とある貴族の殺人事件
ディール暦709年五月十四日夜半。
寝静まった領都の中心部、貴族街の一角で、押し入り強盗事件が発生した。
被害に遭ったのはある竜騎士が領都での住まいとしている館で、事件現場近辺には同様に竜騎士たちの館が立ち並んでいる。
名目上領都にある竜騎士たちの館はあくまで仮の拠点であり、本拠は自らの所領にあるはずだったが、そこはそれ。領地経営は代官に丸投げして領都にいずっぱりになる竜騎士も多く、生まれてこの方自領を見たこともないと冗談のようなことを平然とのたまう騎士もいるという。
強盗に入られたのはそんな竜騎士家の一つで、その家は過去の不祥事により当主を失い、幼い次期当主が成人するまで所領を一時的に取り押さえられていた。
そして数日前、家内で勃発したお家騒動により、後見人であった次期当主の叔父が処断されるという事件が起き、その家は完全に行政能力を失う事態に陥ってしまった。
まず取り潰しは免れない――そんな噂が公然と広まる中で更なる強盗事件である。もはや呪われているのではないかと民衆が面白おかしく騒ぎ立てるのも無理はないことといえた。
館に押し入った強盗の総勢は約二十人。全員が覆面を被り、身元のわからないように変装したうえでの犯行だった。
夜半ということもあり、屋敷内の使用人は数名を除いて誰もが寝入っていたところを狙われたという。
不寝番のメイドは声も上げられずに昏倒させられ、騒ぎに気付いた給仕も物音一つ立てずに制圧された。残りの眠りこけている使用人など歯牙にも掛からない。全員が全員手際よく縛り上げられ、あっという間に玄関から外に放り出されたのだという。
金銭が目的ではないのだろう。襲われたロイター家は財政的に傾いていて、屋敷内にこれといって目ぼしい家財などはない。
狙われたのはそこに住む一族全員であったとされている。
不幸中の幸いは、事件当時ロイター家の最重要人物である次期当主、アーデルハイト・ロイターが辺境伯の呼び出しを受けて留守にしていたことか。
……逆を言えば、その程度しか幸運なことを挙げられないということでもあるのだが。
殺害された人間は二人。謀反を起こし処断された次期当主の叔父の妻子で、彼ら自身の今後を裁断するために領都内の屋敷にとどめ置かれていたところだった。
押し入った賊は使用人は縛り上げるにとどめていたが、彼ら二人に関しては迷うことなく殺害にかかった。検死によると妻は初太刀で袈裟斬りに胴を斬られ、五歳の息子は喉笛を深々と切り裂かれていたという。
検死――そう、検死が必要なほどにその死体は損壊が激しかった。死体の身に着けている指輪がなければ身元が判別できないほどに執拗に破壊されていたのだ。
さらに強盗は屋敷に火を放った。証拠を隠蔽するためか、よほどロイター家に恨みがあったのか、動機は今となってはわからないことである。
奇妙な出火であったという。屋敷を完全に覆い、駆けつけた火消しが近寄ることも叶わないほどの火勢であったにもかかわらず、隣家への類焼は皆無だった。まるでその屋敷だけを燃やすと炎が意思を持っているかのように、火の粉が周りに飛ぶことすらなかった。
何にせよ、領都の役人がほとんど関わることも出来ずに事件は終息し、犯人不明のまま迷宮入りすることがほぼ確定している。
その残酷な手口から、私怨による犯行ではないかとの噂が立つ程度である。
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明け方の陽光が半島を照らすなか、領都を出て東に向かう街道を行く集団があった。
人数は十数人ほど。武装した男たちが大半を占めている。治安が回復しつつある最近の半島の街道では珍しいほどの大所帯だった。
集団の中心には荷馬車がゆったりとした速度で進んでいた。荷車の中身はさほど大量というわけでもなく、いくつかの衣装箱と小物入れが雑然と積まれている。周囲を固める男の視線や様子からして、重要なのは積み荷ではなくその隣に腰掛けている人間であることが察せられた。
「――この度はお手数をおかけしまして。急なお願いまで聞き届けていただき、感謝の言葉もありません」
御者席に座っている男が傍らで馬に跨っている細身の男に声をかけた。御者の男は掘りの浅い顔立ちで、藍色の髪の毛をしていた。御者台の傍らには刃渡りだけでも四尺は超えそうな大剣が立て掛けられている。揺れる荷馬車の上で手綱を握り、なおも乱れない体幹からは彼が相当の手練れであることが察せられた。
「村に帰れば、団長に願い出て追加報酬を申請する予定です」
「ははは、お気遣いなく、ウェンター殿」
重ねて礼を言う『鋼角の鹿』副団長に対し、馬上の男は快活に笑って首を振った。
「人間の貴族の家を燃やす機会など、我々の長い人生の中でもそうあることではありません。――いや、里へのいい土産話が出来ました」
エルフの男だ。金色の髪に尖った耳。細身ながら鍛え上げた身体は襤褸布のような外套に包まれている。しかし男の持つ最大の特徴は、その肌色にあった。
褐色の肌。それも生まれついてのものではなく、長い間灼熱の陽光に晒されて灼けついたものなのだと彼は語る。生粋の肌色でない証拠に、エルフの男の眼尻には細かい皺が刻まれていた。永遠の美貌を誇るエルフですら、紫外線による肌の老化は避けられないらしい。
ダークエルフというわけでもないのにこんがりと灼けたその肌色に、ウェンターはふと、真夏のサーフィンが趣味という現実での会社の先輩を思い出した。
「……そう言えば、エルラム殿は森に戻ったあとはどうなさる予定ですか?」
「さて、まずは墓参りと挨拶回りですかな。なにぶん四百年以上ぶりですので。きっと知った顔はほとんど残っていないでしょう」
「エルフは千年以上の寿命を誇ると聞いていますが」
「生憎と私の友人は戦士揃いでして。勇敢なのは結構だが、死に急ぐ傾向があるのです。沼地に突撃しようとする友を何度引き止めたことか」
「それは……ご苦労、お察しします」
「おや、身に覚えがあるご様子だ。……ひょっとすると団長殿関連かな?」
「ノーコメントです」
勘の鋭いエルフに内心舌を巻く。
……ただし、完全な正解というわけではない。猟師しかりエルモしかり。命知らずに突っ込もうとする傾向は団の有力者にこそ多い。止める身にもなって貰いたいものだ。
「――しかし、里に戻ると言っても先が思いやられる。森からやってきたというエルフの話を聞きましたか? 上の連中は今でもエルフが大陸を制するべきだと唱えているそうですよ。……シングも気苦労が絶えないだろうに」
「大森林の族長とお知り合いなのですか?」
「従兄です。幼い頃はよく遊んでもらいました。ともに弓馬を並べたことも数多い」
懐かしげな目つきでエルラムは語った。世話になった従兄がエルフの長老に就任したという噂を聞いた当時、彼は闘技場に捕らわれた同胞を救うために悪戦苦闘していたという。
「仰天しましたよ。そして次に偉くなったなら援軍くらい寄越せとも思いました。こっちはエルフにあるまじく火魔法の習得までしてるのに、と」
「大変だったと聞いています。村で商会を開いている女性が、あなたに助けられたと言っていました」
「今となっては懐かしい思い出ですよ。今この瞬間いくら大仰な苦労に見えることも、小さな苦労を重ねれば埋もれてしまう程度のことなのです」
そう言って、エルフの男は積み荷の方向を振り返って話しかけた。
「――あなたもそうだ。見たところまだ若いようだし、やり直しようはいくらでもあるだろう。……挫けぬものにこそ、道は拓けるものだ」
「――――――」
荷車の積み荷に囲まれるように座り、眠りこけた幼い男の子に膝枕をしながら、今や死人となった女性は無言で我が子の髪の毛を整えた。




