ニザーン防衛戦②
加速して流れていく景色。当初は人形ほどだった人影がぐんぐんと大きさを増していく。あちらも敵目がけて猛然と走り込んできている。速度はそれこそ馬と大差ない。ただの徒歩、素足の脚力でリザードマンは疾走し、みるみるうちにその輪郭が露わになっていった。
巨大なリザードマンだ。はじめ見たときから印象は変わらない。恐らく敵軍の中でも群を抜いて大きな個体なのだろう。その体躯に反して不釣り合いなほどに小さな胸当てが肉に食い込んでいた。
よく見れば首から何かを提げている。じゃらじゃらと何かが連なった首飾りだ。――――数歩駆けて鮮明に見えたそれは、あの蜥蜴が身に着けず単体で目撃すれば何を意味するのか理解できなかっただろう。
――――牙、爪、鱗、そして誰かの頭蓋骨。人間の鍛えたものと思しきナイフまで。じゃらじゃらと紐につなげて誇らしげに。
実用性皆無なそんなものを、この巨漢が、この勇士が身に帯びる理由はそれこそひとつ。
「戦利品か……」
その装飾の意味するを一瞬で察し、ウェンターは小さく零した。
倒した敵の一部、あるいは武器を剥ぎ取って身に帯びる。殺した敵の武勇をたたえる意味で、そしてそれを打倒した己を誇示する意味で。
無数の勲章をぶら下げた首飾りは、この大蜥蜴が歴戦の戦士であることを示していた。特に勲章の一つはウェンター自身つい最近やり合ったばかり。――ヒュドラを倒しうる戦力であるなら、なるほどそれなら、
「出し惜しみは、なしだ――――ッ!」
全力にて斬り捨てる。
大剣を掲げる。馬上での変則的な担ぎ八相。身を低く屈めて空気抵抗を弱め、更なる加速を乗騎に要求する。乗り手の意気にあてられたのか、栗毛は興奮した嘶きをあげて蹄鉄を地面に叩きつけた。
「ゲェエエエエァアアアアア!」
対する蜥蜴は仁王立ち。猛進する騎兵を一撃で粉砕せんと、片手の大鉈を振りかぶった。びきびきと倍ほどに膨れ上がった腕の筋肉は、直後に放たれる横薙ぎに掠っただけで死体を製造してみせると語っている。
「オオオオオオォ――――」
手綱を手放した。両手をともに大剣の柄に添える。みるみる迫る緑の巨躯。急に軽くなった轡に首を振りながら、それでも栗毛は速度も落とさず突進し、
「オオオオオオオオオオッ!」
「ガァアアアアアアアアアッ!」
雄叫びが戦場を揺るがせる。歯を剥き出し、目を怒らせ、怒号だけで相手を気圧さんとする双方の咆哮。敵は目前。決着は一撃。大剣と大鉈、腕の長さを含めて間合いは互角。今にも敵の胴体を両断するために、二人の得物がピクリと動き――
――――――青い閃光。右手を大剣から放す。
虚空から浮かび上がった何かを副長は躊躇いもなく掴み上げ、敵に向けて渾身を籠めて擲った。
――それは、握り拳ほどの球体だった。
注視すれば外装が焼き物でできていると見て取れる。お椀を二つ貼り合わせたような歪な形状。球体は騎馬の加速を投擲に上乗せして滑翔し、大声で吼えたてていた蜥蜴の大口に狙い違わず入り込んだ。
球速およそ時速110㎞超の速球。喉奥を強打された蜥蜴がたまらずばくんと口を閉じて――
――――バン、と。
異様な轟音とともに、リザードマンの顔面が爆発した。
●
「ァァアアアアアアアアア!? アアアァァアアアア!?」
みっともない絶叫を声の限りに迸らせ、勇士は何が起こったのかもわからず喚きたてた。
痛い、痛い、痛い! 口が、舌が、喉が焼けるように痛い!
なんだこれは、なんだこれは、なんだ、これは……!?
痛みを堪えたいのに、我慢したいのに、歯を食いしばって耐えてこそ戦士だというのに!
その歯が半分吹き飛んだ! 俺の下顎はどこにあるというのだ!?
原始的な爆弾はその炸裂によって焼き物の欠片を周囲に撒き散らし、勇士の口から首までを半分にまで削いでいた。
ひゅうひゅうと喉が鳴る。喉笛は爆発でずたずたに裂けて半分しか残っていない。気管に直に受ける風に、ありえない喪失感に呆然とする。
爆風に撥ね飛ばされた頸は真上を向いている。視界には逆さになったリザードマンの軍勢が映っていた。脳を揺さぶられて意識も朦朧。恐らくは首の神経がいくつか損傷しているだろう。指先すら満足に動かない。
常人なら即死の損壊。それでもなお痛みを認識し――生きていられるのは、生命力に長けたリザードマンゆえか。
痛い、痛い、痛い!
――――――畜生……ッ!
「アアアアアアアアアアア!」
殺す。
殺してやるぞ、姑息な虫けらが……!
勇士の瞳に焦点が戻った。激甚な憎悪の光が灯った。
必ず殺すと。あの人間の男を、己と引き換えにしてでも必ず殺すと、リザードマンの勇士は決意した。
仰け反り、仰向けに倒れようとした身体がぴたりと止まる。尻尾をつっかえにし、勇士は倒れるところを防いでいた。
「アアァァァァアァアアアア――――!」
喉の傷口から血が溢れる。血液が気道に入り込むのを防ぐことなど叶わない。自らの血で溺れないようにするには、絶えず息を吐き続けるしかないと直感した。
逆転した視界、逆さの自軍が上に向けてずれていく。尻尾に力を籠め、態勢をじりじりと戻していく。
青い空が見える。いつも見慣れた空よりも透き通っているように感じた。……故郷と違う、この乾いた空気のせいだろうか。
太陽が見えた。いつも見るものより小さく見える。きっと、だからこの地は寒いのだ。動きにくいったらありゃしない。だからこんな、ちょっとした影に遮られただけでこんなに寒気が――
――――――影?
「ォオオオオオオオオオオオ――――ッ!」
雄叫びが聞こえる。天空から落ちてくる影から、鬼気のような咆哮が。
視界の横で、栗毛の馬が駆け去っていくところが見える。乗り手がいない。勇士が仰け反った隙に乗り捨てたのか。……どうして?
混濁しかけた意識の中、勇士は幼子のように空を見上げて――
●
――否、乗り捨てたのではなく、跳び下りたのだ。鐙から爪先を抜き鞍を足場にして大跳躍。大剣を大上段に振りかぶり、目指す場所に向けて重力に背中を押されながら。
リザードマンの鱗は強靭と聞く。事実あの勇士の鱗は彼自身の鉈で引っ掻いてもびくともしなかった。歴戦のリザードマンが有するという竜鱗。他の蜥蜴ならそうでもないだろうが、あの装甲を手持ちの刃物で突破するのは不可能だと判断した。
よって、内側から破壊したのだ。
虎の子の焙烙玉。点火した状態でインベントリに控えさせておいた小型の爆弾は、起爆まで数秒もなかったと推測できる。
案の定、口の中は無防備だったのか、蜥蜴の頬は裂け顎は吹き飛び、ヘッドショットでも受けたような所作で頭部が跳ね上がる。
露出した傷口が、鱗の無い部分が、都合よく真上を向いた。
これなら、斬り落とせる――――!
落下する。大剣を構えて敵に向けて真っ直ぐに。
青い光がウェンターの身体を包んだ。瞬時に身を包んだのは重々しい板金鎧。――整備が面倒でインベントリの肥やしになっていた鋼鉄の重装は、剣の威力を増す重石としてようやく日の目を浴びることになった。
迷いはない。恐れもない。無防備に首を差し出す蜥蜴への憐憫すら、今は無用と切り捨てた。
迫る緑の身体。言葉にならない叫びをあげる蜥蜴の勇士。片手に握った大鉈を弱々しく持ち上げようとしても、この一撃には間に合わない。
「ォオオオオオオオオオオオ――――ッ!」
凄惨な傷跡に打ち込まれる断頭の一閃。
生死など、宙を飛ぶ物を見てなお問う者がどこにいるというのか。




