冥途の土産にくれてやる
戦鎚を片手に一歩踏み出す。男までの距離はおよそ十歩。全力で詰めれば二歩で肉薄できよう。
「こ、のっ! 平民風情がぁ……!」
こちらの戦意を感じ取ったのか、男は残った片腕に握る宝珠を掲げてみせた。宝石の中央に光が灯り、赤く輝きを増していく。
恐らくは火炎の魔道具。アーデルハイトとの戦いの途中で放った横槍もこれによるものだろう。しかし見たところあの爆発とは比べるべくもなく輝きに勢いがない。使い捨ての消耗品なのか、ために時間のかかる代物なのかは判断がつかなかった。
……その宝珠、魔力感知で見た感じが非常に覚えがある。出所について詳しく話を聞いてみたいものだが――まぁ、構わないか。
「何度も撃たせると思うか、阿呆」
インベントリを展開する。青い光を伴い姿を現したのは小型の投斧。掴みとって振りかぶり、腕の力だけで投擲する。
斧は高速で回転しながら宙を飛び、突き出していた男の腕にざっくりと喰い込んだ。
「ぎ――――!?」
悲鳴を上げて男は宝珠を取り落した。骨まで斬れたか、左腕は中ほどで折れ曲がりだらりと釣り下がっている。噴きだした血がぼたぼたと音を立ててしたたり落ちた。
間合いを詰める。初歩より地を踏み抜き残像すら置き去りにして前に駆けた。
二歩にて制動。銀のブーツが地面を掘り返し、男の眼前に踏みとどまる。
既に半身、重心を落とし腰を捻り、戦鎚を両手に振りかぶっている。
「喜べ、兄貴とお揃いの死に様だ――――!」
竜巻のごとく。砲弾のごとく。
振り抜いた鋼鉄の戦鎚は男の膝を粉砕してなおいささかの減退もなく、呆気なくその脚を轢断した。
「あ、が……」
痛みなぞあるまい。そんな間など与えない。脚を失った男は呆けた顔で崩れ落ち、背中から地面に倒れて肺から息を咳き出した。
肘から先のない両腕でもがきながら、何を思っただろうか。再度大きく戦鎚を振り上げた俺を呆然と見上げて、男は大きく口を開けて、
「あ、待っ――」
「――――――」
――ぐしゃり、と。
およそ人体に相応しくない音を立てて頭が砕ける。飛び散った脳漿と血液が頬に届いた。
末期の言葉すら遮って振り下ろした戦鎚は、その頭蓋を砕き潰してなお勢い余り、地面を殴打して耐久の限界に達したのか、その柄の中ほどから木片を飛ばして圧し折れた。
「――――手向けだ。その鎚はくれてやる」
事切れた男に向け折れた柄を投げ捨て、ぞんざいに言い捨てる。
返る言葉など、あるはずもない。
●
戦鎚を放り捨てた猟師を見つめて、アーデルハイトはただ無言だった。
焦げ付いた若草色の背中が、疲れ切ったように大きく息を吐いて空を仰いでいるさまをじっと見つめていた。
その足元に転がっている頭と手足を失った死体が知り合いのものであるなどと、一見して誰がわかるだろう。
悲しみはある。こうなる前に、叔父と和解する道がどこかにあったのではないかと。せめて彼の秘めていた思いを、もっと早く知ることができれば。
生まれを代わってやることはできない。彼にドラゴンを継がせるために自分が死ぬことなど思いもつかない。
しかし、何かが出来たのではないのか。
騎竜は継がせられないにしても、叔父が新たに火山に挑む手助けは出来ただろう。鬱屈した思いを抱えたまま半島で腐るくらいなら、王都や騎士団領のような遠くの地で、一からやり直すよう話してみることも出来たのではないか。
それが出来なかったのはひとえにアーデルハイトが幼かったからだ。見捨てて独立すればロイター家は立ち行かなくなる。叔父は家に残って当主でもないのに家を差配する責任を負った。
そこで見せつけられたのだ、娘ほどの歳の幼女が、自分のなりたかった竜騎士として成長していく姿を。
アーデルハイトが成人する頃には叔父は三十路も後半になる。新たに居場所をつくるには難しい年齢だろう。
その胸に抱いた焦燥と嫉妬はどれほどだろうか。彼女には想像もつかないことだった。
「アーデルハイト」
「――――コー、ラル」
気付けば、猟師が目の前に立っていた。頬についた血液もそのままに、静かな瞳で覗きこんでくる。
「……俺は、お前の家族をまた奪った」
「それは――」
それは違う。凶行に走った叔父を穏便に止める術はなかった。すでに殺す殺されの事態になっていた以上、叔父を殺したことを咎めるのは筋が違う。
そう言いかけた少女を遮り、男はさらに言い募る。
「だから――――お前には、俺を殺す権利がある」
「――――――ぁ」
「アーデルハイト。お前が望むなら――」
「私は……!」
その言葉を大声で遮った。胸が熱い。視界が歪んで彼の顔がぼやけて見える。
……やめて。やめて下さい。
そんな言葉をあなたから聞きたくない。あなたの声で聞きたくない。
まるで始めから、あなたと私が共に生きられないみたいなことを言わないでください。
あなたしかいないのです。私に残った生きる理由は、あなたの他に何もないのです。
そんなあなたに、その理由がなかったもののように言われたら、私は、私は――
「私は、あなたが――」
憎い人。父を奪い、叔父を奪い、これ以上私の何を奪うつもりですか。何を殺すつもりですか。
好きです。仇のあなたが、名前も知らなかった六年前から、たとえようもなく好きなのです。
この気持ちに嘘はつけない。仇も地位も捨て去ったとしても、この気持ちだけは殺させない。たとえあなたにだって否定はさせない。
「あなたが、あなたのことが――」
「アーデルハイト」
突然のことだった。いきなり、目の前の猟師に抱きすくめられた。
あまりのことに頭の中が真っ白になる。押し付けられた胸からは、鎧越しに猟師の鼓動が聞こえてきた。
引き寄せられつんのめり、もたれかかった男の身体はびくともしない。その安心感につい気が緩んで――
「ぐ、あ……!」
「え――――?」
身体ごしに伝わる衝撃。
同時に上がった男の苦鳴が、アーデルハイトの耳朶を震わせた。




