先達の遺産
家具を外に運び出した際に見落としたのだろうその箱は、えらくがっしりとした作りだった。
これを何と呼べばいいのか……収納箱、宝箱……ううん、どうもしっくりこない。英語圏でいうならCHEST、和風に言うなら長持―――よし、長持でいいか。
地味ながらも非常に凝った作りの長持だった。基本は木材で、所々が金具で補強されている。表面には植物の蔦のような柄の装飾がびっしりと覆い、長持正面の盾の絵柄に絡みつくようにが描かれている。壁と床に一体化しているのか、力を込めてもびくとも動かない。鍵は一体型のダイヤル式で、四桁の数字を入力するようになっている。
それだけなら何ともなかった。ただの以前住んでいた住人の置き土産だ。邪魔ではあるが気にする必要もない。
ただ、見逃せないものを目にしたのだ。
開け放った窓から夕陽が差し込み長持を照らす。銀糸で装飾していたのか、表面の蔦が朱色の光を反射して小屋の中を照らした。
その、影に、
―――『オケハザマ』と
紛れもない日本語が混ざり込んでいる―――
「……ハ―――」
変な声が漏れる。思いもよらない事態に動悸が止まらない。
……粋な真似をしてくれる。これは俺たちプレイヤーに向けられた代物だ。それも運営仕込みの公式なものでもなく、過去のプレイヤーが仕込んだ物。桶狭間なんて世界観ダダ無視のキーワード、他に何者が設定するというのか。
震える手で長持に触れる。ひやりとした手触りが心地いい。長持に鍵をかける数字ダイヤルに手をかけると、俺はゆっくりと回転させた。
―――桶狭間に関連する四桁の数字なんて、俺は一つしか知らない。
●
これを俺以外の誰かが読んでいるなら、俺はとっくに死んでログアウトし、あんたは第八紀以降のプレイヤーなんだろう。
―――くううううっ! 一度はやってみたかったぜ、このシチュエーション!
人里離れた山奥に残された、先人の遺書めいた自分あてのメッセージ、書き手のことを覚えてるやつなんか、八十過ぎた爺さんくらいしかいない。それなのに読んでいる人間がどういう存在なのか、半世紀以上前の俺は大体把握してる。
ロマンだろ? これにときめきを感じない奴はこんなゲームやってないしな!
あんたと俺との間には、現実では数時間程度の時差しかないのに、ここじゃあ七十年以上の隔たりがある。そう考えると感慨深いもんがある。
前振りが長すぎたな。本題に入ろう。
俺の名前はベ―――、やっぱやめた。俺の正体はあえて伏せとく。何十年も前に死んだプレイヤーの名前なんて、知ったところで意味はないし興味もないだろ? ……どうしても知りたいなら王都に行って犯罪履歴でも漁ってみればいいんじゃないか?
そう、犯罪。俺がここに流れ着いたのは、ルフト王国のある陰謀に巻き込まれて都会にいられなくなったからだ。ミューゼル辺境伯の領都には手配書が回ってなかったんだが、念には念をってやつだ。
俺は王都で公務員の真似事をやってたんだが、それなりにやりがいがあったし、現実に戻ってもためになるようないい経験をさせてもらったと思っている。
順風満帆な二十年だったんだが、どこでへまをしたのか嵌められてね。しばらく人の顔を見るのも嫌になるくらい荒んで、こんな山奥に籠ることにしたのさ。
今となっちゃ恨んじゃいないよ。打算だらけの都会暮らしにも飽きてきたところだし、いい頃合いだったと思っている。
何よりこれはゲームだ! 楽しむもんであって、中世ヨーロッパの過酷な腐敗政治を疑似体験するためのもんじゃない!
そんなわけで、鍛えた腕前を使って魔物を狩って金に換える生活を、俺は結構気に入ってたりする。
―――さて、あんたにこんな物々しい宝箱を用意した理由なんだが……ないんだな、これが!
言うなればただの遊び。この宝箱を見たとき、あんたはきっと言葉では言い表せない『ときめき』みたいなもんを感じてくれたと思う。殺伐とした世の中でそういう気持ちを―――待って待って待って破るな破るな!
最近の若者はキレやすくて困るぜ。ささやかなジョークも通じないんだから。
とにかくだ、この宝箱の中には、俺が現役時代に使っていた防具が入っている。それなりの品でな。何度か命を救われた逸品だ。売るなり使うなり好きにするがいい。悪いが武器はやらん。これは俺が墓までもっていく。
それとボディーアーマーなんだが、引退の時のごたごたで腹に大穴が空いちまってな。直しようもないもんで海に流しちまった。結局入ってるのは篭手とブーツと額あてと、結構ナウいマントくらいだな。
それといくつか書物も置いていく。スキルの使い方のコツだったり、魔法習得の修行法だったり、コロンビア半島に生息する動植物の特徴や効率的な狩り方だったりが書いてある。二年がかりで書いたものなので、丁重に扱うこと。
……判るか? これは攻略本だ。実地での検証に基づいちゃいるが、中にはステータスやスキルがどう作用しているか、システムがカバーしきれない抜け道をつく方法なんかも書いてある。
ガチゲーマーからすりゃ邪道だろ? こういうのはひとつずつ自分で解明してこそ面白いもんなんだし。だから気に食わなきゃ装備だけ持って行って鍵をかけなおせ。
それだけのことがわかっていて、なぜ俺が場が白けるようなもんを書いたのか。
……あんたに、これが|ゲーム≪・・・≫だと覚えていて貰いたいからだ。
あんたがこれを読んだとき、この世界に来て何年経ってるかは知らない。ひょっとしたらいい感じの立場を得て、結婚なんかもしてるかもしれない。
だがこれはゲームだ。零と一で構成された電子の世界。目の前に築き上げた大事なものなんて、ボタン操作一つで消えてなくなっちまう。
いいか? 感情移入なんかするな。NPCたちの織り成す物語に、絶対に入れ込むな。そうでないと何もかも終わって現実に返ってきた時に、無くした物の重みに押し潰されるぞ。
俺のダチもそうだ。先行組でな、零時から始めて三時に返ってきた。
酷いありさまだったぞ。目覚めた直後に、VRギアをぐいぐい頭に押し付けて絶叫したんだ。嫌だ、いやだ、帰りたいって。誰かの名前を呼んでいた。
入れ込み過ぎたんだ。耐えられないほどの別れを経験したんだろう。
ダチは今、親元に戻って休養している。有給を貯め込んでたからひと月くらいは休んでいられるだろう。元に戻れるかは、わからない。
―――そして俺も今、そうなりかけてる。
王都を出たのはいい機会だった。しがらみを断てたことで、大分踏ん切りがついた。……もう帰ってもいいかもってな。
けどやっぱり未練はあるんだ。このままじゃ、帰った時にどうなるかわかったもんじゃない。
妄想に襲われる。ここは実は本当にある異世界で、何かしらのフラグを立てればここに永住できるんじゃないかって。……馬鹿な話だろ?
だからこの攻略本を書いて、必死に自分に言い聞かせている。
……これはゲームだ。現実じゃないんだ。いい加減、親に孝行しに帰ろうって。
これは忠告だ。
忘れるな。ここは、現実じゃない。