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PHOENIX SAGA  作者: 鷹野霞
飛びあがる魔物狩り
152/494

駆けつける亀

 夜襲部隊、壊滅。


「ええい、この……!」


 早朝に司令部に駆けつけた伝令からその知らせを聞くと、ニザーン大要塞司令官ルグナンは堪え切れずに罵声を漏らし、机を拳で殴りつけたという。

 ただでさえ劣勢の中、起死回生の意を込めて送り込んだ五十人は、全員が帰らぬ人となった。


 リザードマンは冷気に弱い。それは大陸にすむ人間なら誰もが知る常識であり、その弱点を突こうとするのは誰もが考えることだった。

 この四月、夜間から明け方にかけて大要塞周辺の気温は摂氏十度以下にまで落ち込む。人間ならば厚着をすれば十分戦闘に耐えられる程度だったが、リザードマンにとってこの寒気は、その極めて優れた身体能力が人間以下に落ち込むほど過酷な環境だったはずだ。

 相手が弱体化している状況を見逃す手はない。夜闇に紛れて襲撃すれば、一方的な損害を与えられるはず。……そう考えて部隊を選抜し、最も気温が下がる明け方の直前に襲撃を仕掛けたというのに、部隊は呆気なく返り討ちにあったという


 辛うじて生き残った兵の証言によると、リザードマンたちは寒冷な平原の夜を、まるでものともしない様子で動き回っていたという。

 轟々と贅沢に薪が継ぎ足される篝火に、野営地の中心には調理用の竈が立てられ、その周辺で兵と思しき蜥蜴どもがたむろしていた。

 それだけならばいい。充分に暖をとって急な戦いに備えていたのだろう。夜襲部隊が野営地の周辺部を叩いている途中で、事前に身体を温めていたリザードマンが急行してきて蹴散らされたというならまだ納得がいくというもの。


 だが現実はまったく異なるものだった。

 リザードマンたちは肌寒い夜明け前の闇の中、精鋭から末端(・・・・・・)にいたるまで(・・・・・・)、まるで行動に支障をきたしている様子を見せなかったという。

 生き残りは語った。蜥蜴たちは誰もが夏の炎天下を駆け回るように速く動き、嬲るように仲間を殺していったと。

 刃毀れのした粗悪な剣で人体を真っ二つにし、鋭い爪で引っかかれた者は傷口から毒に蝕まれ、逃げようにもその健脚で容易く追いつかれ背中から両断されたと。

 生き残った一般兵は自部隊が蹂躙された様子を震える声で伝え、恐怖に青ざめた表情で絶命した。背中には毒爪を受けたあとがあり、毒耐性が無ければ要塞に辿り着くことも叶わなかっただろうと軍医は語った。


 この時点でもはや目論見は崩れていた。敵はその弱点を克服する手段を手に入れ、半日もすれば要塞を視界に収める距離に布陣している。

 自軍はただでさえ人員不足の中、思いもよらぬ敵の対策によってさらに数を減らした。残る470人の兵のうち魔法戦力が10人だ。それもリザードマン対策に水魔法ばかりを習得した低位の魔法使い。水魔法に対策を打たれた現状、彼らは非力な市民程度の戦力にしかならない。


 つまり、現状460人の兵数で600人以上のリザードマンを相手取らなければならない。通常、リザードマンを相手にするには人間の兵士二人分が必要とされる。それを踏まえるなら戦力比はおよそ一対三。

 リザードマンたちは、城攻めに必要な三倍以上の戦力を有しかけているといってもいいだろう。


 自らの劣勢を改めて突き付けられ、司令官は苛立たしげに臍を噛んだ。


「時機が悪い、悪すぎる……」


 市民を動員するのはほぼ決定事項である。

 ニザーンは元は都市国家であり、当然それに見合うだけの市民が生活を営んでいる。人口はおよそ一万二千人。民兵として千人程度は動員可能だろう。槍や剣を持たせるわけではない。矢や石を運ばせたり、バリスタや投石器の装填を手伝わせるだけでも役に立つ。

 数合わせは出来る。不慣れな市民を用いて、見せかけだけは数的優勢に持って行ける。防衛兵器が機能不全を起こさない程度に定員まで数を増やす算段はついている。


 しかし、問題はそれだけではないのだ。

 ――周辺の村落に対し、未だ要塞への避難が徹底できていない。


 今回の襲撃が想定外だったのは軍部だけの話ではない。一般民にしてもこの事態は寝耳に水だった。

 いつもであれば夏場の話であったリザードマンの襲撃、梅雨や台風のように時期が決まりきっていたはずのそれが、いきなり二か月以上繰り上がれば混乱は必至だった。

 通常は荷物をまとめ、非常食を手に集落をあとにし、要塞に避難してくるはずの村民たち。夏季の避難に慣れきっていた彼らは、防寒具の用意が不十分だった。


 農民たちの暮らしは豊かとは言い難い。リザードマンの襲撃を一年のサイクルに織り込んでいる要塞周辺の農村となればなおさらである。

 自然切り詰められた彼らの生活に、防寒具を購入する余裕はなかった。――否、保有する(・・・・)余裕がなかったのだ。


 冬の一時期にしか使い道のない防寒具など、一年を通して持ち続ける意味がない。管理の手間や保管するスペースが邪魔になる。

 そのため、農民たちは習慣的に、冬の間だけ防寒具を購入し、寒さの落ち着いた春に再び売り払うという生活をしていた。

 夏に近づくほどに防寒具の売値は下がっていく。中には雪解けとともに行商人に寝具一式を押し付ける農民もいるほどで、つまり四月ともなれば農村の誰もが夜の防寒を自宅の暖炉に頼っていた。


 そんな中で発令された避難勧告。近隣の村なら日のあるうちに避難も済むが、問題は行き来に丸一日かかるような集落の住民である。

 春とはいえまだ四月の夜は冷え込み、身体の弱い老人や病人なら容易く衰弱する気温。

 農民の足が鈍り、未だ避難が完了していないのも無理のない話であった。


 状況を打開するにはどうすればいいのか。そう問われるならルグナンは即答できる。曰く、


「ひと当てが必要だ。一部分だけでいい、敵を警戒させるだけの一撃を与えなければならない」


 このままではリザードマンは個々人の性能に任せて散開し、思い思いに集落の略奪に向かうだろう。無人ならまだしも、避難の済んでいない村落が襲われることになる。

 それだけは避けなければならない。国王より要塞都市を預かる以上、民間人の被害はルグナンの意地にかけて避けたい事態だった。


 そのために決断したのが先の夜襲である。

 こちら側に小規模な敵を打ち破るだけの戦力があると、敵に知らしめる。無防備に散開して悠長に村を襲うことが危険であると判断させ、敵を集めて警戒させる。

 侵攻速度が鈍り、集落への被害を抑えられる、そう考えての夜襲だった。


 しかし夜襲部隊は敵の気温対策によって粉砕された。もはやこの要塞に、外に打って出るために割ける余分な戦力(・・・・・)はない。

 これ以上正規兵を損ねれば、防衛戦にすら支障が生じる。民兵を外に出すなど無駄死にさせるだけだ。


「切り捨てるしか、ないのか……」


 有用な手段はある。ルグナン自身唾棄すべきと考える手段が。

 避難民の収容を諦めて城門を閉ざす。締め出された者はむしろ囮として用い、人肉(・・)を食らいに群がるリザードマンたちを投石器で一網打尽にする。

 人間は目の前の希望に捕らわれるものだ。逃げ遅れた住民は、ひょっとしたら自分のために城門を開けてもらえるかも知れないと、一縷の希望を捨てきれない。城門の前に張り付いて離れないだろう。そこにリザードマンたちが群がる。そこにありったけの矢玉を撃ちこむ。

 派手な緑の体色だ、照準を合わせるにはあまりに容易いだろう。


 要塞から戦力を抽出する必要はない。そもそも村を守らないのだから、敵の散開を防ぐ理由もない。

 この要塞で穴熊を決め込めば、恐らくは勝てるだろう。


 虫唾の走る手口だった。それを思いつく自分自身を殺したくなった。

 無論、この手段は初出ではない。過去の要塞司令官にも市民を囮に用いて敵を撃破した人間がいる。

 ただ、現司令官ルグナンにとって、齢五十を目前にして清廉潔白を信条とする将軍にとって、この戦術はとても受け入れられるものではなかった。


「――――――」


 逡巡する。司令部にひとり立て籠もり、ルグナンは部下に懊悩する姿を隠していた。

 見捨てるか、見捨てまいか。見捨てないとすればどうやって救うというのか。

 原則として要塞を落とさせるわけにはいかない。正規兵も民兵も、これ以上外に出せば防衛に支障をきたす。

 ならばどこから兵を持ってくる。兵が畑から採れるなら、司令官自ら鍬を手に要塞周辺を大農場にしてみせるというのに。


「誰か――――」


 詰んでいた。要塞外の民間人を救う手立てはない。

 断腸の思いでそう判断した司令官が、部下を呼び出そうと声を上げた、その時、


「将軍閣下! 朗報です!」


 慌ただしい足音。けたたましく扉を叩く拳の音。


「援軍が、『鋼角の鹿』が到着しました……ッ!」

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