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PHOENIX SAGA  作者: 鷹野霞
飛びあがる魔物狩り
163/494

ニザーン防衛戦⑧

 空が翳る。

 澄み渡った春の青空。雲すらまばらな真昼の空が、唐突に影を落とした。


 作戦通りに(・・・・・)


「ウォーセ!」


 白狼を呼ぶ。こうなっては着衣の蜥蜴にかかずらう余裕はない。一刻も早く部隊を蜥蜴から引き離さなくては。

 走り寄ってきた狼の毛を握り、その体にしがみつく。躍動する獣は俺の身体を軽々と浮かせるほどの速度で疾走した。


「隙間を突っ切れ、狭間をつくる!」

「オン!」


 相槌代わりの咆哮の、なんと頼もしいことか。

 予兆を見て既に後退を始めていた傭兵団と、そこに追い縋ろうとするリザードマン。その間に強引に割り込んだ。

 狼の背に跨りすれ違いざまに大斧を振るった。鋭利でもない武骨な斧の一撃は、しかしその重量によって蜥蜴自慢の鱗を切り裂いていく。

 銀の氷雪を纏って駆け抜ける。一陣の雪風のように軽やかに。邪魔をする蜥蜴はことごとく撥ね飛ばして打ち上げた。


 ちらりと振り返れば思わず笑った。ウォーセが吹雪とともに駆け去った足跡は、まるで季節が逆戻ったように雪で覆われ霜が降り、膝丈ほどの氷柱が剣山のように空へ向けて牙を剥いていた。

 なるほど蜥蜴であれを越えられまい。体のいい撒き菱となったか。


 北から南へ戦線を横断し、敵味方をおよそ分断することに成功した。即席の氷柵をリザードマンは越えられず、危うく腹を突き刺すかというところで踏みとどまる。

 しかしそれはあくまで最前列。氷柱を直視したのは前方の一部の蜥蜴でしかない。後続の蜥蜴が異常に気付きもせずに前方の蜥蜴を玉突き事故のように押し飛ばし、憐れな一部の蜥蜴はなす術もなく串刺しになった。


 ――――だが本命はこれではない。わからないか、蜥蜴ども。

 こんなに空が翳っているのに?


「――こんな季節にリザードマンが攻めてきた。前代未聞、空前絶後。驚天動地でありえない。

 きっとこれから、矢の雨が降るぞ(・・・・・・・)――――!」


 瞬間、蜥蜴の軍勢に銀の暴雨が降りかかった。


「グゥァアアア!?」

「ギィイイイ!?」


 あちこちからリザードマンの苦鳴が上がる。遥か天空から降り注ぐ鋼の矢。目をすがめて見上げたところで霞や雲霞のようにしか見えない高度にまで上昇した矢弾は、重力に従って加速を得て流星のごとく降り注ぐ。

 ありえない曲射だ。見上げた空を埋め尽くす矢の暴雨、到達する高度は彼女(・・)が身を潜める北の森を跨ぐどころか、下手な山の頂にすら届くだろう。これほど高々と撃ち上げた矢が、風に煽られて軌道を逸らさずに目標に届くだろうか? ――ありえない。

 風を支配下に置くエルフだからこそ可能な芸当。味方に誤射を撃たず敵軍にのみ全矢を射込み続ける精度はいかほどのものか。


 何よりありえないのは、この数百本を超える矢の雨が、たった一人の猟兵が放ったものであるということ。それも、長距離の曲射にまるで向かない愛用の短弓でこの怒涛を生み出したなど誰が想像できようか。

 当人はできると気負いもなく言ってのけたが、まさかこれほどとは。


 ……あぁ、いや。見惚れている場合ではなかったか。


「好機だ! 零れ出た蜥蜴を仕留めろ!」


 氷柵によって蜥蜴と傭兵を隔離することには成功した。しかしそれは完全ではなく、突出してきた蜥蜴の数体は未だこちら側で健在である。残しておくのはいかにもまずい。

 ――というわけでお引き取り願おう。自陣か、あるいは涅槃の向こう側へ。


「ふっ……!」

「ガ、ブ――――!?」


 一閃する。白狼から飛び降りざまに振り下ろした両手斧は、今にも爪を構えて地を蹴ろうとした蜥蜴の鼻づらを輪切りにした。間髪入れずに切っ先を跳ね上げ、怯んだ首を刎ね飛ばす。

 脱力した死体を蹴り飛ばして柵の向こうに放り込み、残る敵を求めて味方を見渡した。――傭兵は健闘している。局地的にはこちらが多勢なのだ。毒爪と蛮刀を巨大な盾で防ぎ、味方が横合いから斬りつけて隙を作っていた。鱗に剣が弾かれても衝撃は通る。散々に殴り続け動きが鈍ったところで斧や鎚で止めを刺せばいい。


 ――と、その時。


「ヒィィィイイイイャッホォオオオオウウっ!」

「なにごと!?」


 突然、夏の海に感極まった馬鹿みたいな喚声が響いたかと思うと、後方から一体のリザードマンが高々と打ち上げられた。姿勢は見事なブリッジを描き、弛緩しきった四肢はその蜥蜴が明らかに気絶していると示している。蜥蜴の身体は放物線を辿って氷柵の向こうに押しやられ、今なお続く矢の豪雨に撃たれてあっという間に見えなくなった。


 ……このノリ。もしかしなくともあいつの仕業か。


「団長!? 後ろに下がって指揮する手はずでしょうが!?」

「るっせーや! こんな祭りに不参加なんてやってられるか! 見物は最前列で眺めるもんだろ!」


 副長が大剣で蜥蜴を袈裟切りにしながら叫び、当の団長はけらけらと笑いながら目の前の蜥蜴にシールドバッシュを叩きこんだ。何気なく振るったようでその勢いはすさまじく、緑の身体が冗談のように吹っ飛ばされる。

 ……この男も三十路を越えてるんだから、もう少し落ち着きを身につけろというに。


「グゥウウ……」

「うん? ――あぁ、そろそろか」


 白狼の唸り声で我に返った。……最初の遠吠えから既に結構な時間が経っている。手筈通りならならそろそろ届いてもおかしくない頃だ。

 ――あぁいや違う。今じかに見て確認した。空に映る黒点。みるみる迫らんとする圧倒的な魔力の気配。ええと、時速500キロの飛行物体が今あの大きさだから、到達時間は……


 やっば。


「着弾、一分後(ワンミニット)――――っ!」

「おいおいおい急げ急げ急げェっ!」


 声の限りに絶叫する。団長が焦った様子で団員を急き立てた。蜥蜴を切り捨てた副長がようやく気付いたのか空を見上げた。

 周辺の状況を確認する。氷柵のこちら側、蜥蜴の掃討はほぼ完了している。残るはあと数体。団員を牽制して周囲を窺い、どうにか抜け出そうとしているようだ。

 ……それはまずい。着弾時に敵を野放しにしていれば下手すれば一方的に暴れ回られてしまう。早いところノシておかないと後が怖い。

 団長と副長、そして俺で目くばせを交わし分担を決める。俺のノルマは最低一体。それをあと……40秒で? 


 ――三十秒。

 白狼から降り、牙刀を手に地を駆けた。最短で目指す蜥蜴兵の懐に潜り込み、突進の勢いを乗せて打突する。象牙色の短刀は白い腹をどうにか貫通し、びくびくと脈打つ心臓に穴を穿った。


 ――二十秒。

 こちらに倒れ込んでくる蜥蜴の絶命を確認し、その死体を放り捨てた。身体に深々と喰い込んだ牙刀を抜き取る暇はない。あとで回収しようと記憶に刻んでおく。

 空を見やれば、エルモによる曲射は止んでいた。矢が尽きたかスタミナが切れたか、他に何かがあったのか確認の術はない。すでにシルフは矢を操るために、事前に空に放っていた。

 氷柵の向こうを埋め尽くす、五百を超える矢羽の薄が原。時折蠢く盛り上がりは仕留めきれなかった蜥蜴の気配か。鱗によって威力を減じた矢の豪雨は、歴戦のリザードマンを殺すには足りなかった。山嵐のような有様の背中を揺らしながらも、蜥蜴兵はなお立ち上がる。

 さらに――


 ――十秒。

 後続が迫ってきている。敵討ちに燃えるリザードマンの大軍。防ぐ手はない。手にした斧や棍棒で、用意した氷柵など瞬く間に砕かれるだろう。

 先鋒を挫き、霧で弱らせ分断し、傭兵が先頭から切り刻んでエルフが掃射にて薙ぎ払おうとも、それはあくまで敵左翼の一部に過ぎない。蜥蜴を百殺したとしても、打ちかかってくる左翼だけでも残り百、敵総数でいうならその五倍の数が残っている。

 どれだけ小細工を弄そうと、精々その程度が限界だ。むしろ戦力劣勢の状況下でよくここまで削れたものだと感心するほど。

 迫りくる百の蜥蜴、これをどうにかする方策は、今のこの手にはない。

 

 ――――ああ、いけない。考えにふける暇などなかったな。


 ――九秒。

 自軍を振り返る。味方は大半が目下後退のさなかにあった。いつの間にか俺が殿を務める形になっている。誰も彼もが必死の形相で後方に向けて足を急がせていた。傍から見れば壊走しているのかと見間違うに違いない。

 ……逃走していることに違いはないのだが。


 ――八秒。

 下がっていく味方に追い縋ろうとする蜥蜴がいた。あのまま行けば追いつかれる。算を乱して逃げる人間など蜥蜴の餌だ。背中を向けてはろくな抵抗も叶うまい。


 ――七秒。


「お……らぁっ!」


 手に持つ大斧を投擲した。渾身の勢いのまま手を離れた大斧は重々しい風切り音とともに回転し、緑の背中に向けてすっ飛んで行く。


 ――六秒。

 擲った斧の行き先、その結末など気にしていられない。俺も早く逃げないと手遅れになる。……いや、ひょっとするともう手遅れかもしれないと嫌な予感に急かされながら地を蹴った。

 目標は味方のいる後方。何が起きたのか理解できずに狼狽する要塞兵、その目前まで。

 距離はかなり離れている。走り抜けなければならない距離はざっとみて200mはあると見た。……待て待て待て。秒速50メートルで走れと? それを二百メートル減速なしで? さすがにそれは無理があるのでは……!?


 ――五秒。


「各員、防御態勢!」

「ちょっ……もうかよ!?」


 ウェンターが吼えた。号令に従い傭兵たちが盾を掲げてしゃがみこむ。ドワーフの円盾はその広大な面積で持ち主の身体をすっぽりと隠し、正面からくる何事からも耐えてみせると威容を誇った。

 それに引きかえ俺はなんだろう。未だに逃げ場を求めて二本の足に鞭を入れている。肝心かなめの盾は出せない。出したら重さで足が鈍って間違いなく間に合わなくなる。


 ――四秒。

 間に合わないかもしれない。みるみる押し寄せる死の予感にそう思った。

 あと少し、あと少しで逃げ切れる。しかしそこから盾を用意する暇がない。タイムリミットはあと少し。いや計算が違ってたら今すぐにでも――ひべらっ!?


「――――オン!」



   ●



 それは、紛れもない蹂躙だった。

 空の黒点は見る間に形を露わにし、翠のドラゴンの姿をとった。跨る竜騎士は歳若い少女の姿をしている。

 目指すは湿地帯との境界を守護する大要塞。その東でリザードマンを迎え撃つ広い平原。

 西の空より飛来した翠のスヴァーク、そしてそれに騎乗する竜騎士は、戦場を目にした途端迷いなく自らの暴威を解き放った。

 ドラゴンと竜騎士、二つの存在は互いに同調し、感覚はおろか魔力まで混ざり合い循環していく。人は竜へ、竜へ人へ。――この瞬間、人と竜は一体となって空を翔けた。


 ――研ぎ澄まされていく。

 それまで無意味に垂れ流されていたドラゴンの有り余る魔力が、一滴の無駄も許さぬというように収束し翠の巨体に収まっていく。

 押し込められ暴発せんとする魔力の膨張。常人なら扱いきれぬそれを、少女は当然のように自らの制御下に置いた。荒れ狂いのたうつような奔流を、時にいなし時に捻じ曲げ、自らと騎竜の体内でさらに加速させる。


 転換する。変換する。置換する。

 込み上げる魔力はそのままなら灼熱の息として顕現するだろう。しかしそれでは最大の効果は望めない。彼女が求めるものは別の方向にあった。

 ゆえに、彼女の身体自身を変換器となした。循環の末押し寄せる魔力の波動、その属性を変容させ、望むものに切り替えて流れに戻す。

 たったそれだけの作業だというのに、一時とはいえ堰き止められた魔力は小柄な身体をぎしぎしと軋ませた。


 ――それでも。身が破裂しようかという痛みを受けてなお、それでも少女は微かな笑みを浮かべて、


「――スヴァーク、吼えて……ッ!」


 ――――――ゴォオオオオオオオオオオ……ッ!



   ●



 ――――ディール暦711年四月七日。

 大要塞東の平原に、広大な氷原が誕生した。

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