれほどの命が救われるか。飢えもなく、渇きもなく、陽に焼かれて死に至る老人もいなくなる、そんな世になれば、どれほど――
「――ゆえに、戦は時機ではない。今はますますもって力を蓄えよ。戦いのときはそのあとである。
砂漠が豊かになれば、騎士団が黙って見てはいまい。我らが剣をとるのは、我らをこの地に押し込めながら、いざ風向きが変われば図々しくも我が物顔で敷地に乗り込もうとする高潔気取りの――」
突然、アルス・カガンの言葉が途切れた。周囲のゼンは茫然とそれを見つめていた。天幕がバタバタと音を立て、しかし誰もが気にも留めなかった。
なによりもありえない存在が、目の前に現れたからだ。
――背後からカガンを貫き胸に抜ける、一本の槍の穂先が。




