意外、それは伏兵
一見すると判別のつかないことではあるものの、この戦いはもとよりエルモに有利に設定されていた。
このゲームのシステムには、地形特性というものがある。
ステータスを表示させたときに現れる、そのキャラクターがどの環境に適しているかを表現したものだ。平原の民、山岳の民などと書き表され、エルモの場合エルフの特徴として森林の民があてがわれている。それも、プレイを初めて数年経ってから初期の中庸の民から変化したものだった
――さて、ここで問題となるのが、この地形特性が具体的に何に影響を与えているのかという点である。
この地形特性というステータス、第一紀プレイヤーの間では長らく詳細情報が不明なものとして扱われてきた。
なにぶん開始直後から備わっているものなので当人だけでは検証が難しく、ログイン直後の屁のつっぱりのようなステータスでは、何かしら変動を受けていても実感がわきづらい。おまけに最初の数年は誰も彼もが生きるのに必死で、検証の余裕がなかったというのもある。
最初に備わっている特性である『中庸の民』も曲者だった。
あとあとになってからようやく判明したことだったが、地形特性の効果とは、適合する環境下におけるプレイヤーの技量値、敏捷値にボーナスを与えるというものだった。
しかし初期の中庸の民には一切のボーナスが存在しない。平原を走れば疲れるし、沼では足を取られ、森では木の根に躓いてしまう。
ステータスを上昇させもしないが、特に大きな弊害も与えない。――それが中庸の民の効果だったわけなのだが、それを所与のものと捉えたプレイヤーは、地形特性を単なるフレーバーテキストのようなものだと決めつけてしまったのである。
この認識を彼らが改めるには、年月を過ごして地形特性が変化し、それぞれの検証が可能になってなお数年以上の年月が必要だった。
話を戻そう。
この地形特性、その効果は前述したように一定環境下においてキャラクターの技量値と敏捷値にボーナスあるいはペナルティを与えるものだった。
砂漠の民なら砂漠、山岳の民なら岩場や坑道内、海上の民なら船の上というように、適した地形にある場合、その人物は本来の数値以上の実力を発揮できるのである。
ステータスの上がり幅は様々だ。恩恵弊害著しい特性もあれば、ほとんど変化のないものもある。
特に顕著なのは海上の民で、潮流の速い遠洋では100%の上方補正を得られるのに対し、陸地では酔っぱらったように前後不覚に陥り、砂漠では足を取られて40%ものペナルティを受ける。
逆に起伏が少ないのは平原の民だ。最も適した平原でも、得られる補正は精々が30%。しかしその分弱点も少なく、あらゆる環境でそれなりに動き回ることが可能となる。
では翻り、森林の民であるエルモがロイター家私兵との戦いで得られる補正とは?
――――正解は、70%。
何もボーナスのなかった頃と比較して、実に1.7倍の速度と精度を叩きだしている。
主武装を魔法に偏らせているとはいえ、敏捷技量に長けたエルフであるエルモにそれだけの補正を乗せれば、ステータスは300の大台を突破し猟師のそれすら上回るだろう。
ゆえに、これははもとより彼女に有利に設定された戦闘だったのだ。
●
「――――――」
降り立ったエルモの視界には、地面に突き立った無数の矢が広がっていた。
新たにインベントリから取り出した矢筒を丸々二セット使っての飽和攻撃。総本数四十八本の乱射である。碌に鍛錬を重ねたともいえない男たちに躱しきれるものではない。現に倒れ伏す私兵たちの背や肩、脳天や首筋に、見境なく矢が刺さっている。
当然、撃ち零しもいくつかある。精度以上に面制圧を重視した手前、なにもない地面に突き刺さって鏃を潰してしまった矢も十本以上存在する。
まるで空き地に広がるススキの群生だ。風に吹かれた矢羽が揺らめき、いっそうその印象を際立たせていた。
「ふう……」
無駄玉を使いはしたものの、討ち漏らした敵はいない。――軽く周囲を見渡してそう結論付けると、エルモは今度こそ緊張を解いて息を吐いた。
これからこの死体から矢を引き抜いて回収する作業が待っているのは気が滅入るが、ここは一応これでひと区切り。急を要する事態はないだろう。
猟師はどうなっただろうか? あの男のことだ、そうそうやられるタマではないと確信しているが、不自然なまでに子供に甘いのがあれの弱みだ。万が一ということもある。
一応、念のため、猟師が向かったという廃村の様子を見に行くのも――
その時、視界の端で何かが蠢いた。
「え――――?」
「ぉ……」
驚く暇すら与えられない。
エルモが傍らを通り過ぎようとした一体の死体。その腕が突然動き、彼女の足首を掴んだ。
あまりの握力に振り払うという思考すら一瞬失う。その隙をを見逃さず、死体は体当たりでもするようにエルモの膝に飛びついて、
「ぉおおおおおおおおっ!」
「きゃあっ!?」
引き倒される。後頭部を強く打って目の奥に火花が散った。男は巧みにエルモの動きを押さえつけ、腹の上に馬乗りになる。腰に差した短剣を抜き放ち、彼女の喉元に突き立てようと――
「こ、の……!」
男の手首を掴んでどうにか止める。切っ先は目の前にまで迫っていた。渾身をこめて押し返そうと踏ん張るものの、男もまた同様なのか短剣はびくとも動かなかった。
「この、クソエルフが……!」
馬乗りになった男が憎悪の声を上げた。壮年で、肩と背中に矢を受けている。他の男たちと比べていくらか上質な鎧を身に着けていて、それで死なずに済んだのだろうか。
「台無しだ! 貴様のせいで、俺の未来は台無しだ! 加勢に間に合わなかったばかりか、たった一人に手下を皆殺しにされるだと? これでは弟君からも見放されるではないか!」
「知らないわよ、そんなの!」
エルモも怒鳴り返して必死に押し返す。跳躍の足場を作ったときにでシルフは送還された。身体強化も風魔法も使えない。そんなものに意識を割いたら、それだけでこの短剣が落ちてくる。今できることといえば、この凶刃をどうにか留めるくらいしかない。
――――いや、もう一つあった。口はまだ動かせる。
「計画を台無しにされて残念だったわね! ねえ今どんな気持ち? 一人だけ生き残ってどんな気持ちかしら!? このあとご主人様から叱責の言葉を貰うわけだけど、それに向けての意気込みの一言をどうぞ!?」
「黙れぇっ!」
黙るか、馬鹿。
激昂する男に心の中で毒づいて、エルモは見せつけるように口元を歪めた。馬鹿にもわかりやすいように声にも出してせせら笑ってやる。
……短剣にかかる重さは緩まない。
「――あぁもっとも? 肝心のご主人様だって今頃生きてるか怪しいけどね! なにしろ相手はあの猟師よ? うちが誇る最精鋭、副長でも正面からの試合で一本とれるかってくらいなのに、ルール無用の殺し合いであいつが負けるわけないじゃない!」
「だまれ、エルフ!」
「唾かけんな気持ち悪いのよこの強姦魔! ――あんたの主人は今頃死んでるわよ! きっとひどい死にざまね、あいつったら本気出すとグロい殺し方ばっかりだし、原形残ってるかも怪しいわ!」
ぎりぎりと短剣が迫ってきた。怒りが男の力を増しているのか。対してこちらは口八丁に傾いて、せめぎ合いに疎かになっているというのに。
さあ怒れ。もっと怒れ。
お前の未来は真っ暗だ。主人の期待を裏切り手下を死なせ、下手するとその主人まで死んでるかもしれない。
仮に主人が生きていても、栄達の道とは程遠いだろう? きっと叱責どころか処分される。手下の死の責任を取らされて。ひょっとしたら主君殺しの罪まで被せられるかも。
「どうなったってあんたには破滅しかない! 野垂れ死ぬか陰で殺されるか、見せしめに磔に晒されるか! 体のいいスケープゴートよ!」
「だまれ、死ねエルフ!」
「だから唾かけんなクソヒューマン! あと口臭いんだから永遠に閉じてなさい! そんなだからあんたは変態なのよ! 仲間の死体に囲まれておっ立てんなっ!」
「ああああああっ! 殺す、殺す! 殺す……!」
短剣の力が緩んだ。あまりの怒りに感極まったのか、男は身を起こして絶叫し、両手に握った短剣を大きく振り上げた。
その短剣を振り下ろせばエルモは死ぬ。腕をとってせめぎ合うならまだしも、全筋力と体重を乗せて振り下ろされる一撃を防ぐ腕力は彼女にない。
――――振り下ろされれば、の話だが。
「死ね……ッ!」
「死ぬのはあんたよ。――――食い殺されなさい」
唸り声が聞こえる。
男の影になって見えないが、あれは確かに迫っている。
見なくたって、エルモはその存在を確信できる。暗闇に光る銀毛、ぞろりと剥いた鋭い牙。
考えてもみればいい。あの白狼が、猟師の窮地たり得るものを見逃すはずがないだろう――?
「え、ぶ……?」
間の抜けた悲鳴。鮮血が噴き上がり、エルモの視界を真っ赤に染め上げた。
見上げると、男はその身長を肩で測るようになっていた。
目を横に転じれば、そこには返り血ひとつ浴びていない銀の大狼が、まずそうに男の首を吐き捨てているところだった。
「――――伏兵とは、最後の最後まで隠すもの……ね」
ひとりごち、ぱったりと腕を落として脱力する。男の死体は短剣を頭上に構えたまま、仰向けに倒れていった。
今度こそ、敵は全て討ち果たした。




