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PHOENIX SAGA  作者: 鷹野霞
立ちはだかる猟兵
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矢が中る

 パルス大森林を出るまで、エルモは人間を殺したことがなかった。

 ――厳密には支族長の命令で湿地帯に繰り出し、リザードマンを何体か射殺した経験があるので、それは正しい形容ではないかもしれない。ただ、あの種族は人間と呼ぶにはいささかエキセントリックな形態をしていて、たとえ殺したとしても現実味に乏しかったというのが正直なところである。


 掲示板を覗いてみると、エルモと同様に人間相手の戦闘に忌避感を持ち、もっぱら魔物を相手に戦うプレイヤーが多いらしい。対人戦闘経験者の中には殺人の感触が生々しく手に残り、トラウマを患ってしまったものもいるのだとか。

 人間と戦いたくないのであれば戦わなくても構わない。このゲームは戦闘がメインに据えられているものではないし、むしろ定年後のスローライフ体験目的にプレイしている人間も数多いと聞く。

 単純に人間の形をしたものを殺したくないだけなら、それこそ対魔物専門の戦闘職として身を立てるのも十分ありだ。ゴブリン、スライム、あるいは大森林を這い回るラフレシア。……駆除業者として専門を称するのはむしろ特化分業という意味では大いに正しい。


 ただ、エルモが所属したのは魔物ハンターでも植物採集家ででもなく、相手を選ばない傭兵団だった。

 人類の未踏領域が残る半島を縄張りとし、北方への遠征があるとはいえ、魔物ばかりを相手にするわけでもない。

 彼女が傭兵として稼いでいくためには、合法的ながらもいつかは殺人に手を染める必要があった。


 いざその瞬間が来た時に、殺人への忌避感から手を狂わせるかもしれない。自分一人のときならまだましだが、誰かと連携しているときにそうなったら仲間の命まで危険にさらす可能性がある。

 いざというときに人を殺せる、そんな心の持ちようとはどんなものなのだろうか?


「そんなことを俺に訊かれてもなぁ……」


 ある日の酒場で夕食をとっているとき、エルモは殺しについて猟師に尋ねてみたことがある。エルモの知る中で最も殺人に長けたプレイヤーは、困惑した表情で唸り声を上げた。


「正直、俺のやり方なんて参考にならんと思うぞ。ただの慣れとしか答えようがないんだし」


 あまり大声で言えることではないが、罪に問われない殺しを現実で何度か経験していると猟師は語った。それのおかげでこの世界での殺しにあまり抵抗がないのだとも。


「そりゃ、童貞捨てたあとの数日は夢にも見たし、指先に残った感触が気持ち悪くて、夜中の洗面所に籠ってはたわしで皮が剥けるくらい擦ったもんだ。

 けど回数をこなすうちに慣れていってな。感性が死ぬっていうのか、なんていうか。――とにかく、俺の経験は現代人とずれてるらしいから、あてにはならんぞ」

「じゃあ、ウェンターに聞けばいいの?」

「やめておけ。あいつはもっと特殊だ」


 彼女の知る中で最も若いプレイヤーの名を挙げると、猟師は渋い顔で首を振ってみせた。


「一緒に遠征に出てみるとわかるんだが、多分プレイヤーの中で一番異常なのが副団長だ。

 割り切りがうますぎるんだよ、あいつ」

「割り切り?」


 鸚鵡返しに聞き返すと、男はひとり得心したように頷いて、


「――そう、割りきり。敵味方を区別して相手を斬り殺すのに、あいつは一切の躊躇いがない。逡巡もわだかまりも何もかも置き去って『そういうものだ』と思考を切り替えている。

 あの気質はどこから来たんだろうな? 生来のものなのか、このゲームの闘技場で養ったものなのか。――現実の方で富山の八段に剣術を習ったって言ってたから、ひょっとしたらそれかもしれん。

 ……どちらにせよ、常人には得難い資質だ。機械歩兵やらナノマシンで情緒を抑制する歩兵が活躍する現代でなけりゃ、あいつの天職は戦場にあっただろう」

「褒めてる感じがしないわね。まるでシリアルキラー呼ばわりしてるみたい」


 お前は凡人だと暗に断言されたようで、少々むっとしたエルモが皮肉った。猟師は気にした様子もなく、飄々とした姿勢を崩さずにエルモを見据えて言う。


「その通り、褒めてない。そんな張りつめた生活を続ければいずれ必ず破綻する。一歩間違えればウェンターはきっと酷いことになっていただろう。あのお気楽な若造に拾われたのは僥倖だよ。……縁というやつは、これだから面白い。

 ――――さて、借金エルフへのアドバイスだが」


 ただの一意見だからな、と猟師は前置きして、


「端的に言おう。――ゲームをイメージしろ」



   ●



 ――――殺しをゲームのように捉えろ、というわけではない。

 武器を振るう際に、相手を殺すことをイメージするな、と猟師は言った。


 要は気の持ちようだ。殺すために弓を射るのではなく、弓を射た結果として敵が死ぬのだ。

 狙った場所に矢が当たることと、当たった相手が死ぬことは分けて考えろ。詭弁で構わない。敵が死んだら、などという恐怖や罪悪感は、そもお門違いなものだと思い込んで天運とやらに放り投げろ。


 正射必中、弓道は求道あるいは窮道。いかなる状況においても、より速くより精確に射抜くことのみ考えるのだ。その思念のどこに殺意など混じる余地があろうか。

 この場において殺意などただの雑念に過ぎない。そんなものに思考を割くくらいなら、己の姿勢を見直して呼吸の乱れを整えることを考えろ。


 ゆえにゲームをイメージする。ワンフレームの無駄すら削ぎ落とし、より高いスコアを目指す彼らの無心こそが、エルモが参考するべき心の持ち方だろうと猟師は言った。


「そうは言うけどね……」


 樹上に居座り、息を吐きながら軽くぼやく。

 エルモの眼下には武装した男たち。うち二人はそれぞれの背中に矢を突き立てて倒れている。ぴくりとも動かない身体とみるみる広がる血の海は、二人が間違いなく死亡していることを知らせていた。


 ――――さざなみ一つ。それだけ震えて、心を鎮めた。

 残る()は18体。ごちゃごちゃ悩むのはそれら全てに矢が中ってからだ。


 左手には弓とともに矢を数本まとめて握り込み、右手に手挟んでいた次の矢を新たにつがえる。もう一本をインベントリから出現させ、齧りつくように口に咥えこんだ。……場所を移す前に、これくらいは矢を射込んでおきたい。


 ……ゲーマーのたとえを猟師は出したが、実際にやってみると随分と勝手が違った。というより――


「……あいつ、簡単にたとえただけで、実はとんでもなく難易度の高いことを要求してないかしら……?」


 矢を口に咥えたまま器用に愚痴り、エルモは弓を引き絞った。

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