いざという時は息が合うのに
リザードマンの軍勢は去った。傭兵相手に戦力を消耗し、竜騎士による冷気のブレスを受けて軍勢の三分の一が死亡したとなればそれは当然といえる。
もとよりリザードマンが想定しえたのは圧倒的戦力差による蹂躙か城門を囲む包囲戦、あるいは閑散となった村落を襲う略奪といった三通り程度。どれも彼らにとって苦戦のしようがなく、戦士二百名を失うほどの戦いになるとは思いもしないことだっただろう。
決め手になったのは戦闘の終盤に現れたドラゴンナイトである。灼熱と冷却、両方のブレスを操る竜騎士。その威力は押しせまるリザードマン百体を瞬く間に凍死に追いやるほどであり、現出したブリザードの名残は未だあの平原に溶け残っているのだとか。
極寒の半島でもそうは見られない氷原と、その上に彫像のように立ち尽くすリザードマンの凍死体は、生々しい戦場の気配をそのままに見るものに伝えるに違いない。
「――でもあれ、溶けきったあとの腐敗がどうなるかかなり不安なんだが――へっぶしょい!」
日増しに暖かみを増していく春の季節にぼやきつつ、俺は盛大なくしゃみをした。微妙に背筋に寒気を感じ、これはいかんと外套をかき寄せる。
「風邪ですか、コーラル?」
「かもしれん。なにせ寒暖差の激しい地域で仕事をする羽目になったからな」
「それはご愁傷様です、お大事に」
ううむ、皮肉が通じん。
味も素っ気もない社交辞令を口にして、彼女は自分の仕事に没頭していった。積み上がった羊皮紙の束を広げて目を通し、いくつか書き込みを入れて判を押していく。用済みになった書類は行き先の部署別に分けられた籠に突っ込んで、しばらくしてからやってくる役人が引き取る手筈である。
流れるような書類作業。澱みなく迷いなく手慣れた様子で手続きを処理していく様子は玄人のそれであり、それを行う人間がつい先日任官を終えたばかりなどとは信じられないほどだった。
俺の目の前で黙々と仕事をこなしていく少女の名前を、アーデルハイト・ロイターという。
ここは領城の一角にして、領軍直属の竜騎士に割り当てられた執務用の個室の一つ。この大陸では希少な硝子の嵌った窓は西を向き、そこから内海を望むことができる場所である。
近くの物見台に上がればドラゴンを呼び出して乗降することが可能で、いざというときの出撃に対応した造りになっているのだとか。
今回俺は、一週間前に起きたリザードマンとの戦いについて辺境伯に報告を求められ、面倒がった団長に丸投げされる形でここに出頭している。なんでも要塞都市では祝勝会と称して一週間は飲めや歌えやのお祭り騒ぎになっているらしい。当然我らが団長も要塞を指揮している将軍に誘われてそれに参加しているわけで。
それに引きかえ俺と副団長は戦闘の後始末に奔走して回る一週間。戦場を検分したり装備の消耗具合を確認したり、死亡した団員に対し手当を支給するために手続きを進めたり……ああ、要塞都市に来る前に仕留めたヒュドラを業者に卸す仕事もあったっけ。
そんなこんなで大忙しの一週間だった。村に帰って賭場に逃げようとした某エルフまで引きずり込んでの事務処理である。エルモは文句を垂れていたが、何だかんだで現役OLで経験値が高いのは彼女なのだから少しはまじめに手伝えっての。
そんな、組織の主だった連中がデスマーチ染みた忙しさに追われているなか、あの若造は祝宴にうつつを抜かしていたのだった。
……あの野郎、一人だけいい目みやがって。次に会ったらぶん殴ってやる。
――さて、閑話休題だ。
俺の作成した報告書を受け取る検分役として、実際にその場で戦闘にも参加したアーデルハイトが選ばれるのは至極当然のことだった。
そして領城にやってきて通された彼女の執務室の立派なこと立派なこと。そして正面に据えられた無骨な執務机と、それに座って心なしかそわそわとした様子で俺を待ち構える彼女に、思わず笑ってしまったのは不可抗力だ。
……直後、真っ赤になった彼女に怒鳴られたのだが、迫力については……今後に期待しよう。
これほどの好立地にどうして若輩のアーデルハイトが事務室を構えることができたのかというと、領軍直属の竜騎士自体発足から日が浅いために人数が少なく、彼女がほぼ最初期のメンバーであるからとのこと。
…………こんな子供にそんな待遇とは、辺境伯の人材不足も随分深刻であるらしい。
子供――そう子供だ。
彼女が敵討ちを志して俺に剣を向け、叔父の企みで殺されかけ、いずれ返されるはずだった領地を完全に失ってからもう二年が経っている。
会うたびにはっとするほど綺麗になっていく様子には目を瞠るが、それでもまだ、日本でいうなら高校生程度の年齢だったはずだ。
「――そういえば、今年で十六になるんだったか」
「私ですか? ……そうですね。たしか、来月が誕生月だったはずですが」
「なるほど、成人より先に叙勲と初陣を済ませてしまった、と。なるほどなるほど」
「…………どういう意味でしょうか」
引っかかる物言いにカチンときたのか、アーデルハイトの筆が止まった。……だがこれだけは言っておかないと収まりがつかないのです。
「いやなに、最近は大人っぽくなってきたとはいえ、まだまだだな、と。もう少し判断力を養うべきだ。
特に、誤爆を受けた人間から言わせてもらうならの話だが」
俺のことですハイ。
あの時逃げ遅れた俺は後ろから突進してきたウォーセに突き倒され、覆い被さられることでどうにか窮地を脱した。……いきなり目の前が真っ暗になって一瞬死んだかと思ったわ
小僧の方はピンシャンしてるが、人間の俺では到底耐えきれないブリザードである。下手すれば死んでたし、季節外れの凍傷で指先がもげただなんて洒落にもなってない。
せっかく氷結ブレスなんて便利なものを扱えるんだから、もっと精度というか頃合いを測る気配りというか、そういうものを磨い……て……。
なに、その笑顔?
「――いえ、そのあたりは心配ご無用ですよ。あの時戦場に取り残されていたコーラルを、私はしっかり認識していました」
「うん?」
「大体、私があなたの魔力を見間違えるはずがないでしょう?」
「おい待てい」
あんまりな台詞に思わず突っ込む。つまりそれはあれか。未必の故意か。とうとう流れ弾に見せかけて謀殺に乗り出したと?
「危ないと思うなら、今後は殿を気取って前線に孤立しないでください。……逃げ遅れているあなたを見て、どれほど血の気が引いたことか」
「だったらもっと加減してくれてもいいと思うがね?」
「それこそ無用なお世話というものです」
そう言って、アーデルハイトはしてやったりと微笑んだ。
「――――あの程度で、あなたが死ぬはずがない。そうでしょう、コーラル?」




