血縁は最後の砦です
「だん……!?」
かくん、と顎を落として絶句した男の顔は、笑えるほどの落差で色を失っていった。
血の気を失い青白く、そして次第に怒りのためか赤黒く。
しかし……ふむ、断絶とは。
「説明を求めても構わないか、アーデルハイト?」
「必要がありますか? ……この場そのものが、ロイター家の末路を表している。ただそれだけです」
振り返って見直した彼女の表情は、達観したように静かだった。
「叔父とはいえ、彼は所詮分家を立てた家臣に過ぎません。しかし幼い私の後見人として最も近しい人間だったことも事実。
そんな後見人にまで造反された私に、当主としての資格があると思いますか? ……家臣を統率できない当主に価値はない。
そもそも、父亡きあと家宰の全てを取り仕切ってきた彼を処断すれば、それこそ我が家は立ち行かなくなります。まるで勝手がわからなくなるのですから。
他の家臣から見てもそうだ。今まで鍛錬漬けで表に顔を出さなかった私が当主面したところで、誰も従わないでしょう。そんな有様で旧領に戻されたところで、領地管理など夢のまた夢です。早晩管理不行き届きで辺境伯に領地を召し上げられるだけだ。
――ですので、ロイター家の再興の道はここで断たれました。同時に、その手段である仇討ちも意味を失ったのです」
淡々と語る彼女の様子に偽りはないようだった。むしろどこかしら清々したような雰囲気すらある。
「……随分と潔いことだな。貴族生活に未練はないのか?」
「もとよりそんなものはありません。むしろ、未練を言うなら――」
「未練を言うなら?」
「…………いえ。なんでもありません」
そう言って、アーデルハイトはちらりとこちらを見て黙り込んだ。
……そうやって意味深に言われると余計気になるんだがね? ……まあいいか。
お家断絶と重すぎる決断であるとはいえ、本人が納得ずくならとやかくは言うまい。覚悟を決めた人間に水を差すのは野暮というものだ。問題は――
「どういうことだ、アーデルハイト……!?」
問題は、この男をどうするかだが。
「何を考えている!? なにを馴れあっている!? 仇はそいつだ! この平民が、この『客人』がお前の父親を殺したんだぞ!
今からでも遅くはない、アーデルハイト! ともにこの男を殺して、領城に死体を晒すのだ!」
「そして後日改めて謀反しますってか? 無茶苦茶だぞお前」
「もはや遅すぎるのです、叔父上。私に彼は殺せない。殺して得られるものが無くなったのですから。
そして私も死にたくない。さっきまでなら私の命くらい差し上げました。ですが今は違う。わがままでも私はもう少し生きていたい。理由が戻って来たんです。戻ってくれたんです。
だから、叔父上が竜騎士になる目はありません」
「――――――ぉ」
彼女の言葉が最後のとどめになったのか。
男は今度こそいきり立ち、腹の底をぶちまけるような怒号を上げた。
「――俺はっ! 誰よりも努力を重ねてきた! あの兄貴以上にだ! 剣も、魔法も、兵学も! 奴以上に鍛えてきた! 家臣どもの取り纏めだって俺の役目だ! 領民との折衝だって俺が矢面に立ってきたんだ! 意味のない北への遠征と出世闘争に明け暮れる兄貴を支えて! 俺が! あの気位ばかり高いクソ兄貴のために……!
俺こそが竜騎士に相応しいだろう!? 無能な兄貴よりも、もの知らずな小娘よりも、俺こそがあの翠竜に相応しい!
なのにどうしてお前なんだアーデルハイト!? 半島の麒麟児が笑わせる! お前さえいなければ、そのドラゴンには、その鞍には俺が跨っていたんだ……ッ!」
「知らんよ、戯け。――いや、一つ俺が言えるとしたら……お前は、努力の方向を間違えたな」
竜騎士になりたいならなればいい。聞けば、あの火山への道は常に開かれているとか。今でも年に数人はドラゴンナイトの地位を望む無謀な挑戦者がやってきては棲み処に挑み、竜に認められることなく呆気なく命を落としているのだとか。お前もそれに加わればよかったのだ。
辺境伯の契約に依らず、自力でドラゴンを得た騎士は最大の栄誉を得るという。家名を挽回するどころか、新たに高名な家系を作りさえしただろう。ドラゴンとはなんたるかを身近に知っていたお前なら、他の者よりも可能性があったはずだ。
決断する機会はあった。己の元服、兄の世襲、兄の死、姪の世襲。……この娘のドラゴンに見切りをつけて、自らの力で新たな竜騎士となる決意を固めることはできたはずだ。
だがお前はそうしなかった。姪を謀殺するという迂遠な手段に訴えた。
理由は何だろうか。育った家への未練? 虐げられてきた兄への当てつけ? 歳若い未熟な姪への反発?
――どれも違う。お前の言葉はお前自身の本質を得ていない。兄と姪への憤りにかこつけて、お前はお前自身の本音から目を逸らしている。
お前は単に、楽をして竜騎士になりたかったのだ。
兄が死に、姪が死ねば次は自分だ。多少時間がかかるが、少し手を汚すだけで地位と領地が手に入る。わざわざ命の危険を冒して火山に挑むより、そちらの方がよほど安全で確実というものだ。
リスクと労力を天秤にかけ、より楽な方をお前は選んだ。賢明な選択だったとお前は言うのだろうよ。
だがそれは致命的に道を違えている。たとえ賢しい判断でも、やってはならない選択というものは存在するのだ。
彼女にとって、数少ない血縁がお前だった。幼い頃より復讐を背負わされた彼女にとって、数少ない寄る辺がお前だった。
それを己の野心のために切り捨てたとき、お前はその望みに対して胸を張れるか? 姪を殺して得た騎士位だと、恥じることなく立っていられるか?
――あぁいや、どちらでも構わない。お前がどう思ってこれを企てたかなど興味もわかない。どんな思惑があったにせよ、お前の行為そのものは外道に他ならない。
だから殺す。迷わず殺す。瞬殺する。俺の後ろに座り込んだこの娘が立ち入る余地など与えない。彼女に止められる間もなく終わらせてやる。
……頼りとしてきた叔父を殺したなどと、悔恨に苛まれる娘など見たくもない。
ただ――そう。この男を評価してやるならば、一言だけ。
「――その執着を、その熱情を、真正面に向けることができれば、あるいは顛末は変わっただろうよ」
さあ、殺そう。




