あかるい都市計画:ここに城を築こう
「コーラル。あなたは何を隠しているのですか?」
「んー?」
療養中の病人宅に押し掛けての開口一番がそれとはいかがなものか。こちらに向けられる不審の目つきがとても悲しい今日この頃。
傍らの椅子に腰かけ睨みつけてくるアーデルハイトから、俺はそっと目を逸らした。
ガラスも嵌っていない窓から見える景色は曇りなく緑色。きっと散歩にはちょうどいいくらいだろう。そのうちウォーセも連れて山を駆けるのも面白い。
……まあ、まずは普通に歩けるようにならないと話にならないわけですが。
「コーラル。聞いているのですか?」
「おう、鼓膜の調子は悪くない。領都で小火騒ぎがあったんだって? まったくもって物騒な話だ。半島はいくら経っても所詮世紀末だな」
「…………」
ううむ、怒ってる怒ってる。俺が横になっているベッドのシーツを握りしめているのがその証拠だ。これ以上しらばっくれると本気でこじれるかもしれません。
「――強盗事件が起きて、叔父殿の家族が殺されたんだろう? どの道連座で辺境伯に処刑されていた命だ、手間が省けたとは思えないか?」
「それこそあなたの台詞とは思えない。……それに、あんな原形も留めていない焼死体をどうやって本人だと特定するのです」
「やっぱりこの世界に歯型の記録は残ってないか。というか歯科医すらあるか怪しいな。そこら辺どうなんだ?」
「話を逸らさないでください!」
「オン!」
目を吊り上げた少女が声を荒げた。合の手を入れるように隣のウォーセが吼える。……この小僧、人のベッドに顎を乗っけて時たま甘噛みしてくる。正直痛いので勘弁して頂きたい。
……両足が潰れて身動き取れない身としては、この口うるさい娘は手に余る。村の連中もどうしてこの場所をこの娘に教えたのだろう、余計なことをしやがって。
やれやれどう説明したものかねぇ、と密かに思案に暮れた。
――ここはハスカールの外れの山奥、先代の残した猟師小屋。
今では俺の自宅となっている慎ましやかな山小屋で、俺は先の戦いで受けた傷を癒していた。
なにしろ左肩が折れているし、両腿に大穴が空いた。出血も多いし服の下は火傷で凄いことになっている。
皮膚がケロイド状にならないか少々心配になったが、薬師の婆様が良い軟膏を処方してくれた。回復魔法と併用すれば数週間ほどで元通りになるだろうとも。
……逆を言えば、二週間以上は安静にしろとのお達しがあったわけだが。
団長たちには村の中の適当な宿で療養しろと勧められたが、俺はその提案を断って猟師小屋にいる。
理由は単純だ。人混みが鬱陶しい。
村は今やはち切れそうなほど人の出入りが激しい。当然宿の需要は増す一方で、そんななか辛気臭い怪我人が部屋一つを貸しきるというのも気が引ける。おまけに来客の中には俺の命を狙うものもいるかもしれない。恨みを買っている自覚がある以上、無防備な姿をさらすのに抵抗があったのだ。
その点猟師小屋なら警備は万全だ。
山道は起伏が激しく人気が少ない。村人以外が入り込んでもすぐに気付けるだろう。灰色の縄張りも近いから、何かあったら遠慮なく頼るつもりでいる。
――そう、灰色だ。
あの狼、最近はどうしてかこの小屋近くによく顔を見せるようになっていた。特に何をするでもなく、小屋の前でじっと伏せてしばらくうとうと微睡み、気が済んだら去っていく。去るときはいつも窓越しに、その隻眼で俺と目を合わせ、何か言いたげに鼻を鳴らして踵を返すのだ。
……まあ、その、なんだ。動けるようになったら肉の土産でも持って行こう。
「なあハイジ」
「…………」
語り掛けると、少女は不満げな顔で黙り込んでいた。無言の非難を無視して続ける。
「あの親子は死んだ。少なくとも公式には。……よく似た顔の誰かが村の近くを通りかかるかもしれないが、所詮似てるだけで無関係な他人だ。気にかけることもあるまい?」
「あなたは……」
「ん?」
「あなたは、それでいいのですか?」
それは意外な一言だった。見ればアーデルハイトは気遣わしげな表情でこちらを見ていた。
「あなたはまた、敵を増やしたかもしれない」
「だろうな」
今はたった五つの少年。あれも長ずれば、父を殺された憎悪に狂う日が来るかもしれない。
「これでは私がやらなくても、あなたを狙う人間が減らないではないですか。そんなの――」
「そういうものだろう、戦いなんて」
微かに見開いた目を覗きこむ。……今気付いた。この娘の瞳は、髪と同じ翠色なのか。
「――恨みを買うなんて慣れたものだ。実際、包丁持った人妻に襲われたこともある。この身体に傷がないからわからないだろうが、狙撃屋に狙われて鉛玉が貫通したことも一度や二度じゃない」
確かに、後顧の憂いを断つならあの親子を殺すべきだ。きっと何もかもすっきり片付くことだろう。
――それでも、
「それでも、破ってはならないものはある。犯してはならないものはある。女子供を殺して得られるものが一時の安寧だなんて、それこそ糞くらえだ」
「あなたは――」
彼女は何事かを呟いた。よく聞き取れなかった言葉をもう一度聞き返そうと身を乗り出すと、
「――よう猟師! 見舞いに来てやったぜ!」
ばしーんと扉を吹っ飛ばし、我らが団長が登場しやがったのであった。
●
団長の姿も見えたことだし、せっかくだから外に出ようということになった。ちょうど二人を連れて行きたいところもある。初対面な二人の顔合わせも適当に切り上げ、さっさと追い出しにかかる。
杖に縋りながらえっちらおっちら寝床から起き上がり、足をもつれさせながら外に出ようとしたのだが、醜態に見かねたアーデルハイトに無理矢理肩を支えられた。あれだけ啖呵を切った手前、何というか非常に気まずい。
小屋を出たら出たで灰色に出くわした。大狼は待ちかねていたらしく、俺を見るや否や問答無用で襲い掛かり、胴体を咥えてぽーんと真上に放り投げ、なす術もなく背中に収まった俺を振り返って催促するように鼻を鳴らした。
……どうやら、どこに行きたいのか指示を寄越せと言いたいらしい。
「――ああ、着いたぞ。この辺りだ」
灰色の背中で揺すられること小一時間。目的の場所はこの辺りでもっとも標高のある山の頂上だった。
ここからなら北東の領都も、さらに北の火山も、逆に南に目を向ければリザードマンの生息地である湿地帯もおぼろげながら望むことができる。
「ここは、確か――」
息も切らさず登りきった山頂で周囲を見渡し、何か思い当った様子で団長が呟いた。……心当たりがあるのは勉強熱心な証拠なので結構なんだが、それをこの娘の前で口にするのは控えて貰おう。下手すれば怪しまれかねない。
「候補地の一つだったんだがね、南北を見渡せるここがいいんじゃないかって、爺さんと話してたんだ」
「候補地……?」
灰色の背から降りた俺を支えつつ、アーデルハイトが訝しげに繰り返した。理解が追いつかないのも当然だろう。それをこれから説明するのだから。
寄り添おうとする少女を手で制し、杖を突きながら前に出る。北の領城と噴煙を上げる火山を背に、彼らに振り返り、
「二人とも、よく聞けよ。
――――ここに、城を築く」
風が吹いた。
ざわざわと木々が唸り、鳥のさえずりが一瞬収まったようにすら思えた。
「俺たちの城だ。貴族や王様の手によらない、傭兵の築く城だ。
交易の一大拠点になるだろう。堅牢な城塞になるだろう。そして何より――――俺たちの心の拠り所になるだろう」
見るがいい。そして刻み込め。これがお前たちの見る、人の手のつかない自然の最後の姿だ。
この山は変わる。変わり果てる。人が増え木々が減り、きっと騒乱の中心にもなるだろう。
その変化が良きものなのか悪しきものなのかなど、当事者たる俺たちには判断のつかないことだ。
ただ、言えることがあるとするなら、彼らが腐らぬよう発破をかけてやる程度だ。
「始まりはとうに済ませた。だが終わりには程遠い。これは俺たちの数ある飛躍の一つに過ぎない。
だから若造――――『鉄壁』のイアン。この程度で満足してくれるなよ?」
「――――――ハ」
対して、傭兵団長は口元に不敵な笑みを浮かべてみせた。
「上等だよ、猟師。……俺はまだ、俺が望む俺にもなっていねえ。まだまだ先は長いのさ」
それでいい。野心を滾らせる限り、理想を追い求める限り、お前の持つ輝きが失せることはあるまい。
そして、
「よく見ておけ、アーデルハイト。この男はお前たち竜騎士のすぐ後ろにまで迫っている。ここに立つ城がその証拠だ。
進み続けろ。悩む暇があるなら前に足をのばせ。うかうかしていると、あっという間に飲み込まれるぞ」
「コーラル……」
何かを言いかけた少女は、ついに言葉を飲み込んで頷いた。……らしい目つきだ。やはり彼女には決意を秘めた瞳がよく似合う。
出来れば笑顔も見てみたいところだが、それは高望みというやつだろうか。
時期が早まったとバアルは言った。それだけ準備期間は足りなくなるのだろう。
より速く、より大きく、俺たちは踏み出していかなければならない。
そしていずれは――――




