壮年の傭兵団長
「手早く話を進めましょうや。援軍の当てはあるんでしょう?」
司令部の扉を開け放ち、男は開口一番あっけからんと言い放った。
傭兵団『鋼角の鹿』団長、『鉄壁』のイアン。
身に纏う鱗鎧は手入れが行き届き、一目見て上質なものだと判別できる。材質は察するにワイバーンの鱗だろうか。反面、腰に提げた剣は上質とはいえど簡素な鉄製で名剣とは言い難い。背負った円盾は男の背中を丸ごと覆い隠すほどの大きさで、ルグナンは彼らの異名の所以がどこから来るのか、否が応でも察せられた。
――曰く、彼らは鹿にあらず。真鍮色のドワーフの甲羅を纏った、最硬の亀鹿である、と。
半島では知らぬもののいない傭兵団。その首魁は意外なほどに若々しかった。
三十は超えているという。一般ならそろそろ落ち着きを身に着けてもおかしくない年齢。しかし当のイアンは、その目つきはまるで少年のように野望に輝き、自信に満ちた笑みを満面に浮かべている。
「……さて、援軍とは?」
内心の動揺を押し隠してルグナンが言った。彼が王都に向けて走らせた伝令について知る者は、ニザーン大要塞でも数えるほどしかいないはずである。
「そりゃ当然でしょう。このままじゃ守れはしても敵に勝てない」
なにを当たり前なことをと言いたげな表情。面白い冗談を聞いたと言わんばかりに男がけらけらと笑った。
「この要塞は兵が少ない。働ける男どもを引っ張り出して石を持たせても、外に出させるわけにはいかない。そんな事をしちゃ腰抜けは恥も外聞もなく後ろの城門に縋り着くでしょうよ。何しろ背中にゃ頼もしい要塞が控えてるんだ、籠って戦うのが当たり前ってもんです。
言ってしまえばこの要塞はデカい亀みたいなものです。首をひっこめちまえば誰にも手出しができない。だが縮こまってるだけじゃ囲まれるだけだ」
そこで、傭兵団長は大要塞の司令官にはたと目を合わせた。
「――将軍は、負け戦を覚悟する目をしてなかった。時間さえ稼げば逆転できる、その確信がある。……あんたが悩んでるのは勝敗でなく、もっと直近な話でしょう?」
その通り、勝ち筋はある。弱兵多しといえども大要塞、容易く陥落を許すほど脆くはない。
ただその筋を辿った場合、少なからず民間人に被害が予想されるという、ただそれだけの話だった。それを司令官であるルグナンが許容できるかという話だった。
「援軍の予定はある。四日前、奴らの動きが見えてすぐに急ぎで王都に早馬を走らせた。この日のために掛け合わせた駿馬を乗り潰すのだ、恐らく既に王都についているだろう」
「王都に? お言葉ですが、辺境伯に遣いを走らせなかったのですか? 領都と王都、距離はどっちも大体同じだ。だったら竜騎士の方が脚が速いはず」
「式典だ。第一王子エイリーク様の成人式。それに辺境伯は参加しておられる」
「うへえ……」
心底気の毒そうな顔でうめく男に、ルグナンも思わずうなずきそうになる。
痛恨だった。半島に辺境伯が不在、そんな時にこのような危機に陥るとは。
あの半島の竜騎士、その強力さと扱いづらさはよく耳にしている。誇り高く利己的。命令違反や独断専行も多いと聞く。そんななか、主君不在の状況で援軍要請など出せばどうなるか。
竜騎士たちは援軍には躊躇うまい。しかしそのあとが問題だ。ルフト王国から直々に要請を受けたことを盾にして、国王直属のように、辺境伯と自らが同等であるかのように振舞うだろう。
侵攻を防ぐために反乱を煽る真似は出来ない。そう考えて王都にのみ早馬を送ったのは間違いではないと今もなお確信している。
伝令が王都につけば辺境伯も事態を知るだろう。あるいは供のものを援軍として寄越すかもしれない。
ひと月前、新たな竜騎士が辺境伯直属として叙勲されたと聞くが……
「よしわかった。援軍は来るんでしょう? だったら俺たちの仕事は、それまで敵を引き付けておくことだけだ。城門は閉じないで下さいよ、まだ避難民は残ってるんだ。
ただし――」
気を取り直した風に傭兵団長が言った。そして茶目っ気まじりに片目を瞑る。
「ただし、報酬はそれなりのもんを貰いますよ。こちとら遠征帰りで怪我人や疲れてる奴もいるもんでね」
リザードマン襲来に際し参戦に手をあげた彼らは、元は遠征を終え半島へ帰還の途にあり、要塞都市の酒場で宴に興じていたという。
大要塞の南、リザードマンの棲み処近くの湿地帯で、ヒュドラを狩ったのだとか。戦果は大勝利。怪我人やヒュドラの毒息にあてられる者はいても、死亡者はなし。
正規軍でも討伐に犠牲を伴うヒュドラを相手にそれとは、彼ら傭兵団の精強さが知れるというものだった。
「それは悪いことをしてしまった。報酬については陛下にも奏上しよう。
……その、せっかく狩ったヒュドラについては済まないと思っている。死骸を腐らせてしまうな」
「ああいえ、そのあたりは心配なく。うちの副長が万全の管理をしてますんで、三体とも無事に持ち帰りますよ」
司令官の謝罪を気にした風もなく傭兵団長が言い、思案に暮れるように顎に手を当ててぶつぶつと呟く。
「――こっちが動かせるのは百人、要塞の兵隊は四五〇人、民兵は使えても要塞からは出せない。
敵は精強だが獣じゃない。幻惑も受けていない。全員が死兵ってわけじゃない。
弱い村を選んで襲うくらいの知性はある。だがエルモが言う分には戦闘中は興奮して目の前しか見えなくなるんだとか。
――――よし、スタンピードよりは楽勝だ」
そう言って、傭兵団長は納得したように手を打った。
――スタンピード。十年前に半島で起きた騒動のことを、ルグナン司令官は耳にしている。目の前の男は、辺境伯軍が見放した村を守りきり、その名声を得たのだと。
『鉄壁』――傭兵が呼ばれるには不釣り合いな二つ名だった。
「――ちょっとした提案があるんですがね」
男が言った。その目は悪戯を仕掛ける小僧のようにふてぶてしい光を放っている。
「将軍にも手伝ってもらいたいことがあるんですよ。――いや、誓います。要塞の兵には一人たりとも傷つけません。ただ、張りぼてだけでも外に出してもらいたくてですね」
「いいだろう」
将軍は迷いなく頷いた。どんな手を思いついたか知らないが、降って湧いた好機だ、逃す手はない。援護でも囮でも引き受けてやろうという気になっていた。
そんなルグナンを面白いものを見る目で眺めて、傭兵団長はますます笑みを深くした。
「うっし、これで大勝利間違いなし、このまま報酬の相談といきたいもんですな。
――――蜥蜴の首にいくら出します?」




