死者の踏み出す一歩
押し込み強盗の正体はウェンターたち傭兵団の人間だった。副団長自身が口の堅い団員を直々に選び、襲撃要員として領都に潜入させたのである。
エルラム氏は屋敷に火を放つために同道を願った。貴族街での犯行で、放火の延焼を防ぐために火魔法に長けた人材が必要だったのだ。
褐色のエルフは傭兵団からの依頼を愉快げに引き受けてみせた。この冬に船便に乗ってパルス大森林に帰還する彼なら身バレしても支障はない。魔法の制御も一流で、隣家へ火の粉ひとつ振りかけることなく屋敷を焼き尽くしたのだからその実力が窺える。
狙いはロイター家の後見人一家。後見人本人は既に死亡しているため、その妻子が対象だった。
寝込みを襲い問答無用で拉致を敢行。目ぼしい金目の物はインベントリに放り込み、代わりに背格好の似た死体を配置して速やかに逃げ去った。
死体の出どころは一週間前、別件で討伐した山賊団のアジトで発見されたものである。そこに囚われていたのは身代金目当てか、あるいは身体目的か……どちらにせよ、救うには手遅れだった親子。
拠点を完全に制圧したころには死亡からだいぶ経っていて、母子ともに蝿に群がられているさまに嘔吐する団員もいた。
本来なら埋葬するべきだったし、それを主張する傭兵も数多くいた。無法者一歩手前な傭兵たちに真っ当な倫理観が醸成されているのは喜ぶべきことだったが、ウェンターはあえて冒涜的な手段をとることを決断したのである。
屋敷の使用人を真っ先に捕獲して隔離したのは拉致の様子を目撃されないためだ。彼女たちの生存が証言されれば、わざわざ衛兵と交戦するリスクを負ってまで押し入った意味がなくなる。
後見人の妻子は強盗の手によって残虐に殺された。世間や辺境伯行政にはそう認知されなければならない。
襲撃に参加したのは三個分隊。うち一個分隊は事件現場のその後を経過観察させるために領都に残している。
帰路についている二個分隊のうち一班は団長への報告のため村に先行させ、さらに一班は周辺の警戒として今もなお斥候に当たっていた。
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「……えー、その、奥方?」
非常に言いにくそうな表情でウェンターが言った。……言っている本人ですら胡散臭い声のかけ方だと自覚できる。よりにもよって『奥方』とは、一体何時代の人間なのか。
かといって『奥様』ではまるで訪問販売のサラリーマンではないか。しかし『奥さん』では砕けすぎる。ではご婦人……?
慣れない敬語に四苦八苦する。ゲーム開始当時新卒社員だったウェンターにかしこまった居住まいは難しかった。おまけに現役営業職とはいえ主にやっていたのはルート営業で、それも方言混じりの砕けたやり取りも多く、この場でそんな経験などまるで役に立たない。おまけに女性向けの敬語など、ビジネス敬語本にも載っているかどうか。
こんな彼がそれでも傭兵団の副団長としてやっていけているのは、他のメンバーが荒くれ過ぎて論外なのと、傭兵とは礼法に疎いものだという世間の認識に助けられているところが大きい。
額から脂汗を流しながらどうにかこうにか敬語を捻りだそうと悪戦苦闘する副団長に、荷車に腰掛けた女性はとうとう堪え切れなくなったのか小さく噴きだした。
「ふふっ。――いえ、失礼を。……私のことでしたら、エリスと」
「……よろしいのですか?」
「ええ。どうせ価値のある名前でもなくなりましたし」
どこか達観した様子で女性は言い、膝枕の上で眠りこけている子供を見つめた。
――ロイター家次期当主の叔父の妻。彼女がまだ二十代前半の若い女性だと知った時は、流石に副団長も驚きを隠せなかった。
聞けば息子の出産は十七の頃だったといい、つまり計算すると現代でのウェンターより年下ということになる。
中世ヨーロッパでの結婚年齢が早いとは知っていたが、実際に目にするとでは受ける印象が大きく違う。
「……領都を出るときにもお話ししましたが、エリス、さん。あなたは今後、ロイター家とは無関係の人間として生きることになります」
気を取り直してウェンターが言う。エリスはこれといって動じる様子もなく、静かな目で彼を見つめた。
「一応の住まいは用意してあります。半島に居づらいなら、護衛を付けて王都や騎士団領に送ることも検討します。距離が距離なので、少々時間を頂くことになりますが」
「それは、あなた方『鋼角の鹿』の総意ですか?」
「――ええ、その通りです。特にうちの団長と猟兵隊長の強い意向がありましたが」
「猟兵隊長?」
「あなたにとっては、猟師と呼んだ方が通りがいいでしょうか」
「それは……」
困惑し口ごもったエリスに、副団長は改めて向き直った。
「率直に言って、今回の押し入りについて俺は反対でした。何もしなくてもあなた方は辺境伯に処断される。わざわざ危険を冒して連れ去っても得られるものはない。
それどころか、助けたところで感謝されるとも限らない。俺たちはロイター家断絶の原因である猟師の仲間なのだから。
後腐れなく、遺恨なく、俺たちはあなたたちを見殺しにするべきだと、そう俺は主張していたんです」
「ぐふっ」
隣で馬を操っている褐色エルフが奇妙な咳払いを漏らした。見れば口元を押さえて小刻みに肩を震わせている。今にも吹き出しそうなその顔は、心にもないことを言いやがってとありありと語っていた。
雰囲気を台無しにかかったエルフを黙殺し、ウェンターは続けた。
「……エリスさん、我々を恨みますか?」
「恨みは、無いと言えば嘘になります」
「だから俺は反対した。だがあの猟師は全て覚悟の上だと開き直っていました。ああなったあの男を説得できる奴はいない。つくづく面倒な猟師です」
重傷を負って帰還した猟師は、真っ先に後見人の妻子の拉致を主張した。……このままでは何の罪もない女子供が絞首台にあげられる。座視するわけにはいかない。あの娘にこれ以上死者を背負わせたくないのだ、と。
絶対安静の診断を受けながら、あの男は這ってでも領都に向かうと言い放った。一体あの体のどこにそんな根性が潜んでいるのだろうか。いつも不思議に思う。
結局、猟師は現在も村に留め置かれ、ベッドに物理的に縛り付けられている。勝手に抜け出さないように見張りまでつけてだ。
「――猟師からの伝言です。
『あの叔父を殺したのは俺だ。恨むなら俺を恨め。アーデルハイトに憎悪を向けるのは筋違いだ』」
「――――――」
猟師の言葉を伝え聞いて、女は微かに溜息をついて頭を振った。
「……アーデルハイトとは、あの子が七歳の頃からの付き合いです。よく夕食を一緒にとりましたし、この子の世話をお願いしたこともあります。
優しくて、思いの深い子でした。――ただ、時折見せる表情が、とても苦しそうで。……仇をとらないと、あの人を殺さないとと、そういうあの子の顔は見ていられませんでした。
……復讐とは、そんなにも辛いものなのかと、そう思ったものです」
「…………」
ウェンターが黙り込むと、エリスは伏せていた顔を上げて真っ直ぐに彼の瞳を見つめた。
「この子にそんな重荷は背負わせません。親はひたすら我が子の幸せを願うもの。この子に、アーデルハイトのような顔はさせたくないのです」
「誰かが唆すかもしれない。父親の遺志を継げと、煽り立てるものはいるでしょう」
「それこそいらぬ世話というものです」
微笑みさえ浮かべて一児の母は言った。その目に浮かぶ気丈な光は、冷徹に振舞っていた副団長を動揺させるほどだった。
「夫は、自らの野心に殉じました。手段が良きにせよ悪しきにせよ失敗に終わったにしても、上を向き進み続けた結果として命を落としたのです。本懐に向けて燃え尽きたあの人を、誇りこそすれどうして恥じ入るでしょうか。
アーデルハイトを殺そうとしたのは間違いでした。しかし夫の野心は復讐などではなく、己の出世にありました。――夫の遺志を継ぐとはそういうことです」
ほら、お門違いでしょう? と首を傾げるエリスに、ウェンターは何も言えなかった。
――ただ、凄まじいと。
子を持つ親とはこれほど強かなのかと、不覚にも見とれてしまった。
「…………出来る限りの援助はします。不自由はさせない――といえないところが申し訳ありませんが、なにぶん田舎なもので」
「承知しています」
気圧されながらもやっとの思いで言葉を絞り出す。エリスはそんな副団長を微笑ましいものを見る目で眺めていた。何故か勝手に顔が熱くなる。
「俺も、時間が許せば様子を見に来ます。その、あなたに何かあれば、傭兵団に沽券に関わりますので」
「お待ちしています」
荷馬車は行く。一人の女傑とその息子を連れて。
この女性がのちの傭兵団の運命を左右する存在になるなど、当時の誰もが想像すらしなかった。




